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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

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冷たそうで暖かい

・オメガバース設定
・一進一退で中々進まない関係
・どっちもチョロい
・ジャンが不幸で苦労人
・モブが出しゃばりまくって酷い連中
・精神的、経済的虐待な描写がある
・モブリット×ハンジがほんのりあります
・毎度思うけど、色々間違ってたらごめんなさい案件
・2019/02/13

   ◆ ◇ ◆ ◇

 三十路にもなって年甲斐もなく恋だとか愛だとかの意味で人を好きになった。
 しかも十五歳も年下の子共にだ。

 上司に相談すれば、気が狂ったかと言われ、同僚は『うわぁ』とだけ漏らした。
 酷い言い草ではあるが、実際の所、反応としては強ち間違ってはいないのが腹立たしくもある。何と言えばいいのか、一言で形容しようとするなら可愛い。しか浮かばない程度にはいかれている。

 出会いの切っ掛けは碌でもなかった。
 いい加減、アルファとしての自覚をもって身を固めろと強要され、親戚が探し出したオメガと見合いする事になった。優秀なアルファは率先して子孫を残すべき。などと言った世間の風潮など糞くらえ。と、しか思えないのだが、親戚の顔を立てる意味もあり渋々と頷き、上司に訳を話して有休を貰い、伯父に仲人兼保護者として立ち会って貰うよう頼んで見合いに臨んだ。

 世間的にも休日である日曜日。
 見合いのために用意された所定の場所へ伯父と向かう。
 気候も良く、空は晴れ渡る心地好い日だった。真っ白な石畳が丁寧に並べられた庭園、中央には噴水、丁寧に手入れされているのであろう美しい花々が咲き乱れる花壇の間を歩き、フラワーアーチを潜った先にある馬鹿みたいにでかいホテルの一室に、見合いの相手は居た。

 相手を見て、俺も伯父も表情を曇らせる。
 確実に自分よりもかなりの年下であろう学生服を着た少年が憮然とした面持ちで座っていたからだ。
 互いの事前情報はアルファとオメガである。と、言うだけだった。それ以上、必要な情報があるかとばかりの傲慢さ。少年に年齢を訊けば若干十五歳だ。この春、高校生になる予定の子共。法的にはまだ結婚すら出来ない。
 相手方の言い分は、とりあえず婚約を結び、結婚は追々。との事だった。まだ顔を合わせただけと言うのに気の早い話で、実に解り易い愛想笑いをしながら媚を売って来る。

 アルファ自身がオメガを、オメガ自身がアルファとつがう事を強く願い、求めるのであれば本人の人間性も、見目も情報は要らないのだろうが、どう見てもこの少年は、見合いに喜んで臨んでいるようには見えなかった。俺にしても同じだが。
「災難だったな、こんなおっさんと見合いさせられて」
「いえ……」
 学生服を着た少年は、お互いの仲人が腹の探り合いをしている間、ずっと俯いて無表情のままだった。愛想笑いすらしない。『後は若いお二人で』との使い古された言い回しで、部屋に二人だけで取り残されたが、何を話せばいいのか見当もつかず、出て来たのは同情の言葉だけだった。
「オメガとして生まれたなら、優秀なアルファとつがうのが一番の幸せの道だ。って子供の時から言い聞かせられてたんで、別にどうでもいいです。貴方こそ最悪の気分でしょう?こんな可愛げもない男オメガで」
 ジャン・キルシュタインと紹介された少年は、俯いたまま自虐的な科白を吐くが、表情はピクリとも動かない。こうなる未来を覚悟しており、現状に対して何の感情も湧かないようだった。
「まだ発情期も来てない欠陥品ですが、好きに扱ってくれて構いません。子供が出来たら用済みでしょうから、愛人でも何でも作って下さい。気にしませんので」
「なに……、何を言ってるんだお前は……?」
 とても青春を謳歌する少年の口から出た科白とは思えず、普段から怖いと言われる顔を歪めながら少年を睨んでしまった。びく。と、少年、ジャンの肩が揺れ、背中まで丸まって行く。
「すみません……」
「いや、謝って欲しい訳じゃない、欠陥品だとか……、愛人を作れだとか、おま、あー、その、君が自分で考えたのか?」
 怪しむならば、仲人をやっていた中年女性だろうか。
 ジャンはミルクティーのような髪色に、肌も色素が薄いのか白いが、仲人の女性は黒髪で肌も浅黒く、とても血縁関係があるとは考え難かった。
「おばさんに……、あんたはオメガの癖に可愛げがないから、みたいな……」
 ぼそぼそ言い辛そうにジャンは零す。
「おばさん?親ではないのか?」
「両親は、小さい頃に事故で……、それで、遠縁のおばさんが引き取って下さったので……」
「あの仲人の?」
「はい……」
 こちらの伯父と話している間も、女性の口からはジャンを悪し様に評する言葉が多く不愉快だったが、幼い頃からこの調子で言われ続けていたのだとすれば、最早、洗脳と言っても良く、言葉の端々から、金勘定に関する下衆な思惑も透けて見えていた。
 未成年後継人や代理人に名乗り出る人間は、必ずしも善人ではない。子供が受け継ぐはずの遺産をかすめ取ろうとする者、誰にも解り易い『可哀想な子共』を保護する事で承認欲求を満たそうとする者も少なくはない。
 そんな輩は外から見た場合は非常に良い保護者に見えるが、実情、虐待をしていたり、子供を自分の都合がいいように操ろうとする人間も多く、それが対した際の違和感として出てくるのだ。
 職業柄、耳にもすれば実際に目にもしていた。
 胸糞が悪い気分になってくる。
「ジャン……、と言ったな」
「は、い……」
「直ぐに俺の家に来い、面倒見てやる」
 言い切ってしまえば、ぽかん。と、ジャンは口を開けて俺を見ていた。
 このまま断れば、確実にあの仲人の女性からジャンは詰られ、酷い目に遭うのだろうと簡単に予想がついた。婚約は飽くまで婚約。所詮は口約束の域を出ない。無論、不義理を働けば口約束とて債務不履行責任を負う羽目になるが、成人した本人同士が円満に関係を解消する分には問題はないはずだ。
「あんな風に毒を注ぎ続ける人間の側に我慢して居続ける必要性はない。俺はあまり家に帰らないから、家を管理してくれる人間が居ると助かる」
「帰らないんですか……?」
「仕事柄待機も多くてな」
「公務員の方とお聞きしてましたけど、その……」
「警察組織の一部に所属しているとだけ言っておく」
「はぁ……」
「悪いが、これはあまり口外されると困るから、あの仲人の方にも言わずに胸に留めておいてくれ」
「あっ、はい、黙っておきます!」
 ジャンは若さ故か、今一、理解が追い付いていないようだった。しかし、素直に俺の言葉に頷く辺りは好感が持てた。

 俺は警察組織の一部である、特殊部隊に所属している。
 有名どころだとスワットと言えば解り易いか。国家権力を行使出来る立場と言うだけでも面倒ごとに巻き込まれかねないのであまり口外して欲しくはないが、殊更、特殊部隊となると厄介になる。対テロ組織、凶悪犯罪者も相手どり、最悪の場合、完全な個人的な判断で、とはいかないが暴力的措置による制圧も許可されているためだ。
 出動の際は、身柄を隠すための全身を覆う防弾防刃が施された特殊スーツ、顔を完全に覆い隠す防護ヘルメットを着用する。常識外れの犯罪者と戦う場合、顔や名前などが割れてしまえば、本人のみならず、身近な人間が人質として誘拐、あるいは脅迫のために殺されるなどの場合もあり、軽々に所属を漏らしてはならない。と、散々叩き込まれている。
「一緒に住むからと言って、関係を強制するつもりはない。好意を寄せる人間が出来たら付き合ってもいい、俺は飽くまで保護する立場で居るつもりだ」
 やや曖昧にはしたが、ジャンの信用を得るためには身分を明かす事が一番手っ取り早いと判断した。巻き込むつもりは毛頭なく、婚約を盾に未成年にけしからぬ行為をするつもりも皆無だ。


 この時、俺の頭にあったのは、子供の自尊心を傷つけるような大人から、ジャンを早急に引き離すべきだ。としか考えていなかった。
 後々に、この判断が自らの首を絞めるに至ったのだが。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 保護者である仲人の女性と話をつければ、彼女は機嫌良くジャンを差し出した。
「あんな子ですけど、お気に召したようでようございましたわ。ほら、ジャンはオメガって言っても見た目は完全に男の子で、全く可愛くないでしょう?愛想もないですし、何をやらせても中途半端で、本当に外に出すのが恥ずかしい子なんですけど……、あんなのでも一応、オメガですから、多少の用は立つでしょうし、いい引き取り手が見つかって私も肩の荷が下りると言うものです」
 この女は、笑顔で良くもここまで毒が吐き出せるものだ。
 胸ぐらを掴んで歯を全部叩き折ってやりたい気分ではあったが、諸々の方向に問題になってしまうため、ぐ。と、耐える。
「大きな荷物があるようでしたら私が車を出すか、引っ越し費用はこちらで負担します。特になければ必要な物を纏めるだけでも結構。出来次第ご連絡下さい」
「えぇ、えぇ、勿論、直ぐにでもやらせますわ」
 『やらせる』か。
 この保護者とジャン、二人の内情は知らないため、どこまでも想像でしかないが、一々、引っ掛かる。
 見合いの最中に聞いていた言葉も、『勉強でもスポーツでも一番に成れない駄目な子でして、オメガだからなんて言い訳ばかりして努力もしないんですよ。家事をやらせても下手糞で何の役に立ちませんし、オメガしか取り柄しかない本当に恥ずかしい子なんですけどね、いい方とご縁が持てて良かったですわ』
 一部を抜いただけでもこれだ。ジャンを悪し様に言い、俺を持ち上げる。相対的に評して相手の優越感をくすぐり、心地好くさせる手法ではあるが、俺からすれば何一つとして嬉しくない。それよりも、隣で聞いているはずのジャンはまるでその場に居ないかのように無表情で、人形を彷彿とさせる様子の方が気になった。
「今後とも宜しくお願いしますわね」
 ジャンの保護者で仲人の女性は実に機嫌良く帰り、俺の見合いは続行する形になった。
「おいおい、リヴァイよぉ、軽率に請け負っちまっていいのかぁ?」
「ケニー、禁煙スペースだ、消せ」
「ちっ、口うるせぇなぁ……」
 臭い煙を吐きながら、俺の後見人である伯父のケニーが話しかけて来た。
 スーツを着ていても隠せない柄の悪さ、どこぞのチンピラかマフィアかと言った様相ではあるが、これでも要人警護を務めるセキュリティポリスだ。
 ケニーが携帯用の灰皿に煙草を入れて消火し、で。と、切り出す。
「本気であの陰気そうな餓鬼と結婚する気か?まぁ、陰気なお前とはお似合いかも知れねぇがな」
「お前も見ただろうが、あの女はジャンの側に置いておくべきじゃない。ただの後見人の引継ぎみたいなもんだ。……あんたの真似でもしたいのかもな」
 ケニーは俺が見合いに全く乗り気でなかった事を知っているため、茶化すような発言はしたが、ジャンを引き取ると言えば、鼻で笑いはしたものの何も言わなかった。

 俺は父親の解らない私生児で、母さんは幼い頃に病気で亡くなり、頼る親戚もなかったため、身寄りのない子供を保護する施設に入っていた。そこに、伯父を名乗り、引き取ってくれたのがケニーだった。
 女手一つで俺を育てていた母さんに遺すような資産はなく、また施設でも虐待などはされておらず、ケニーも口は悪いが悪い所を悪いとはっきり言うだけで、上手くやれば褒めてくれる寛容さはあったため、ジャンとは状況は全く違うが、『放っておけない』と、思った。

 見合いをしてから三日ほどで準備が出来たとの連絡が来て、業務を終え次第、職場を出て乗用車を走らせる。
 教えられた住所まで迎えに行けば、一軒家の玄関先でスポーツバッグと通学用の鞄を持ったジャンがぽつん。と、立っていた。
「他の大人はどうした?」
「どこかに用事があるそうで……、すみません」
「分かった、荷物はそれだけか?」
 ジャンは黙って頷き、俺は呆れ返りながら自分の扉側の機械を操作して車の鍵を開け、所在なく立ち尽くしている子供を迎え入れる。
「助手席でいいんですか?」
「後部座席がいいならそれでいいが?」
「いえ……、すみません」
 謝り癖があるのか、こちらが何かを言えば謝っている。この年代の子共はもう少し、我儘なものではないのか。
 荷物の少なさも引っ掛かる。引き取り先が決まれば後は無用とばかりに見送りもない情の希薄さも。信頼して自由にさせるものと、ただ無関心な放置は一見して似ているようだが違う。

 自身の経験から言えば、ケニーは粗暴で、これで良く要人警護などが勤まるものだと感心するような悪辣な人間ではあるが、俺に生きるための術を教えてくれ、不器用ながらも愛情を注いでくれた。そのお陰で今の俺がある。
 だが、ジャンはどうだろう。他人と視線を合わせようとせず、視線は宙を彷徨うばかり。どこか人に怯えているようでもあり、全くの無関心にも見えた。
「どっちでもいい。乗れ」
「はい」
 車を走らせ、自宅のマンションへと向かう。
 十階建ての1DKマンションの中は単身者用とあって決して広くはないが、ほとんど寝に帰るだけの家であるため、困った事はない。
「ここの三階の三〇五だ」
「解りました」
 合い鍵を渡し、ジャンはそれを無感動に見詰める。
 心を閉ざしてしまっているのか感情の起伏と言うもの碌に見られない。

 鍵を開けて中に入り、簡単に部屋の説明をする。
 玄関から入って目の前には靴箱。隣には小さな物入。
 短い廊下の先には扉があり、開ければダイニングキッチン。
 洗面室と一緒になった浴室と、トイレは別でダイニングから入る扉が二つある。
 もう一つ奥の部屋はバルコニー付きの洋室になっており、寝室にしていると説明しておく。
「ベッドは今日の内に買いに行くか」
「いえ、別に俺は床でも……」
 俺は眉を顰め、荷物を置かせると直ぐに家を出て移動する。ベッドを組み立てる時間はないと判断して広げれば横になれる座椅子式のソファーベッドを買った。良く解らないが、店員が勧めて来た食パンの形をした手触りが良く、マットの質の良さそうな物だ。
 服屋に連れて行って好きな物を買えと言った。が、困ったように眉を下げ周囲を見回すばかりで何も自分では決めない。仕方がないので店員を呼び、ジャンに似合うようなものを選んでくれと頼み、勧められたものを寝巻も含めて全部買った。
 買った物を全て車に詰め込み、帰宅する。
「あ、あの、買い過ぎじゃ、いえ、不満とかじゃないんですけどっ、その、ベッドも高かったし……」
「きちんとした身の回りの物がないと困るだろう」
「あ、そうですよね、すみません」
 俺の言葉をどう解釈したのか、ジャンは助手席で俯いた。
 何を考えているか解らず、また、どう言えばいいかも思いつかなかったため無言でマンションまで帰り、大量の荷物を持ってエレベーターで三階まで登る。沈黙が煩わしいと感じたのは初めてだった。
「あの、ありがとうございます。ここまでして戴いて……」
 寝室に食パンのソファーベッド、衣服類を置いて一息吐いているとジャンが深々と頭を下げ、やはり子供らしくないと感じてしまった。
「あー、あぁ……、気にするな。もういい時間だし、食いに行くか。出前がいいならそこにチラシがある」
「材料があれば作りますが……、家事はいつもしてるので……」
「毎日か?」
「はい、ご飯とか掃除とか、あ、でも上手ではないんですけど……」
 あの女、やたらジャンが何も出来ないと言う割にこき使っているような気はしたが、予想通りだった。
「悪いが事前に言ったように俺は滅多に帰って来ないから料理をしない。そもそも材料を置いてないんだ。茶を淹れたり、簡単な洗いものくらいならするが……、今から食材を買いに行くか?」
 冷蔵のみの四角い冷蔵庫を開けけば中身は、紅茶の茶葉、ミネラルウォーターと、少しの調味料しか入っていない事を言えば、ジャンは想像もしていなかったのか、中身を信じられないとの面持ちで眺めていた。
「そう、なんですね……、どうしましょうか」
「今から買い物に出て作るのも時間がかかる。材料は明日でいいだろう。今日は好きな物を選ぶといい」
 毎回、使っている出前のチラシを広げると、不安気な眼差しで見上げてくる。
「いいんですか?」
「いいと言っている?」
「あ、すみません……」
「謝らなくていい」
「すみま……、はい」
 本当にどんな扱いを受けて来たのか。
 好きに選ぶように言うと、決めきれないのか焦りながら何度も俺を見上げてくる。
「ゆっくり選べ、急かしはしてない」
「いっぱい……、あり過ぎて」
 泣きそうな表情。
 まさかとは思うが、碌に選択権を与えられていないのか。
 だから、何を決めるにも俺の様子を窺い、委ねるか、機嫌を損ねない選択肢を選ぼうとする。などと言う発想は飛躍し過ぎか。
「若いなら、ピザとか好きなんじゃないか?中華でも洋食でも何でもあるにはあるが……」
 写真付きの物が解り易いかと思い、写真の多い派手なチラシを見え易くダイニングテーブルに並べていけば、あ。と、ジャンが小さく反応を見せた。
「食べたい物があったか?」
「こ、これ……、が、いいです」
 ジャンが指差したのは、でかでかとメイン料理のオムハヤシが載ったチラシで、暗く沈んでいる目が幽かにだが輝いて見えた。好物なのか、覚えておこう。
「じゃあ、これを頼むか。付け合わせにサラダでも頼もう」
「ありがとうございます」
「ん……」
 ぎこちなくはあるが、いきなり打ち解けろと言うのも酷だろう。
 電話で出前を頼み、来るまでソファーベッドを箱から出したり、服のタグを切ったりと時間を潰し、大して入っていないクローゼットの一角を空け、ジャンに提供する。

 程なくしてインターホンが鳴り、温かい料理を受け取ってテーブルに並べてからジャンを呼べば、オムハヤシを見た瞬間、ジャンの目がぱち。と、瞬いた。
「立ってないで食え」
 俺が促すと席に着き、そわそわ落ち着きなく匙を持って頬張れば、ジャンの表情が初めて綻ぶ。美味しいらしい。
 笑えば年齢相応に見え、食べ方は丁寧ではあるが、腹が空いていたのか食べる速度は速い。食べている間に紅茶を用意してやり、食べ終えれば料理が入っているパックを捨てて片づけ、ふと時計を見れば既に九時を過ぎていた。
「飲み終わったら風呂に入るといい、後は俺が片付けておく」
「は、はい……」
 ジャンが俄かに緊張し、寝室に入ると衣服を手に戻ってくる。
「タオル類は扉の横にある箪笥に入ってるから自由に使え」
 単身用とあって脱衣所などはなく、俺が居ると脱ぎ辛いだろうと一旦寝室に入り、自分の服を用意しながら扉の音に耳を澄ます。
 扉の開閉音から入った様子を察し、ダイニングに戻るとのんびり紅茶を入れ直し、一息吐いた。元々がかなりの潔癖な性質である俺に、他人との同居が出来るのか不安ではあったが、ジャンに不潔な印象は受けず、何とかなりそうに思えた。
 潔癖と言っても、目に見えない雑菌が気になる潔癖ではなく、物が乱雑に散らかっている。解り易く汚れている。埃などの目に見える物が気になる性質だ。偶に家に帰ると積もっている埃に辟易しながら、休日を掃除で過ごす羽目になり、より帰宅が憂鬱になっていたのだが、誰かが常に家にいる状態であれば改善出来る可能性を期待する。
「あ、すみません……!」
 扉が開く音に、つい視線をやってしまい、全裸で立っていたジャンと目が合い、お互いに気不味く、ジャンに至っては驚いたのか慌てて扉を閉めて浴室に引き籠ってしまった。時間を見れば入ってから十分程度、きちんと洗えているのか少々気になる。烏の行水と言う奴か。
「少し出てるからその間に服を着てくれ」
 浴室の扉を軽く叩き、中へ呼びかけてから寝室ではなく、玄関側の廊下に向かい扉を閉めれば薄暗く、ひんやりとした空気が肌に染み渡る。
「あの、服着ました。お見苦しい所を見せて申し訳ありませんでした」
「いや、気が利かなくてすまなかった」
 二人して恐縮してしまい、妙な空気が漂い出し、何かを言わなければと思うほど頭が白くなり、無駄に口を開けた間抜け面を晒してしまう。
「髪はちゃんと拭け。床に水が落ちる。ドライヤーはタオルが入ってる棚の下だ。洗濯機はバルコニーに置いてあるから入れておけ」
「解りました」
 慌てて拭いたせいかジャンの髪から水滴が垂れ、頬を伝う様を見てドライヤーの存在を思い出した。優しく指摘しようとしたら、ほとんど子供と接する事がない経験のなさか、部下に対する言い回しとほとんど変わらず、ぶっきら棒な物言いになってしまった。
 俺に注意をされたからか、ジャンは慌てて浴室の脇にある箪笥を探り、タオルとドライヤー、脱いだ衣服と使用済みのタオルを持って寝室に飛び込んで行く。何と言えば良かったのか。困った。引き取ると豪語した癖に、会話の仕方が判らないとはお笑い草だ。
 一先ず、頭を落ち着けるためにシャワーを浴び、腰にタオルを巻いただけの状態で髪を拭いたタオルを首にかけて暖房の効いた部屋でビール缶を開けた。
 明日、部下にでも相談してみるか。子供との接し方を教えて欲しい。などと言えば笑われるだろうか。

 そう時間もかからずビール缶は空になり、服を着ていないため肌も若干冷えた。
 寝る前の支度を済ませ、下着を身に着けてから寝室に入ると、ジャンが買ってやった食パン型のソファーベッドの上で明かりも点けずに座っていて心臓が少々縮んだ。
「何をしてるんだ?」
「あ、えっと、その……、不束者ですが宜しくお願いします」
 ベッドに手をつき、ジャンは俺に向かって頭を下げる。
 随分と古風な作法だが、どこで覚えたのか。これもあの後見人の女性に叩き込まれたのだとすれば、子供に何を教えているのかと胸ぐらを掴んで問い詰めたくなる。
「子供がそんな真似しなくていい。早く寝ろ。春休み中とは言え、不規則になるのは良くない」
「えっ、……そう、ですね」
 俺がクローゼットを開け、寝巻を着込んでいると見合いの時に見せた呆気にとられた表情をジャンがしていた。何にそこまで驚いたのか。失言はしていないはずだ。恐らく。
「じゃあ、お休み」
「はい、お休みなさい」
 ベッドに入り、ここに住み出して初めて使った『お休み』は酷く違和感があった。だが、返事が返ってくるのは悪くない気分で、程なくして聞こえて来た寝息に安堵しながら目を閉じる。ここに居る時くらいは、気を抜いてくれるといいが。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 まだ空に月が昇っている深夜、トイレへ行こうとすると柔らかいものを踏んでしまい、寝惚けていた頭が一気に覚醒する。
 小さく聞こえた呻き声は、非常に痛そうな声だった。
「すまん!大丈夫か⁉」
「は、はい……」
 真っ暗な中で触れたジャンは、腹を押さえ、体を丸めているようだった。表情は窺えないが、隣で寝ているジャンの存在を忘れ、かなり思い切り踏んでしまったからには痛みも相応だっただろう。
「あの、もうそんなに痛くないので大丈夫です」
「しかし、内臓を痛めてたりしたら」
「ほんとに大丈夫です。寧ろ目が覚めたんで丁度良かったです」
 万が一、俺がこんな起こされ方をしたら相手の足首を掴んで引き寄せ、首を極めるくらいはしそうなのだが、ジャンは怒るどころか俺を宥めにかかり、落ち着かせようとまでして来る。人間が出来ているのか、俺を怒らせたくないがための方便か。
「すまなかった。以後気を付ける。具合が悪くなったら言え」
「次は邪魔にならない所で寝ますね」
 ジャンの解決策は間違ってはいないのだが、どこかずれている気がして俺は眉を寄せる。外からの明かりは乏しく、室内も暗いため互いの表情は見えないものの、噛み合わない空気に居心地の悪さを感じた。
「あ、今何時ですか?」
「二時くらいだな」
 ベッドの頭に置いてある文字と針が光る目覚まし時計を顧みて答えれば、ジャンは困ったように呻る。
「もうそんな時間なんですか。じゃあ、朝ご飯作ってからバイトに行ってきますんで」
「バイト?こんな時間にか?」
 訊けば新聞配達のアルバイトをしているらしかった。それこそ小学生の頃から。あの後見人の知り合いが営んでいる新聞販売店で学校からも近く、届いた新聞の荷下ろしから手伝い、チラシを折り込み、近辺に朝刊を配った後に学校に行き、夕刊も配っているそうだった。
「質問だが……、何か欲しい物があって自分の意思でやっているのか?」
「学校に必要な物を買ったり、自分の身の回りの物とか、家の食費とか賄ってます。自分の事は自分でしろって言われてるので」
 頭が痛くなってきた。
 ジャンが、これをどんな表情で語っているのか全く想像が出来ない。
「あ、日曜はお休みですし、テスト期間は免除して貰ってますから、成績は何とか……」
「そうじゃない……」
 この感情は何と表現すればいいんだ。
 憤怒か、憐憫か、焦燥か、嫌悪か。様々な感情が渦巻いてどうしようもなく苛立つ。
 あまり詳しくはないが、正式な後見人であれば児童手当、遺族年金等も受け取れるはずだ。子供を働かせて何をしてるんだ。あの女は。周りも疑問に思わないのか。何故。
「今直ぐに辞めろ。金が必要なら俺に言え」
「え、でも……、急に辞めたら社長も困られるでしょうし」
「じゃあ、減らせ。せめて朝はゆっくり寝ろ」
「でも……」
「お前が言い辛いなら俺が話をつける。連絡先を教えろ」
 俺が言い切ってもジャンはぼそぼそと、でも。を繰り返す。
「何だ?」
「余った分は、渡さないと怒られますし……」
 頭が沸騰しそうだ。
 顔が見えなくて良かった。
 恐らく、今の俺は、とても人に見せられない顔になっている。
 あの女は叩けば叩くほど埃が出そうだ。未成年後見人の立場を強制的に解任はさせられないのか。熱くなった頭を抱え、苛立ちや焦燥が表面にまで噴出してしまい、指が頭皮をがりがりと掻く。
「あの、すみません。直ぐご飯用意して、出ますんで、もう遅刻しそう……」
「行かなくていい、連絡先を教えろと言っている」
 立ち上がろうとする気配を察し、ジャンの肩を掴んで詰め寄れば、息を呑む音がして掌から、体が固くなった感触が伝わってくる。怯えさせたくはないが、自分がどれだけ有り得ない状況に置かれているかの自覚が全くないジャンへも苛立っている。
 仕方がないのだろうとは思う。一度、『当たり前』になってしまった認識を改めるのは難しい。殊更、子共であれば知識のなさから、大人に言われた物事を素直に信じて『そう言うものだ』と、考えてしまうのも無理はない。保護される立場では、他に選択肢もないのだから。
「兎に角、俺を信じろ」
「わ、かりました。電話番号は……」
 枕元に置いてあったスマートフォンを手に取ると、ジャンが言う番号を入力し、間違いがないかを確認させてからコールする。
「ここに居ろ」
 ジャンに聞かせるような話ではないため、直ぐに寝室から出て玄関側の廊下へと向かい、機嫌が悪そうに電話に出た男へと話をした。
「新しくジャンの保護者になった者だが、今日付けで辞めさせて欲しい」
『何ですか急に、困りますよ。ジャン君は長いから外せない戦力になってますし、大体ね、働かせる事に関しては親御さんにも許可を取ってて、本人もお小遣いが欲しいからって……、大体あんた、どちらさんで?』
 不審がられるのも、無茶を言っているのは理解しているが、譲る気は毛頭なかった。
「ジャンの婚約者だ。そこから出た給金は小遣いではなく、全て親が搾取している」
 飽くまで暫定的である事は省き、あれを『親』。などと呼ぶのも虫唾が走ったが、今はそこに拘っている場合ではなく、利用出来るものは利用して現状を変えなくてはならない使命感に駆られた。
『どう言う事でしょう?』
「社長が居るなら社長を出してくれ、配達前の忙しい時間に悪いとは思うが、大事な話だ」
『私が社長です。お話し下さい』
 電話を取った人間が社長なら話は早い。
 つい最近婚約した事と、給金の使い道をジャンから直接聞いたと前置きしてから、実情を話す。
 社長は無言で聞き、考え込んでいるようだったが、出てきた言葉は、困ります。だった。話し方から、もっと聞く耳があるかと感じたのは思い込みだったか。内心落胆しながら怒鳴りそうになる感情を懸命に抑え、言い分を聞く。
『いえね、そんなにお金貯めて何に使ってるの?とか他の社員に揶揄われたりしても、はっきり言わないから変だとは思ってたんですよね。でも頑張り屋で悪い事するような子じゃないし……、取り敢えず、事実関係を確認したいので時間を下さい。悪いようにはしませんので、今日はお休みと言う事にしておきます』
「あぁ、それもそうか……」
 頭に血が上り過ぎていたか。
 突然、知らない人間が婚約者を名乗り、辞めさせろ。なんて強引な真似を一々、真に受けていれば社長などは務まるまい。無礼を詫びてから電話を切り、深呼吸をした。
「あの、社長はなんて……」
 寝室に居ろとは言ったが、どうしても気になったのか、ジャンがこつこつ。と、小さく扉を叩き、向こう側から話しかけてくる。
「今日は休んでいいそうだ。気にせずゆっくり寝るといい」
「あ、そう、ですか……」
「不服そうだな?開けるぞ」
 扉を開け、ダイニングの明かりを点ければジャンが眩しそうに目を閉じ、闇に慣れ切っていた俺の目も眩んだ。苛立ちを引き摺り、目を細め、眉間に皺を寄せた顔は凶悪になっているだろう。
 自分の上司のように、表情を簡単に切り替えられる性質なら無駄に怯えさせずに済むが、残念ながら俺の作り笑いは逆に怖いからいっそ無表情で居ろ。と、お達しを貰うほどだ。
「休んだら他の人の迷惑ですし、あの、困るし……」
「社長自ら休んで良いと言った。何か問題があるか?それに、お前は搾取されてるんだぞ。さっさと辞めて離れるのが正解だ」
 俺はジャンより年上ではあるが、身長に関しては一六〇センチと大して高くはない。対してジャンは俺よりは十センチ以上は高く、容易に下から表情を覗けてしまう。
「何でそんな事するんですか、酷いです」
 訝し気に眉根を寄せ、見上げていればくしゃ。と、ジャンの顔が歪み、大粒の涙が零れた。
「酷い?」
「一緒に働いてる人は皆、優しくて、社長も可愛がってくれて、奥さんもいつも頑張ってるね。って毎日、朝ご飯用意してくれて……」
 社長の様子から、もしや。とは思っていたが、俺は思い違いをしていた。
 幼い頃からジャンをこき使い働かせる、あの女の賛同者かと最初は考えていたが、ジャンにとって疑似家族のような、心の置き場所になっていたのだとしたら。俺の一連の行動は失敗したと言わざるを得ない。
 きゅ。と、唇を噛んでジャンが浴室へと飛び込み、中から鍵を閉めてしまった。中から泣いている声が反響して聞こえて来る。

 ジャンの意思を無視して傲慢な正義を押し付ける。
 俺まで毒になってどうするのか。

 ジャンの泣き声を聞きながら、電気ケトルに水を入れ、湯を沸かす。
 こんな事をしている場合かとは思うのだが、どうしていいか何も考えつかないと人間、普段の慣れた行動をするんだと初めて知り、忘れていた尿意まで戻って来てトイレに入る。情けない。

 どれくらい時間が経ったか、淹れた紅茶も飲まずに座っていれば、泣く声が止まり、水音の後に浴室の鍵が動いて扉が開く。
「過ぎた口を利いて申し訳ありませんでした。もう我儘は言いませんので、末永く宜しくお願いします」
 ジャンが床に手を置き、頭を下げてくる。
 俺が閉口していると、ぽつ。と、床についた手に水滴が落ち、泣いているように見えた。が、顔についていた水が流れ落ちただけで、目は渇いていた。
「俺は……」
「いいんです。俺は貴方の所有物ですから、好きにして下さいと言ったのは俺自身です。ちょっと濡れたんで着替えてきますね」
 いきなりしでかした。
 額を押さえ、舌を打つ。
 子供から搾取する事しか考えていない大人から引き離し、保護するだけのつもりが差し出がましい真似をした。もう少し話を聞くべきだった。後悔しても既に遅く、時間は戻らない。馬鹿が、正義を気取る英雄にでもなったつもりか。
 あんな悲しい言葉を使わせたくなくて引き取ったはずが。
「糞が……」
 抑え切れずに漏れ出した自身への悪態がより自分に突き刺さる。
 寒い中で思考に耽っていれば、ぽーん。と、柔らかい音がスマートフォンから鳴り響き、起床の時刻を告げる。時間は五時。いつも起きている時間だ。
 アラームを消し、静かに寝室に入れば顔を洗ったために濡れた寝巻から学校のジャージに着替えたジャンが、食パンのソファーベッドを壁にぴったり添わせて布団の中で丸くなっていた。寝ている場所にダイニングの明かりが当たらないよう全部は開けず、眠る顔を覗き込めば泣き腫らした顔をしており、胸が痛んだ。
 ジャンの周囲に在る者は全て敵とばかりに咬みつく馬鹿犬か。俺は。
「すまん、これからはお前の言葉にも耳を傾ける。赦してくれ」
 眠る人間に謝罪をしても無意味とは知りつつも口にして、着替えてから家を出る。
 一応、金と簡単な書置きは残したが、どれほど真意が伝わるものか。

 一つ。置いてある金は食材の購入、出前を取るための金であり、自由に使っていい。
 二つ。家の物は遠慮せずに好きに使っていい。
 三つ。簡単な家事をして貰えれば助かる。
 四つ。出来得る限り帰れるようにする。

 家を出る前に思いついたものを書き記したが、ジャンがどう受け取るか不安で仕方がなく、また、寝不足が祟っていつも以上に顔が凶悪だと揶揄られた挙句に、銃火器所持の犯罪者が人質を連れ、立て籠もり事件を起こした。と、想定した訓練で犯人役にされ、散々だった。
「リヴァイ、迫真に迫る演技は結構だが、隊員の半数をしばき倒すのは感心しないな。医務室が繁盛し過ぎているぞ」
 食堂で昼食をとっている最中、上司であるエルヴィンに訓練でのやり過ぎを、さら。と、注意されてしまった。
「銃火器を持ってても、それに頼らない武闘派の犯人も居るかも知れねぇだろ。毎回、犯人役が大人しく制圧されてたらそれこそ訓練にならねぇよ」
 鼻を鳴らして屁理屈を言い、顔を背けながら聡い上司の視線を避ける。
 エルヴィンは俺が朝から慙愧と後悔に苛まれ、感情を乱していた事に確実に気付いており、訓練にかこつけて必要以上に暴れ、設備を壊したり、向かってくる部下達を憂さ晴らしに蹴散らした事は看破されているだろう。
 一つ言い訳をするならば、蹴散らしたと言っても大きな怪我はさせていない。軽い打撲くらいはしただろうが訓練の範疇から大きく外れてはいないはずだ。幾ら神経が逆立っていても、可愛い部下を無駄に痛めつける趣味はない。
「例の子と、何かあったかい?」
「何もねぇよ」
 紙コップの淵を鷲掴むように持ちながら食後のお茶を飲み、エルヴィンの質問を躱す。
 見合いをした翌日、餓鬼を引き取る事になった。これからは帰宅が増える。仕事に支障は出さない。とだけ伝えていた。しかし、早速起こった変化を見逃さず、突っ込んでくる辺り性質の悪い上司だ。部下のプライベートを守れ。
 周囲に居る部下達も、一気に静かになり、俺達の会話に耳をそばだてている辺りも気分が悪い。
「まぁ、そうかりかりするな。皆お前の浮いた話に興味津々なんだよ」
「浮いた話なんざねぇよ。ただ留守番に餓鬼を引き取っただけだ」
 護ろうとした子供を護るどころかしでかした。などと言えるはずもなく、不機嫌を装って跳ねつける。
「ふぅん。お前がそう言うならそれを信じるけどね。ふふ、そんなに感情を乱しているのは珍しいから、つい突きたくなるな」
 腕を組み、エルヴィンはにやにやと笑いながら俺を見ている。目潰しでもしてやりたい。
「下世話な詮索は止めろ。不愉快だ。午後の訓練はてめぇの暗殺防衛にでもするか?無論、俺が犯人役だ」
「はは、怖いなぁ、勘弁してくれよ」
「なら黙ってろ」
 エルヴィンと俺は上司と部下であり、司令塔と実働部隊を率いる者として上下関係は弁えているものの、長い付き合いとあって言葉に遠慮はない。こうして二人で話す際は実に砕けたものだ。
「で、何をやらかしたんだい?」
「しつけぇな……」
 話すにしてもこんな衆目に晒されている場所で出来るものか。
 絡んでくるエルヴィンを無視し、中身を飲み終えた紙コップを握り潰して席を立つ。
「振られたか」
「振られて仕舞ったよ」
 食事が乗ったトレイを持ってミケが無表情で判り辛い冗談を飛ばせば、エルヴィンが即座に乗っかり、肩を竦めて薄笑いを浮かべる。午後もこいつら相手に暴れてやろう。

 訓練も滞りなく終わり、出動要請も特にはなく、家に帰る事が出来た。
 部屋に入るために鍵を開け、取っ手を握る手が、じわ。と、汗ばんで心臓が早くなってくる。最近、出動しても感じなかった緊張だ。
 ゆっくり息を吐き、手に持った大荷物を抱え直して扉を開け、自宅だと言うのにそろそろと入って行く。外廊下まで流れてはいたが、より強く鼻腔をくすぐるのは食欲を刺激するカレーの香り。
「お帰りなさい」
「あぁ、これ……」
 両手に抱えても余るほどの白い箱をジャンに渡せば、少しだけ首を傾げていた。
「開けていい」
 俺が許可をすると箱をダイニングテーブルの上に置き、開けば感慨深そうな声を漏らした。
「どうしたんですか?」
「今朝の詫びと言うかな……」
 閉店間際のケーキ屋へ寄り、ジャンの好みが判らなかったためショーケースに入っていたケーキやプリン、シュークリームを全て一つずつ注文して買ってきた。昔、ちら。と、見たドラマの真似ごとではあるが、まともに詫びもせずにこんな物で懐柔しようなど、馬鹿にするな。と、寧ろ怒らせる可能性すらある方法だ。
 相変わらず気不味くて、どう言えばいいかも良く判らず口籠れば、ジャンが真っ直ぐに俺を見詰めてくる。
「今日、昼に出て社長と話しました。給料の使い道とか、働く理由とか色々訊かれまして、話してる内に、社長が朝、貴方があんな行動をとった理由も判らなくないと仰ってました」
「早急に何とかするべきだと思ったんだ……」
「社長もそんな子が居たら、職場に苦情くらいは入れるかも。って笑ってらっしゃいました」
 笑い事ではないのだが、俺のやりたかった事は、件の社長が噛み砕いてジャンに伝えてくれたようだった。普段から交流がある人物と、ぽっと出の他人、どちらに対して聞く耳を持つか。などは自明の理だ。
 今回は、社長の大人の対応に助けられた。
「バイトの事なんですけど……」
 俺が胸を撫で下ろしていると、ジャンがケーキを仕舞いながら口火を切りはしたものの、美味い言葉が思いつかないのか視線を右へ左へと彷徨わせる。
「婚約の事も訊かれて、俺がオメガだって事も言ってなかったので色々心配して下さって……、やっぱり辞めたくないと言いますか……」
 言葉はたどたどしく、声はどんどん小さくなり、目が不安気に揺れる。
 あの家では、自己主張は許されていなかったのか。俺が黙っていれば『やっぱりいいです』と、自ら言ってしまいそうだった。
「やりたいなら無理に止めはしないが、毎朝二時に起きて、家事までして学校で勉強は出来てるのか?」
「授業以外は大体寝てますけど大丈夫です」
「ふむ、一日の流れはどんなもんだ?」
「朝は二時起きで簡単におばさん達の朝ご飯とお弁当を作って、バイト行って、そこでご飯食べさせて貰ってから学校行きます。学校終わったら一旦家に帰って洗濯物とか、朝に出た洗い物片づけたり、掃除して、終わったら夕刊配って、それ終わったら夕飯作って、次の日のお弁当の仕込みして、ちょっとだけ復習して寝ます」
 長期休み期間中だけのアルバイトならまだしも、学校に通い、家事を一手に任されながら働くなど、下手な大人より働いている気がしたため訊いてみたが、内容は案の定のもの。
 俺の学生時代を思い浮かべてみるが、少なくともここまで忙しくはなかった。ケニーが仕事で居ない間は好きにしていたし、慕ってくれる仲間もそれなりに居た。
 それがどうだ。ジャンは自分の時間などは皆無で、これでは友達も出来ないだろう。あの女は何を考えているのか。ジャンの人生を食い物にしているとしか思えない。
「いいか、良く聞け。俺はいわゆる危険職だ。いつ死ぬか判らねぇ仕事をしてる。幾ら強固な特殊スーツを着ていても、岩に潰されたり、頭を撃ち抜かれたり、強力な砲弾や爆弾を食らえば死ぬ。必ずここに帰ってくる保証はない。だから先々まで責任は持てない。持てないが、俺が生きている限りは金や帰る場所の心配なんぞしなくていい。金を受け取る事もない。俺が居ない家でも自由にして構わない。以上の理由から、ここに居る限り、お前が自分を削って働く必要性は皆無だ」
 一気にまくしたてたら疲れた。
 小さな冷蔵庫から水の入ったペットボトルを出し、喉を潤していく。
「社長と話し合ってみます……」
「そうしろ。学生の本分は勉強だ」
 友好関係であれ、学校で学ぶ勉強であれ、経験して無駄なものなどは一つもない。
 苦労は買ってでもしろ。との格言は、要するに、得た経験は無駄と思っても何かしら役に立つ場合があると言う事だ。持論として、金と経験と知識は幾らあっても無駄にはならない。
「あぁ、後、ケーキは全部お前が食え」
「えっ……、こんなにあるのに」
 十個以上はあるであろう甘味を一人で。と、言われてジャンが目を剥いた。
「お茶請けにいいじゃないですか?」
「一個くらいなら食うが……」
「甘い物はお嫌いなんですか?」
「三十路の胃袋は油に弱いんだ」
 ならば、何故こんなに買ってきたのか。そう言いたげなジャンの視線。理由は口を噤んでおく。
「少しずつ食べますね」
 ふ。と、ジャンが柔らかな、子共でもない、しかし、大人でもない柔らかな表情を浮かべて笑う。
「ありがとうございます……、えっと……」
「どうした?」
「お名前、呼んでもいいですか?」
「あぁ、構わない」
「ありがとうございます、リヴァイさん」
 呼んではみたものの、実にぎこちない。
 考えてみれば、俺もジャンの名前をまともに呼んだ記憶がない。
 一緒に住んでいるのにお互いの名前も呼び合えないのは可笑しいな。
「ジャン、これからも宜しく頼む」
 名前を呼ぶと、ほんのりとジャンの頬が上気し、唇を引き結ぶ。
「はい、俺の方こそ宜しくお願いします」
 前途多難な同居生活。
 出来得る限り、波風を立てないよう努力はしたい所だが、そう上手くいくだろうか。
 不安を残しつつ、お茶を淹れるために電気ケトルに水を入れ、設置していればジャンが苦心しながらケーキを冷蔵庫に入れていた。箱ごとは入らなかったため、皿に小分けにして入れている。大型冷蔵庫も買ってくるべきか。
「あ、カレーとポテトサラダ作ってあります」
「美味そうな匂いだな」
「お口に合うといいんですが……」
 ジャンが温めたカレーをご飯の上によそい、俺の前に差し出す。
 見た目はごくありふれたものだ。
「悪いな作って貰って」
「いえ、毎日外食も大変そうですから」
 外食の利点と言えば、家に材料を置く場所が要らず、台所も汚れず、片づける手間がない所だ。家で作る利点は、やたら凝ったりしなければ総合的に安価に済む事と、自分好みに作れるところか。手間は増えるが。
「無理はしなくていいからな、きつい時は出前でも、食いに行ってもいい」
「はい、ありがとうございます」
 言いながら、カレーを口に入れるとスパイシーながらも舌が痺れるような辛さはなく、カレー自体の味をしっかりと感じるものだ。辛さを売りにした唐辛子臭いカレーや、逆に刺激が全くない甘いばかりのカレーは嫌いだったが、これは好みだった。
「美味いな」
「そうですか?良かったです。おばさんにはいつも駄目出ししかされないので、良く判らなくて……」
 これを駄目出し。
 冗談だろ。
「今まで食った中で一番美味いが?」
「本当ですか?コクが足らないとか、辛さがくどいとか、ルウがざらついてるとか、野菜が食べ辛いとか、どろどろしてるのが嫌とか……、大丈夫ですか?」
 褒めているのに不安気になるのは最早癖なのか。
 細かく刻み、しっかり火を通してルウに溶けるほど柔らかくなった野菜が食べ辛いなどは全くなく、鶏肉らしいものも小さく手で裂いてあるのか全く邪魔にはならない。
「専門の店が出せそうだな」
「はは、ルウは市販のをブレンドした奴ですからお店は無理ですよ」
 それを聞いて台所に視線をやれば、市販ルウの箱が三つほど置いてあり、寧ろ感心した。ルウは混ぜるものだったのか。
「ルウは全部同じだと思ってたな」
「会社によってスパイシーだったり甘味強めだったり、コク強めとか、特徴があるので、食べ比べも楽しいですよ」
 はにかみながら語るジャンは嬉し気で、自分の時間がないなりに、料理に楽しみを見出す姿は健気だった。
「さっきも言ったように無理はしなくていいが、次も楽しみにしている」
「はい……!」
 ジャンの声が弾み、顔が赤らんだ原因は、カレーのスパイスのせいばかりではなさそうで、俺を悪くない気分にさせた。

 やはり、子供は元気が一番だと思う。

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