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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

異形の魔術師と人間

・人外ジャンと人間のフロック(赤子~十歳くらい)のほのぼの?生活
・アルミンとマルコが友情出演で右ジャン要素あり
・2018/02/12






 どうしてやろうかね。
 そうぼやくのは森の中で隠れ潜むようにして生きる魔術師。

 名をジャン・キルシュタインと言う。彼の目の前には、蔓で編まれた籠の中に納められた赤子が居た。産まれて数週間だろうか。目すらまともに開いていない乳飲み子を、魔物や、獣が闊歩する森の中に置いて行った親を思い、形の良い眉を顰め、嘆息する。
 どんな思いで置いて行ったにしろ、不快感が胸の内に湧く。赤子は大きくは泣かないものの、愚図りながら手を宙に彷徨わせていた。ジャンが手を伸ばせば、触れるだけで簡単に折れてしまいそうな小さな手が指を掴み、険しかった表情が緩む。ジャンは何も知らずに温度を得て、安心してしまう赤子が哀れでならなかった。

 もしかしたら、親が後悔をして戻って来るかも知れない。ジャンが管理する森の中に勝手に異物を置いて行った事実は赦し難いが、それよりも、親の愛情と言うものを信じたかった。赤子を発見してからジャンは待ったのだ。森の獣が近づかないよう、凍えてしまわぬように周囲に微弱な結界を張って。
 しかし、親は戻って来なかった。暮れ出した空を見上げ、腹を空かせたために泣き出した赤子を拾い上げると、巨大樹に空いた巨大な洞を利用して作った自宅へと持ち帰った。適当に温めた山羊の乳などを与えてはみたが、これであっているのか、子育てを経験した事がないジャンには良く判らない。

「赤ん坊、何かに使えたっけ……?贄とか?」
 赤子をあやしながら不穏な発言をするジャンを咎める者は居らず、誰かが近くに居たとしても、発言を戒める者は皆無であろう。
 禁忌とも言える闇魔術を駆使し、人間よりは魔物に近い魔術師にとって、他の生物は使役するための道具であり、更に魔術の練度を上げるための触媒や研究材料に過ぎない。と、言うのが定説だ。
 肉食獣だけでなく、悪魔と契約を交わした魔術師や、魔物が住み着く呪いの森と呼ばれるこの森に捨てたと言う事は、食われようと、魔術師の研究材料にされようとも構わぬ、寧ろそうなった方が都合が良いからここを選んだ。と、判断出来た。だが、ジャンは僅かばかりの温情をかけた。
 前述の通り、親の愛情とやらを信じてみようとしたが、結果はこの様。故に、指を握る枯れ枝よりも細い指を手折ったとしても、痛みに喚くのは赤子のみであり誰の心も痛まないはずだ。
「ないか。まぁいっか」
 だったが、ジャンが他の魔術師と比べて、むやみやたらと殺生を好まない性質であった事が幸いし、赤子は運良く生き延びる事が出来た。名前は、行幸や、まぐれを意味するフロックと名付け、成長すれば、人間の街に買い出しに行く程度の小間使いの用には立つだろうと育て始めたのだった。

 計算外だったのは、赤子の世話は苦労の極みであった事。
 ジャンは少々育児を甘く見過ぎていた。乳を与え、適宜汚物の処理をして、寝かせていれば勝手に成長するだろう。と。
 拾ってから一か月ほどの時間ではあるが、三時間ごとに泣き喚き、乳を要求する赤子に寝不足になった。そればかりか乳を与えても、汚物を処理しても寝ない時があるのだ。
 それにもすっかり参ってしまっていた。人間と魔物の混血であり、強大な魔力を有する魔術師であるジャンだが、その実、生活のありようは自給自足で人間とさして変わらず、不老であっても不死ではない。殺されれば死んでしまうような脆い存在だ。
 人間との違いは、生きる時間の長さと使える魔術の強さが違う程度。森から魔物を出さないように管理している意外、何も特別な存在ではない。

 当然、呆けた頭では研究も、自らの世話もままならず、休める隙間があれば寝て、適当に乳粥を食べる毎日。森の外へ捨ててしまおうかとも考えたが、赤子を捨てた親と同類になる事は、ジャンの矜持が赦さず、実行には至らなかった。
「酷いもんだなぁ。君、ちょっと痩せたんじゃない?」
 そう言うのは人間ながらに魔術を学び、世界中を飛び回っているジャンの友人であるアルミンである。この森でしか取れない薬草を求めて訪ね、疲れ切っているジャンを不憫に思って代わりに赤子ことフロックをあやしてくれていた。
「まじで毎日、落ち着かなくて……、お前のくれた薬でどうにか持っている感じだった……」
 アルミンは、様々な草花から薬や毒を作り出す業を得意としていた。誰にも行き先を告げずに旅に出ては常人には使い道のない草、花、木の欠片を拾い集め、埃の積もった住処に戻っては薬の研究に没頭する。今回、偶々立ち寄ってくれたのは、行幸としか言いようがない。
 アルミンが分けてくれた疲労や、傷の回復するための薬のお蔭で体調はかなり改善し、一時的にでもフロックから解放してくれた事実が心労を和らげてくれた。が、それでも寝不足による芯からの疲れは取れず、ジャンは長椅子の上に横になったまま覇気なく話し、気を抜けば寝てしまいそうである。
「もっと早く使い魔を飛ばすなりして相談すればいいのにさ。僕より長く生きてるのに君は馬鹿だなぁ」
 ジャンを眺めながら、ぐさりと刺さる科白を吐いて、アルミンは。ねぇ?と、赤子に話しかけた。
「そんな余裕もなかったんだよ。ちょっとでも隙間があったら寝てたから……」
「比較的、何でも器用にこなす君がそうなるって相当だね」
 ゆらゆら力なくジャンは手を揺らし、こなすこなさないの問題ではないと言う。
「抱っこしてないと寝ないし、寝たからベッドに置こうとしたら、置いた瞬間目を覚まして泣くんだぜ。下手すりゃ何時間も泣き喚いて、乳でもおむつでもないならどうしていいか判んねぇし……、もう、俺は限界だ。座ったまんま寝たくねぇ。首とか腰とか抱えっ放しの手首とか全体的に体が軋んで痛いし、寝不足で頭も痛い、毎日吐きそうだ。後は頼む……」
 今日は比較的フロックの機嫌が良く、アルミンが来てくれたお陰もあって多少なりとは落ち着けているが、一人になればまた地獄が始まるのかと思えば弱音がぽろりと落ちる。
「ふーん、それなら僕の友人夫婦の所に連れて行ってもいいけど。孤児院も経営してるから、縁があれば引き取られるだろうし」
「そうしてくれ、俺に育児は無理だ……」
 赤子など、もう見たくもないとばかりにジャンは背を向け、やや聞こえよがしに大きく息を吐き出した。
「俺はちょっと寝る、もう、そいつ好きにしてていいから……、もう小間使いなんか要らん」
 自分の手から離れてしまえば無関係。後は幸せになろうが不幸になろうが関係ない。と、ばかりに大きな欠伸をすると、眠気が限界を迎え、ジャンの瞼が落ち始めた。
 ジャンを暫く眺めていたアルミンは、ほんの少し、苦笑気味に眉を顰めてから家から出て行こうとした。しかし、突如、腕の中でじたばたと暴れ、喉も裂けんとけたたましく泣き出したフロックにアルミンは驚き狼狽え、ジャンは条件反射で飛び起きて泣き叫ぶ赤子を見た。
「じゃ、ジャン、これどうしよう⁉」
「え、えっと、泣い、ええっと……」
 焦りながらアルミンは足を右往左往させ、問い掛けるが眠りに脳を侵されていたジャンは状況の判断すら出来てはいない。魔術師が二人も揃っていながら、たかだか人間の赤子一人に振り回され、惑う姿は中々に滑稽である。
「あ、この子、ジャンと一緒に居たいんじゃないかな」
 先に冷静になったのはアルミンで、家の中に向かって手を伸ばすフロックに気付き、脇の下に手を通して向ければジャンの方へ泳ぐように手をばたつかせ、寝ていた椅子の上に座らせれば一気に上機嫌になり、泣き止んでジャンの腕にしがみ付く。
「これは、他所にはもう行けないんじゃないかなー」
 けたけたと呑気に笑いながらアルミンは言った。
「もしかしてだけど、この子は捨てられてたんだろう?誰か、まぁこの場合君か、また捨てられたと感じて恐怖で泣いているんじゃないのかな?」
「はぁ?まだこんなちびだぜ?そんな判断力があるかよ」
「それでもさ、本能的な何かかも知れないし、この子が君に向かって手を伸ばしている以上、あり得ないとも断じられないだろう?まぁ、ちょくちょく様子見に来るし、何ならマルコにも伝えておくから、育児頑張って」
 アルミンは安堵したように笑い、慰め、元気づけるように両手で肩を叩き、まるで踊るような調子で扉から出て行った。その背中を絶望しながらジャンは眺め、隣で蠢く肉の塊。ことフロックを胡乱な目付きで見下ろす。
 先程の大泣きとは打って変わって、今は機嫌が良いのか両手、両足を複雑に動かして遊び、足先を持って腕を伸ばす柔軟の真似事でもしているようだ。
「一時間ばっか寝かせろ、いいな。俺は寝るからな」
 ジャンは一人遊びをしているフロックを引き寄せて背凭れ側に置き、落ちないよう自らを壁にして、クッションを枕に目を閉じる。暗闇の中、鼓膜を震わせる赤子語とでも言えばいいのか、フロックはあぶあぶ、うー、などと意味不明の声を出して返事でもしているようだった。
 ジャンは自分の汚物の処理も出来ない赤子に言葉の理解など求めてはいない。ただ、せめて頭がすっきりするまで大人しくしていてくれ。と、祈るばかりであった。

 数日後。
 ジャンの自宅に一人の男性が訪ねて来た。
 彼はマルコと言い、町の教会で薬師として働いているため、薬を扱うアルミンとも縁深く、連絡も早くいったのだろう。育児疲れで目の下に隈を張り付け、げっそりとしたジャンを見て自らも蒼褪め、泊りで面倒を見てくれるとの有り難い申し出に、一も二もなく頷いて涙が出そうなほど歓び、手放しで歓迎した。
「マルコ、本当に来てくれてありがとうな、飯うめぇ……」
「お粗末様。喜んで貰えて嬉しいよ」
 食事を作って貰い、泣きそう。ではなく、既に涙を浮かべながら食べているジャンを労わるように背中を軽く叩いて食料を纏めて置いてある保存庫への扉を潜っていく。
 畑に関しては土で出来たゴーレムに管理させているため問題ないのだが、保管している食料を管理をする余裕がなく、黴や腐ってしまった物も幾つか見られ、それを片付けに行ってくれたのだ。本当に気の利く奴だとジャンは独り頷く。
 マルコであれば、あのフロックも懐いてついて行ってくれたりはしないだろうか。ジャンはそんな儚い期待を胸に二人を見守っていたが、食事の後、マルコがジャンを休ませるために外へフロックを連れ出そうとして引き離せば愚図り出し、家の中には居れば収まった。これにはマルコも苦笑するしかない。
「森の結界もいい加減見に行かないと……、魔物が外うろついたりしてないか?」
「大丈夫、ジャンがしっかりしてくれてるからさ。ねぇ、いい加減、町に来たら?ジャンの事を誤解してる人も確かに居るけど、話せば解ってくれるよ。それで……」
「馬鹿言うなよ。何度も言ってんだろ、魔術で何でもどうにかなるとか思ってる馬鹿に無茶ばっかり言われて都合良く使われた挙句、出来なくなりゃ役立たずの化け物って迫害されるだけだ。俺はそんなもんごめんだね」
 自身の両親を脳裏に思い浮かべ、にべなく誘いを断り、マルコも言いかけた言葉を沈黙させた。

 魔術自体は便利ではあるが万能ではない。
 重病を多少なりとは癒す事は出来ても治せない、切れた腕を生やすなんて真似も出来はしない。
 当然、死者の復活なども余程の覚悟がない限りはあり得ない。動く知性のない死体でいいのであれば死霊術などもあるが、人間達が望むものはそうではないのだ。
 そして、対価も必要だ。主に術者の体力や精神力になるが、行使する魔術が強大になればなるほど負荷も大きくなり、魔力を確保するための道具、関連する触媒が必要になって来る。
 例えば、もしも、対価なく重傷者を治療しようとするならば、人間の術者であれば自らの命を削らなくてはならなくなり、場合によっては代わりに死ぬ。
 治療対象者を確実に救い、術者の命も護ろうとするならば動物の生血や肉と言った対価が必要となるのだが、多くの人間はそれを知らず、まるで何の対価もなしに全てが安易に得られる神の御業でもあるかのように利用しようとするのだ。実に迷惑な話で、物事の道理も解らない連中には話しても無駄であり、徒労でしかない。
 人ならざる魔術師であれば、無尽蔵とも言える膨大な魔力と、終わりがないように見える命で賄いは出来るが、いつか限界は必ず来る。

 フロックに乳を与えながらジャンの表情は重くなるばかり。
 マルコもこれ以上言うべきではないとの判断をして、解ったよ。と、それ以上は誘う事はなかった。
 彼は、ジャンがここに隠れるようにして住んでいる理由は知らない。ジャン自身も語りたがらないため、言葉の端々から察するしかないのが現状ではあるが、どうにも人間不信のきらいがあるのは良く知っている。同時に、優しい事も知っている。
 マルコ自身は人間ではあるが、幼い頃、薬草を探して森に入り込み、魔物に食われそうになった所をジャンに助けられた。彼は森を荒らされたくない。との言い訳と共に目的の薬草を与えてくれたばかりか、森の出口までマルコを送り、家に戻るまで危険な目に遭わぬよう、自らの魔力を籠めた御守りまで腕に巻いてくれた。
 お蔭でこうして生きていられるとマルコは思っている。今でもそれは腕に巻かれている宝物になっていた。
 以後、何度も森に通い詰め、怒ったジャンに追い払われ続けたが、結局、根負けして許容してくれてから交流は続いている。いつも一人で危険な森に入るマルコにジャンはいい表情をしないが、今回ばかりは窘める気力もなさそうで、もしかしたらの期待を込めて、あしらわれ続けた誘いをかけてみたが答えは変わらず。表面には出さないが心の内では落胆していた。

「それにしても、ジャンが人を育てるなんて、どんな心境の変化?独りが好きなんだと思ってた」
 話題を変えるために、マルコはどことなく皮肉も交えて質問を投げかける。
 ジャンは眉を顰めながら、
「一人使える奴が居たら便利だと思っただけだ」
 簡潔に答え、フロックの背中を叩いてげっぷを出させているジャンに、じゃあ僕は。と言いかけてマルコは口を噤んだ。
 町が嫌なら自分がここに住む事を提案しても、お前には家族が居る。人間は人間と暮らせ。と、言われ続けて来たのだ。先程と同じく答えに変化はありはしないだろう。
 フロックと己の違いを静かに考える。町に家族が居る者と、捨てられた孤独な赤ん坊。比較するまでもない。ジャンの分かり辛い優しさを良く知るマルコは、納得せざるを得なかった。
「せめて、僕で手伝える事があれば頼ってくれよ」
「なら、少し寝たいから片付け宜しく」
 そうじゃないんだけど。とは言えず、二階の寝室にフロックを抱いたまま、眠そうに階段を上がっていくジャンを見送り、今度こそ隠せない落胆を滲ませて、食器を片付け出すのだった。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 フロックは順調に成長していく。
 べったり癖も少しずつ改善され、良く飲み、良く眠るようになり、首も座り始めたため、ある程度は落ち着いたが油断は出来ない。ジャンは浴槽に、フロックは丸太を繰り抜いた簡易浴槽に入れ、温いお湯で体を洗う。
 最近はきちんとベッドで寝れているため、寝不足は相変わらずだが、腰や首の痛みは多少なりとは回復し、常に支えてなければならない風呂もほんの少し楽になった。湯に浸かって落ち着く時間が取れるだけでも大分違うものだ。

 体から水滴を垂らしながら浴室から出ると、部屋の中にアルミンが座って悠々とお茶を飲んで居た。
「やぁ、服くらいちゃんと着た方がいいんじゃないかな?」
「別にいいだろ、見られてどうなるもんでもなし」
 驚きもせずにジャンはアルミンへ適当な言葉を返す。自らの結界内への侵入者に気付かないほど鈍くはないのだ。そもそも、ジャンが認めた者でなければ巨大樹の家には近寄れもせず、悪意を持った侵入者は植物に迷わされる。呪いの森と呼ばれる所以でもある。

 ジャンは下半身に下着を着けたのみで、適当に肩にローブをかけたままの格好で長椅子に座り、濡れたフロックを丁寧に優しく拭いていておむつを着けていく。
「手慣れたもんだなぁ、もう立派な親だね」
「おむつくらいで……、まぁ、半分以上マルコのお蔭だな」
 最初は自らの服を切り分けて布にして体に巻いていたが、玩具を始め、産着、おむつなどをマルコが必要な育児道具を持ってきてくれたり、教会で幼い子供の面倒を見る機会も多いため、様々な助言をしてくれた援助の力は大きい。
「百年近くも生きてて、知らない事ってのはあるもんだなー」
「はは、そうだねぇ。幾ら生きても興味は尽きない……、ジャンも僕と一緒に旅に出ようよ。世界は美しいよ?土地の世話や掃除なんかはゴーレムがやってくれるんだから少しくらい放っておいてもいいじゃないか」
 服を着せ終え、少し重くなったフロックを抱き上げると首を振る。
「何も今直ぐじゃない、その子が大きくなってからでもいいよ。何せ君には時間は腐るほどあるからね。僕もその頃には、若返りなり不老の研究を完成させておくよ」
 ポットからカップへお茶を注ぎ入れ、アルミンの視線はフロックに固定される。ごそごそとジャンの胸をまさぐり、乳首へ吸い付く様をじっと見ていた。
「俺の吸ったって出ねぇってば……、おしゃぶり、どこ置いたっけ」
「この机に置いてある奴?」
 アルミンが指差した先には、乳飲み子に咥えさせておくおしゃぶりが無造作に置いてあり、炊事場で軽く洗うとそれをフロックに与えてジャンは息を吐く。
「動きが活発になってきたねぇ」
「じたばた動くのは元々良くやってたけど、どんどん成長すんだよな。昨日はこんなのしてたっけ?って発見は面白いかも」
 渇き切っていない髪を指で梳き、気紛れに整えていく。
「ふーん、君が近くに居ないとか、抱っこしてないと泣くのは良くなったの?」
「マルコがちょいちょい来てくれたから、ちょっとは人慣れしたのか頻度は減ったかな?」
「そう、ふふっ」
 笑いを漏らしたアルミンに、ジャンは訝しげな視線を送るが、マルコも報われない。と、思った事は伏せておく。
「ずっと君が面倒を見るのかい?その子が老人になっても?いつか独り立ちさせないとね」
 腕の中のフロックを神妙な面持ちで眺めるジャンは、既に情が移っているらしい様子が見て取れた。人嫌いの癖に甘い友人に皮肉気な笑みを浮かべたまま言葉を綴る。
「君に人間を囲う趣味があるとは知らなかった。その子が好みだったかい?」
「っな訳ねぇだろ。別にんな趣味ねぇよ。拾ったのだって偶々だつったろ」
 不機嫌になったジャンを宥め、新しいカップを勝手に用意して温くなったお茶を注ぎ、ジャンへと手渡した。
「こら、これはお前が飲むもんじゃねぇ」
 おしゃぶりからカップへ興味が移り、手を伸ばすフロックに邪魔されつつ一息に飲み干しすと、直ぐにカップをアルミンに戻し、玩具を奪われた気になったのか顔を歪ませて泣きそうになっている面倒な赤子を懸命にあやし始めた。
 現在のジャンは、目の前に必死になり過ぎて先が見えていないようだからアルミンは促してみたのだが、赤子は無邪気に邪魔をする。動けば構わずにはいられない、無垢の特権と言えばそうだろう。
「ねぇ、成長促進剤とか飲ませたらどうかな……」
 残念ながら、アルミンが呟いた宜しくない一言は、フロックに夢中になっているジャンへは届かなかった。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 ジャンに世話をされ、友人達からも見守られながらフロックは成長していく。
 ずりばいが出来るようになったかと思えば、直ぐにはいはいを始めてジャンを驚かせ、ほんの少し目を離した隙に捕まり立ちをして焦らせたりもした。
 外の季節は慌ただしく過ぎていくが、巨大樹に囲まれた結界内は常春の気温を維持しており、少なくともフロックは季節と言う概念を知らない。森の中を散策程度はさせても、あまり町に行きたくないジャンは、どうしても移動範囲が狭まってしまう。
「ずっとここしか知らないのも何だし、その子を連れて少しは町に出て来てみたらどう?」
 マルコが訪ねた折に、フロックに食事を与えていたジャンへ勧めてくる。
 気になっていた事を指摘され、眉が下がり、手が止まってしまった。フロックも既にここへ来て三年経つ。他の世界を知らないのは決していい事とは言えない。
「目立つのが嫌なら、帽子とか被ればいいだろうし、どう?」
 人形の魔と、人間の混血と言う事もあってジャンの外観は人間とほぼ変わらないため、奇異な行動でもとらない限りは紛れられるのだが、夜目が利き、自らを異形と周囲に知らしめる猫のように光を反射して煌めく眼球が人間の群れに入る行為をより消極的にさせていた。
 それさえなければ、瞳の色合いは薄い茶色に緑がかったごく一般的な色彩なのだが、万が一を考えてしまい気は進まない。数多の人間の悪意に晒された人好きな異形の末路は良く知っていたからだ。
「何かあれば、僕が護るよ。信じて、ね?」
 優しくジャンに微笑みかけ、語り掛けるようにマルコは言う。
「俺より弱い癖に……」
「少なくとも、引き籠ってるジャンよりは町の人に顔が効くよ。その点に関しては君よりも強いと言えるんじゃないか?」
 矜持が高いせいで護られる立場を良しとしないジャンは悪態を吐くが、敢え無くマルコにいなされ明日の約束をさせられてしまう。
「魔物に関しては僕はフロックと隠れてジャンに任せるから、その時は宜しくね」
「解ったよ。じゃあ、今日は泊って行け、寝床用意するから」
「そう?お言葉に甘えようかな。フロック、今日は僕と一緒に寝ようか?」
「やっ!」
 マルコがフロックに手を伸ばし、抱き上げようとするが、この頃は意思もはっきりしてきたせいか、無下に手を叩き落とされ、フロックはジャンの服に顔を埋めながらしがみ付く。
「うーん、結構、仲良くなったと思ったんだけど、まだジャンの方がいいのかぁ」
 困ったように笑いながら首を撫で付け、マルコは笑うがどこか寂し気だ。
「鳥の刷り込みみたいなもんじゃねぇの?最初から一緒の俺を親と思って安心するとか。まぁ、例えば、お前は知り合いのおっさんくらいの距離?知らねぇけど」
「おっさん……、僕はまだ十代だよ、ジャン……」
「ものの譬えだよ譬え。さ、フロック、歯磨きして寝るぞー」
 夕食の片付けもそこそこに、洗面室も兼ねた浴室へ入り、鼻歌を歌いながら小さな歯を磨く。歯が生え始めた頃はむずがゆがったり、口の中に異物を押し込まれる事を嫌がったが、歌いながらだと気が紛れると気付いてからは歯磨きや、眠らせたい時には良く歌うようになった。もっと早く気付いていれば。とは、後悔しても既に遅い。
「いいなぁ、僕が頼んでも滅多に聞かせてくれなかったのに」
「下らねぇ事言ってねぇで寝ろ」
 床に厚手の絨毯を敷いた簡易の寝床から、フロックを寝かしつけるジャンにマルコが拗ねたように話題を振っても、冗長な時間は無用とばかりに寝に入ってしまう。黙っていれば子供とジャンの寝息が交互に聞こえだし、仕方なくマルコは顔を枕に埋めた。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 朝になり、朝食の後に出掛ける準備をする。
 マルコは簡単な準備で済んだが、ジャンがやたらと遅く、二階の寝室まで声をかけながら上がっていけば、微笑ましいが困った状況が目に入った。
「幾ら外が寒いからって、それじゃ熱いしフロックが窒息してしまうよ」
 常春の巨大樹内では感じ辛いが、暦の上では森の外は冬に当たる。
 体力のない子供が寒さに凍える事を心配してか、何枚も毛糸の服を着せた上にフードつきのポンチョまで被せてあるため、フロックの体積は二倍、否、三倍ほどにもなっているように見えた。マルコが指摘した通り、現にフロックは顔を赤くして、ふうふうと必死に息を吐いている。
「下に一枚、セーターと、風を通さないフード付きのポンチョに、念のためにマフラーでもあればいいかな?靴も普通のでいいよ」
「そんなんでいいのか?外は雪降ったりするくらい寒いんだろ?毛皮のブーツの方が……」
「心配性だなぁ。少しくらい寒くても、風さえ防げればそうでもないし、町に着けば温かい物も取れるから。厚着をし過ぎて汗を掻いた方が風邪引いちゃうよ」
 外をあまり見に行かないジャンでは反論の余地はなく、不承不承と言った様子ではあるが、着せる物を減らし、自身も準備を始めた。多少の厚着と、フードを目深に被り目を隠す。マルコはジャンの瞳は綺麗だとしか感じた事がないため、見えなくなるのは惜しい気もしたが、一時的なものと考え、小さな不満を黙殺する。

 ジャンが術を使い、一瞬で森の外に出れば、積もるほどではないにしろ、雪がちらつき、息が白んだ。
 常春の気温に慣れたジャンとフロックは思わず体を震わせる。一方で、慣れた様子のマルコは、二人の風除けになるように前を歩いて町へ向かい、様々な人間と擦れ違った。
 ジャンの住む森も周囲は開拓され、そこだけ切り取られたようにはなっているものの、外周だけでも一周しようとすれば三時間から四時間ほどかかる広さの森であった。が、町も相当なものである。
 中央には城がそびえ立ち、城下は活気づいてテントが立ち並ぶ市場も大きく、食料に限らず装飾品を扱う店や本屋までがあり、人種も品もありとあらゆるものが入り乱れ、様々な声が飛び交っていた。商業都市と表現しても遜色ないほどに賑やかである。

 奥に入れば家を飾る調度品、服を仕立てるための色とりどりの布、中には模様が染め抜かれたものや、細かな刺繍をされた布や、模様の編み込まれた絨毯も並んでいた。
 物作りには欠かせない工具に、剣、槍、弓などの武器、質素なものから煌びやかな飾り鎧まで、その奥に少しばかり入れば、炉にふいごで空気を送り続けて鉄を溶かし、鉄床の上で武器らしい何かを形成していく製鉄所があった。入り口に近づいただけでも熱気に肌を焼かれそうなほどに熱い。
「凄いな。昔はこんなに活気があったか?」
 ジャンは自らの記憶と照らし合わせ、過去と現在を比べる。
 以前は軍事優先で、男はほぼ兵役にとられ、町には年寄りや女ばかりが多かった。
 皆が皆、陰気に下を向き、常に何かに苛ついて不平不満が多く、蒼褪めた顔色で働いていたが、今はどうだ。男も女も活気があり、顔の色艶も良く、各々のやるべき事を熟し、笑い合っている。たった数年で一体どうしてしまったのか、ジャンは戸惑うばかりだ。
「一応、伝えておいたんだけど、興味がないから忘れてるんだろ」
 マルコが呆れたように肩を竦め、城を指差して王が変わったのだと説明してくれた。
 確かに以前、そんな話を聞いた覚えはあったが、森に害をなさないのであればどうでも良い。と、ばかりに、碌に聞きもしていなかった記憶を掘り返す。

 マルコの説明によれば、領土を広げる事にばかり固執し、周囲の国々に戦争ばかりを仕掛けて国を疲弊させていた先王は、自らの玉座を脅かす存在として、捨てた子息の手によって排除され、再統治の後に周囲の国々とも和睦を果たしたと。和平交渉は容易い事ではなく、領土も半分以上失った挙句、この国にとって不利な条件も多かったようだが、先王の愚を償うべく呑み込んだ。
 しかしながら、現王は相当なやり手だったようで、先王に加担し、平民を蔑ろにしながら贅を貪る腐敗した貴族を手当たり次第に財産を没収の上、放逐。国の土地を低い取り分で農民に貸し与えて田畑を作り、家畜を育成を推奨した。先ずは食の充実を図ったのだ。
 人間、腹が満たされれば日常に対する不満も大なり小なり解消されるもの。貴賤を問わず人材を集め、働き者は優遇する。当然のように見えて難しい事を次々にやってのけ、たった数年で国民の支持を一身に集めるまでに至ったのだと。
「へー、世の中すげぇ奴が居るもんだな」
「本当に良くなったよ。教会での仕事は嫌じゃなかったけど、炊き出しとか、薬が欲しくて頼ってきたのに助けて上げられないのが辛くて……、病気や戦争の怪我で働けなくなったのに、国からは何の保証もして貰えなくて、毎日、絶望しながら命を削って行くなんて、あんまりだ……」
 ふぅん。と、ジャンは鼻を鳴らして返事をする。いつからか、確かにそんな愚痴を漏らさなくなった事を思い返していた。マルコは大人びて見えるが、今年で十八歳。十五歳で人間の言う成人は済んでいるが、ジャンからすればまだまだ子供だ。
「お前が森に薬草探しに来たのも、少しでも苦しんでる人に分けて上げたいからー。だったか」
 目に涙を浮かべて、懸命に訴える少年だったマルコを思い浮かべ、本人の努力もあろうが時間が経てば立派になるものだと感心した。
「はは、そんなの言ってたね。結局、僕は大した事は出来なかったけど……」
「お前に助けて貰った奴からすれば十分大した事だろ」
 自らを卑下するマルコを簡潔に励まし、真新しい紙とインクの匂いを漂わせる本屋へと足を延ばす。素っ気ないようだが、ジャンなりの照れ隠しと知っているマルコは目を細めて背中を追うだけだ。
「結構色々揃ってんな」
 従来の羊皮紙で出来た異国のスクロールから、木の繊維で作られた生成りの紙に印刷された戯作、空想の物語を綴った小説と、小さなテントの割りに幅広い需要に応えられるよう揃えてあった。
「やぁ、いいの揃ってるよ。お子さんには絵本とかどうだい?」
「絵本……」
 愛想のいい店主に勧められるままに片手で幾つか捲ってみる。
 恐ろし気な狼が何匹もの仔山羊を騙して食らおうとするもの、幼い少女が言いつけを破って道草をしたために狼に食われる話と、最後はどちらも助かるようだが、どうにも説教臭く教訓めいた匂いを感じた。
「こう、出来れば……、全体的に穏やかなものはありませんか?」
 絵本とは言え、あまり血生臭いものは見せたくない思いが働き問い掛ける。
「そうだねぇ。じゃあ、これなんかどうだい?いじめられている女の子が幸せになる話だ」
 適当に頁を捲り、食う食われる、殺す。などの描写はないようで、他の興味を引いた本と共に購入した。やや鞄は重くなってしまったが仕方がない。
 後は、森では獲れない干飯や作るのが面倒な干肉などの食料を購入する。ジャン自身は領域で作っている野菜や、偶に狩る肉などで十分賄えているが、何せフロックが育ち盛りで良く食べる。保存出来る食料は多いに越した事はない。貯め込んでいた金は大分目減りしたが元々、使う頻度が低いため、然程問題はない。困ればアルミンに栽培した薬草を買って貰えば良いのだ。
「ジャン、一人で持とうとしないで、僕に言いなよ」
 つい夢中で買い込んでしまったため、幼児を抱えたまま持てる量ではなくなり、ふらついていると見守っていたマルコがとうとう口を出した。食料の入った荷物を抱え、食事にしようと食堂を指差す。
「さっきので大分、金ないぞ俺。それに……」
「大丈夫。気にしないで堂々としてればいいんだよ」
 諸々をひっくるめての返事をマルコは返し、ジャンの背中を押しながら食欲を刺激する香りが充満した室内へと押し込んでいく。すると、幼児を抱えながら目深にフードを被ったジャンが珍しいのか一定数の視線が集まった。
「マルコ、俺、やっぱ……」
「あら、マルコちゃんじゃない、いらっしゃい、たんと食べておいき」
 ジャンが視線に耐え切れず、踵を返そうとすれば恰幅の良い女性がマルコへ話しかけ、ジャンも含めてカウンターの席に案内した。そして、注文を聞きもせずに、お勧めとやらの料理が幾つも運ばれ、最後に子供が食べ易いように小さく切ってくれている皿と、小さな匙まで出て来たのだから驚きだ。
「あの、これ……」
 料理の数々と子供用の食事を指差して、ジャンが戸惑っていれば、女将は豪快に笑っていいのいいの。と、背を叩く。
「あんたちゃんと子供の面倒見てて偉いねぇ。うちのなんてね、あたしにも働かせてる癖に、忙しいー、忙しいー、って言ってまともに面倒も見ない癖に、口だけはいっちょ前に出してくんだよ。こっちは働いて家事して、子供の面倒まで見て休む時間も碌にないってのに、横で疲れただの言ってぐーすか寝られてごらんよ。腹が立つったらありゃしない。誰がこさえた子供なんだってねぇ。ちょっとは見習いな!」
 女将は愚痴を話しながら、カウンターの中に居る旦那らしい頭髪のさびしくなった小柄な男性を睨み付け委縮させていた。大分、鬱憤が溜まっているようだ。愛想笑いで適度に頷き返せば満足したのか、直ぐに忙しそうに店内を走り回り出す。
「凄い人だな」
「気のいい人だよ。ちょっと愚痴っぽいけど」
 話を聞けば無理もない気もした。
 ジャンも、たった一人で基本的な事も知らずに育児をして本当に倒れてしまいそうだったのだ。今でこそ、マルコやアルミンの助けもあってどうにかなったが、一人であったら共倒れしていた可能性も高い。
「ほら、フロック、あーん」
 フロックを膝の上に置き、小さな匙を持ちながら口をぽかんと間抜けに開けて口を開けるように促す。
「昨日からずっと気になってたんだけど、もうそのくらいなら自分で食べられるんじゃないかなぁ」
 目の前に供された食事を食べながらのマルコの指摘にジャンは呻るしかない。
「だって、直ぐ零すし、こっちのがフロック嬉しそうだし……」
「何事も練習だよ。大きくなっても匙を握って零しながら食べる姿を想像してご覧?」
「みっともねぇな……、フロック、ちょっと自分で食ってみろ」
 ほぼ毎回、ジャンに食べさせて貰っていたものが、急に自分でやれと言われたせいか表情をあからさまな不満に歪ませながら頬を膨らませ、フロックは無言の抗議をする。
「ゆっくりでいいから、ほら、美味いぞ?」
「甘やかすなぁ……」
 小さな手と一緒に匙を持ち、乳粥を掬うとそっと口元へ持っていく。
 待っていれば観念したように口に含んで呑み込むが、不満顔は変わらない。
「偉い偉い、自分で食べれたなー」
 柔らかい頬を揉むように撫で、優しく微笑んで褒めてやる。一口食べれば撫でて食べ切った際には額に口付けを一つ。ジャンのために用意された食事はすっかり冷えたが、特に気にせず口の中に放り込んでいく。
「片手じゃ食べ辛いだろうし、僕が抱っこしようか?」
「そうだな、脚も痺れて来たし頼む」
 フロックをマルコへ渡し、のんびり食事を勧めようとしたが、尻はマルコの膝の上だが腕はジャンの二の腕を掴んで離さない。
「ちょっと甘やかし過ぎたかな」
「ちょっと。じゃないと思うなぁ」
 基本、二人きりの生活だと、どこまで手出だしをするのか限度か判らず、正しいのかも判らない。毎日が手探りで、マルコの一言にはっとなりもするのだが、三歩進んで二歩下がる毎日だ。成長はしていってるので大丈夫だとは思いたいジャンであるが、フロックもいつまでも赤子ではない。

 料金の支払いの際に、女将に再び、
「あんたみたいな旦那が増えてくれれば、もうちょっと楽になるんだけどねぇ。この国じゃ、女も男も一律に働いてるけど、子育ては女の仕事って意識の男はまだ多くて……、あんたの嫁さんが羨ましいねぇ」
 愚痴交じりに絡まれてしまい、ジャンは内心冷や汗を垂らす。
「あ、えっと嫁は、居ないと言うか……、その……」
 ジャンは咄嗟に口籠り、俯いてしまう。
 子供は人間だが、自分は人間ですらないとは言えず、言葉を濁せば女将は何を勘違いしたのか途端に涙ぐみ、食堂で作っているパンを幾つか押し付け、励ましの言葉をかけながら見送られてしまった。
「何だったんだ……」
「子供を産む際に奥さんが亡くなったとか、戦争で、とか考えちゃったんじゃないかな、言っただろ、気はいい人だから世話焼きで同情心が強いんだ」
 良いか悪いかはさておき、食料が増えるのはありがたい。
 焼きたての香ばしい匂いと温かさを感じる紙袋にフロックは興味津々なのか、自ら袋を持ち、しっかりと抱き着いている。

 町の中央に行けば、噴水の上に立つ偉丈夫の銅像に呆気にとられ、ジャンが口を開けたまま見上げていると、あれは、と同じくマルコが解説してくれた。
「現王のエルヴィン陛下だよ。あ、そうそう、先王に捨てられた弟達を探してるらしいんだけど……、どこに居るんだろうなぁ」
「弟を?」
「そう……。先王は息子すら敵でね、姫は政略結婚に使えるからって残しておいたらしいんだけど、男児が産まれると直ぐにどこかに捨てに行かせてたんだって。確か、二人くらい。陛下は長男って事もあって、他国に寄越す人質として生かされてたそうなんだけど、何だか胸が締め付けられる話だ……」
「最低な親も居るもんだな」
 言葉は少ないが心底、唾棄をしながらジャンは吐き捨てる。
 母にも、父にも愛されて育った記憶しかない、厳しく叱責された事も、今では必要なものだったと理解出来た。だからこそ、ジャンはフロックを見つけた際も、親の愛情を信じてみようとしたのだ。しかし、そんな親ばかりではないと知って失望も大きかった。
「せめて、二人共生きてるといいんだけど……」
「そうだな。取り敢えず、生きてりゃどうにかなる」
 数年行かなかっただけで、町の急激な変化に一々驚き、その都度、マルコが説明してくれた。
 どことなく聞いた覚えはあったが、やはり興味が薄過ぎて直ぐに忘れていたようだ。フロックを広場で遊ばせ、日も落ち始めたため、そろそろ。と、帰宅を促す。
 暫くマルコが送ると言って聞かなかったが、昼間はまだ良いが、夜になれば魔物が活発になり出し危険が増える。知らない訳ではないだろうにマルコは頑固だ。面倒だったため、マルコの自宅にて、数十分で解ける麻痺の魔術をかけ、ジャンとフロックは森へ帰って行った。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 フロックも四歳ごろには口も達者になり、五歳を超えると細々した事を手伝うようになってくれた。
 六歳にもなると慣れもあってか、毒草と薬草の違いを覚えて簡単な選り分けを始め、七歳には簡単な物なら調合が出来るようになった。八歳にもなればいっぱしの口を利き、九歳にもなれば本人は一人前のつもりなのか、逆に指摘をし出してみたりと生意気になり、その都度、ジャンは大人げなくやり返していた。
 十歳にもなれば体も成長し、身長が一七五を超えるジャンの腰の高さを追い越した。体力もついて、森の散策は昼まであれば許可し、判断の難しい草花はジャンが確認するようにしているが、それなりに呑み込みも良く、今では中々に良く出来た助手である。
「なぁ、ジャン、これもう擂るの疲れたんだけど……」
 大擂り鉢で延々と乾燥させた果物の皮を潰して混ぜていたフロックが根を上げ、疲れたらしい腕を解そうとぶらつかせる。
「これくらい擦れてりゃいいかな。お疲れさん。それは袋の中に入れといてくれ」
「あのさー、いつになったら魔術教えてくれんだよ。薬草の勉強ばっかは飽きた」
 不満も露わにフロックが指示を熟しながら不平を零す。また始まったか。と、ジャンは嘆息し、食材を切り分ける手を止める。
「何回も言ってんだろ、お前は魔力がほとんどない。使ったってしみったれた炎出して焚火に使える程度だ。そんな無駄な知識と体力使うなら、火打石と木屑で火を起こす方法を覚えた方がよっぽど効率的で役に立つ。薬の作り方を覚えれば薬師として独立だって出来るし、就職先もごまんとある。何が不満だよ」
 指先で額を突いてねちねちと持って回った言い方でジャンはフロックを諭す。
「魔術ってのは、お勉強すれば、ぽんと奇跡が起こせるようになる、お手軽なもんじゃねぇんだよ。魔力ってのは命の灯であり燃料だ。いいか、燃料が足りないのに無理に使ったらどうなると思う?体がぶっ壊れるんだぞ、最悪の場合は死ぬんだ」
 最後に指で額を弾いて鼻で笑ってやれば、フロックは皮膚が赤らんだ額を押さえながら唇を吐き出し、口角を下げてジャンを睨む。無能だと言われているようで腹を立てているのだ。

 敢えて言うならば、フロックは決して無能ではない。
 毒草から薬草の知識、薬の作り方などの呑み込み早く、実際にジャンの役に立っていた。しかしながら、内在する魔力はごく普通の人間と変わらず、魔術を使うには適さない体質であるのは事実であった。
 誤魔化しも、隠す事もなく伝えてはいるが、フロック自身が中々、納得せず、この話題はいつも平行線を辿る。隠れてジャンが研究して書き上げた魔術書を読み耽り、こそこそ練習している姿も見かけた。危険性も説明しているのにも関わらずだ。全く頭が痛い。
 拙い練習が原因で体に負担がいき、高熱を出して伏せってしまった事も一度や二度ではなく、気掛かりで碌に眠れない日もあった。育ての親とは言え、親の心子知らずを自らが実感するとは予想だにすらしていなかった。
 魔術や薬草の研究で頭を悩ませるのではなく、教育に関して悩む日がこようとは。
「でも、訓練すれば魔力は上がっていくし、寿命も延びるんだろ?アルミンから聞いたぞ!ジャンの言う事は嘘ばっかりだ」
 アルミンめ、余計な事を。あからさまに舌を打ちそうになったが、歯を噛み締め、唾液を呑み込んで耐えた。確かに、鍛えれば内在する魔力の増強は図れる、強大な魔力を持ち得れば、それは無限の生命力を得たと同義。ほぼ不老不死と表現しても間違いではない魔術師も存在はする。
 ジャンも似たようなものだ。不老は人間と魔が入り混じった魔人であり、産まれ持った魔力の量が人間とは桁違いなためである。
 アルミンも、人間ながらに強い魔力を持ち、魔術師と成っている。元々、捨て子ではあったが、良い魔力を持つからと流浪の魔術師に拾われ、育てて貰ったのだと聞いた。鍛えれば増える。間違いではないが、結局は素質なのだ。こればかりは体格、体質、肌や目の色と同じで、後天的には付け加えようのないものである。
 信じたいものを信じる。人間らしいと言えばその通り。しかし、道理には合わない。何度同じ説明をしても、その道に進ませたくないがための嘘と決めつけられてしまえば、どれだけ強力な魔術を持っていたとしても対抗のしようがなかった。

 悩んで悩んで、髪に白い物が混じってしまいそうである。
「ジャンなんかもう知らねぇ!」
「あっ、こら⁉」
 ジャンが止めるよりも早く、フロックは走り出して外に飛び出してしまった。苛立たし気に頭を掻き回し、机の上に水を垂らして魔法陣を描く。二、三言ばかり呪文を呟き、指を慣らせば小さな半透明の羽の付いた小さな人間らしいものが数匹形成され、ゆらゆら浮かんでいた。
「フロックの後を追って、危ない目に遭いそうになったら助けてやってくれ」
 命を受けた水の精霊は、一度だけ揺れて扉の隙間から外へ出て行った。ジャンが後を追ったとしても、意固地になるだけで、素直に帰りはしないだろう。ならば、落ち着くまで散策させた方が良い。フロックを護るためのまじないをかけた装飾品も持たせてある。念のために精霊も護衛につけた。今日はいつまでの家出か、腹が空けば帰って来るだろう。

 時計を見て、独り勝手に何時間で。と、賭けをして、調理を再開した。

   ◆ ◇ ◆ ◇

「それなら、いっそ君が練習を見て上げればいいじゃないか。止めろ止めろって言われるから余計に意地になってやろうとするんだよ。害をなす魔物を指一本で消し去る事も、精霊の召喚でもさ、君は慣れてるから簡単にやってしまうだろう?なら自分にも出来るんじゃないか?そんな勘違いをする。やってみて難しさや、その人の偉大さを知る。良くある事だよ」
 フロックをマルコの元へ手伝いにやった後、折良くアルミンが訪ねて来たため、苦情申し立てをすれば、あっけらかんと返して見せる胆力は大したものだ。
 己が経験も含んではいるのだろうが、そもそも魔術に触らせたくないジャンの意思にはそぐわない。
「ジャンが魔術を教えたくないって言うなら、それこそマルコのとこに預けて、もうここに入れなくするしかないよ。ま、魔術書は人間の所にも流出してるから、勝手にやって死んじゃうかもしれないけど。後は、そうだな、大嘘書いた魔術書読んで試して酷い目にでも遭って懲りたら儲けものじゃない?」
 眼が大きく、柔らかな面差しの美少女のような顔立ちで微笑みながら、アルミンは悪辣な科白を次から次へと吐いていく。
 マルコはジャンの口の悪さを嗜めるが、アルミンは真っ向から対抗してくるのだ。中々に腹黒い。少なくとも、世間一般的に言われる『いい人』には分類されないであろう。
「素質がない。ってはっきり理解すれば、もう無茶はしないかも知れないだろ?教えてやるのも育ての親の役目じゃないかなー?僕も師匠には随分と扱かれたし、薬の実験台にもされたし」
 アルミンは懐かし気にしみじみ語るが、仔細はあまり聞きたくない部類の教育であったようだ。見た目は二十前後の好青年。良くも無事に育ったものである。

 フロックが、高熱で意識を朦朧とさせ、食事もまともに取れず、よもやこのまま。などと考えてしまった恐怖をジャンは思い出す。徹底的に素質のなさを知らしめる作戦も一理はあるが。
「それで、万が一ってのがあったら……?」
「仕方ないんじゃない?それがその子の限界だったって事だ」
 酷薄な科白。肌がざわついてジャンは不愉快に表情を歪めた。
「優しく相談に乗って慰めて欲しいなら、マルコに言えばいいんじゃないかな?僕に相談しても答えは判っていただろう?」
 表情から心の内を察したアルミンが先制攻撃を仕掛けたため、ジャンは開きかけた口を閉じ、唇を噛み締めるしかなくなってしまった。
 アルミンは頭が回る。溢れ出んばかりの知的欲求を持ち、様々な物事を、事象を頭脳に叩き込んでいく。繰り出す言葉は確信を突き、弁の立つジャンをも説き伏せる。だが、理解は出来ても、共感を得るものばかりではない。
「そんな顔しないでよ。僕も君を苛めたい訳じゃないんだ。もしかしたら才能に目覚めて大魔術師になる可能性もある、或いは……、大魔導士かな?」
「茶化すなよ……。こっちは真剣に悩んでるってのに……」
 魔術と魔導、これは似て非なる物だ。

 『魔導』字の通り、魔の道である。魔物と交流し、破壊を好み、死霊術、呪術、人類を滅ぼしかねない類の禁術など、己が術の完成させるためであれば人道に外れた行いも辞さない外道。とまで言われる事もある。
 皆が皆、必ずしもそうではないにしろ、やはり、他人の墓を荒らし、死者を冒涜する行為。呪いによって人を害し、怨念を振りまくモノと成り果てる存在。己が力によって世界の均衡すら崩そうとまで。故に、危険な存在と一般的には周知されている。
 ジャンの両親も、自身も、そのために迫害されたのだ。求めたのは、手の中に納まる程度の、たった一握りの穏やかな幸せだったにもかかわらず。

 ジャンの扱う術は魔導寄りのもの。
 特定の対象を切り裂く風の魔術、他者を縛り操る呪い、精霊・魔獣の召喚と、フロックには学んでほしくないものばかりときている。せめて興味を持ったものが、他者を癒す術であれば、まだ賛成出来ただろうが、残念ながら興味を持った術が炎を繰るものや、魔獣の召喚だったから始末に困っているのだ。

 業火は扱いを間違えれば全身を炎に巻かれる。或いは熱を体に呼び込み、異常な熱を発して体の水分を蒸発させてしまう。
 召喚術にしても、身を護る術を持たないフロックが、運悪く抑えられない強大なものを呼び出せば頭から呑まれてしまうだろう。片っ端から興味を持ちそうな魔術書は隠しては見たが、このような対策は、対策とも言えず、一時的な誤魔化しに過ぎない。
「最悪の事態が起こらないようにの監視、危険な事が起きた場合の救助。一体、どこに忌避する理由があるんだい?」
 現時点で、魔術自体を学ばせない選択肢は難しいとアルミンは断じる。
「観念しなって。人の好奇心を止める事は出来ないよ。抑制されればされるほど、刺激的に見えて惹かれてしまうものなんだ。例えば、自分が立っている場所から道が続いてるとして、奥は真っ暗で見えないとする。恐ろしくも見える場所だ。その場に立ったまま、生を終えるのも悪くはない。しかし、何があるんだろうと感じてしまうのも仕方がない。進んで自分の目で確かめたくなるのも。危険だからと引き留めてもその好奇心は満たされず燻り続けるだろうね、その暗い道が続いているのか、ただの壁か知るまでは」
 好奇心の塊とも言えるアルミンは持論を展開する。フロックがそこまでの情熱を魔術に傾けているかどうかは、ジャンには判断が出来ない。出来はしないが、このままでは鼬ごっこになる事は明白。ジャンはがっくりと項垂れ、もどかし気にうなじを手で揉み解す。
「ね?」
 もう答えは一つしかないだろう。そう言いたげにアルミンは促す。
「フロックが俺から教えて欲しくないって言ったら?」
「その時は僕が教えて上げるよ。少なくとも、心配だからって、選択肢を取り上げるのは酷いと思うなぁ」
 フロックに魔導を学ばせたくない悪足掻きをアルミンがあっさり封じ、ジャンは机の上に頭を突っ伏した。だが、幸いアルミンの専門は薬草学と癒しの術だ。もしも、フロックがそちらを学びたいのならば歓迎なのだが、癒しの術も扱い方を誤れば、自らの生命力が枯渇し、死亡の危険もあるため、手放しに、とはいかない。

 頬を机の板に押し付けながら、とうとうジャンは重々しく嘆息し、フロックと話してみる。と、前向きな発言をしつつも、表情は真逆で憂鬱そうであった。

 アルミンが再び旅に出て、森へ散策に行っていたフロックが帰って来る。
 夕食の後、ジャンは隠していた魔術書を戻し、危険の少ない物を選んでフロックの前に並べてみた。唐突の肯定的な行動に、フロックの表情は、当然ながら訝し気だ。
「隠れてやって、その辺でぶっ倒れられても俺が困るからな。お前はどういうもんを使いたいんだ?」
 内心、緊張しながらの問いかけ。
 首を横に振り、俺からは嫌だと言ってくれないだろうか。そんな期待はあった。仕様もない責任逃れだが。

 目の前に並べた十数冊の本。
 フロックが手に取っては椅子の上に避けていく。
 最終的に手に持ったのは炎や、爆破系の術が記されたもの。派手なものが好きなのか、単純に炎に惹かれるのかは知れない。
 さり気なく治療術や、しつこく薬草のみの勉強を勧めてはみたが、首を横に振られてしまった。気に入った魔術書を眺めながら、そこはかとなく頬が紅潮し、嬉しそうに頬を綻ばせている様は、微笑ましくも憎らしい。

 フロックは、早速とばかりに頁を捲り、小さく唇を動かして読んでは理解し難い部分をジャンに問う。
 学ぶ姿勢は積極的だが、所詮は幼子の憧れ、出来ないと理解すれば直ぐに飽きてしまうだろうと高を括っていた部分もあった。しかし、アルミンの言う通り、好奇心を抑えつけると碌な事にはならないらしい。この様子では、取り上げたまま放っておけば大事故にも繋がったかもや知れぬ。
 歓迎出来ない心境はあれども、育ての親から師へと思考を切り替える覚悟は決めなければ。と、ジャンは考えた。

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