忍者ブログ

馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

飼われる男と一般人

・2018/03/14~くらいに書いた奴です
・愛人として飼われ、DVを受けるジャン君と偶々お隣さんになったフロックの話
・色々、酷い描写がありますのでお気を付けください
・不特定多数のモブが居たり、マルロやヒッチが友情出演してます
・フロックが独り遊びしてる描写があります
・童貞丸出しのフロックだっり、ぴよぴよ泣いたりします
・直接的な表現はないけど、モブとの関係を表すような描写があります
・大半がただのフロックとジャンが仲良くしてるだけな感じ

・フロの自慰描写、ジャンのモブとの関係を表す過激なシーン、暴行、怪我の描写、性行為等の描写。ほんのちょっとだけフロジャンが致すのでR18になります

※四年後104期が出てくる前に書いた作品です





 高校を卒業し、無事に志望する大学にも合格を果たして念願の独り暮らしを始めた春。
 フロックは、騒音被害に悩まされていた。音楽や話し声、はたまた足音や通常の行動によって起こる生活音ではない。否、あるいはそれに類似する、声と言えば声。動く生活音と言えばそう。

 嬌声とベッドの振動による騒音。
 朝も夜も関係なく、不定期に行われる隣人の性行為によって起こる騒音被害。夜遅くまであるアルバイトに疲れて部屋まで帰りつき、シャワーを浴びて、さぁ寝ようと目を閉じた矢先の事、強く壁に何かを打ち付ける音で意識が引き戻され跳ね起きた。
 憎々し気に、顔も見た事がない隣人を睨みつける。

 このマンションは鉄筋造りで、風呂トイレ別、安い割りに部屋が二つと、ベランダもある1DK、防音機能は悪くないはずであったが、それは静かに生活するに当たっての最低限を想定したもので、叩きつけるような衝撃音、激しく軋むスプリングの音、くぐもってはいるが大きな嬌声は範囲外だったようである。
 耳を塞ぎ、強く瞼を閉じて終わりをひたすら待つ。隣人を絞め殺してやりたい。実際にやるかどうかは度外視して、気持ち的にはそれほどの鬱憤をフロックは溜めていた。
 ぎしぎし激しくなり続ける音。ベッドがその内壊れそうだ。などと必死で意識を逸らす。
「あ……ん、ぁっ、あん……」
 壁越しに聞こえる途切れ途切れの嬌声に背筋がぞくりと粟立つような感覚が駆け上る。苛立ちは頂点に達するが、物を破壊して八つ当たりをする訳にもいかず、どんな人間かも判らない相手に対して壁を殴り、挑発する事も出来はしない。
「くそっ!」
 小さく毒づき、ベッドから飛び起きると壁を背に凭れさせ、寝巻ズボンの前を寛げ、性器に手淫を施し始める。どうせ治まらない苛立ちならば、隣の女の声をおかずに自慰に耽る事にしたのだ。微かに聞こえる声に耳を澄まし、自らを高めていく。フロックに性交の経験はないのだが、隣人の行為は終わったかと思えば、再び再開したりする絶倫と言えるものだ。羨ましいような、妬ましいような。そんなもやもや感を吐き出すためにも強めに握り、精を吐き出した。
 常夜灯の中で浮かび上がる掌に出した白濁の体液に、荒く息を吐きながら舌を打つ。隣ではまだまだ盛り上がっている様子で、嬌声と言うよりは呻き声になり、ぎしぎし軋む重低音は続いている。片やお互いに心地好くなりながら睦み合い、片や独りで自身を慰める。虚しさ、苛立ち、寂しさ、妬み、ぐるぐる感情が渦巻いて、適当に股間の始末をしてから手を洗い、少しでも音が届かないように毛布を持って部屋の隅に移動して耳栓を買ってくる決意をしながら眠りについた。

 〇●〇●〇

 数日後、アルバイトもなく、大学の講義も一コマで終わり、余った時間で何をしようか心を浮き立たせながらフロックが帰宅していると、隣の部屋の扉が中途半端に開いてスラックスと革靴を履いた人の脚が飛び出しているように見えて眉を顰めた。
 よくよく目を凝らしてみれば、スーツ姿の男性が半歩ほど外に片足を出した状態で中の人物と話でもしているようだ。静かに前を通れば問題はないだろうか。下手に近づけば因縁を吹っ掛けられはしないだろうか。一歩踏み出そうとしては足を戻し、まごついていると、やはり中の人物に話しかけながら出てくる男性は脂ぎった肌をしており、如何にも精力的で、背が高く、後ろに撫でつけた黒々とした髪を蓄えた偉丈夫であった。
 仕事は営業か何かだろうか。少し前に見た時間は午後の二時。内勤の会社務めであれば、こんな時間に自宅には帰れまい。近くに寄ったついでに顔を見にでも寄ったのか。そして、一発済ませた後なのか。

 いつでも嫁と仲がお宜しい事で。

 顰めた表情で、内心毒吐き、唾でも吐き出したい気分になった。フロックの心境など知りもせず、男性はやはり中の人物とぼそぼそ話しながら少しずつ外に体を出していく。

 未練たらしくせずにさっさと仕事に行けよ。どうせ夜も帰ってくんだろうが。

 見ないように顔を俯かせてはいるが、苛立ちが足に現れて揺れ出しそうになる。踵を上げてコンクリートの床をにじり、雨樋代わりの端のへこみを無駄に目で辿る。人影が通り過ぎて行けばほっと息を吐き、顔を上げると痩身の男性が扉に寄りかかりながらフロックをじっと見ていた。
 息子。にしては大きく、二十歳前後だろうか。
 額にはガーゼが張り付けてある。首にも何やら痣がある。鎖骨が見えるほど襟ぐりの広い、薄手の長袖の白Tシャツを着ているが、所々に小さな傷跡が浮き出ていて胸がざわついた。
 男性の、何でもない視線に気圧されて一歩後退する。
「そんな人を見て泣きそうな顔しないでくんない?お隣さんかな?」
 ふ。と、口元を緩めて薄く笑んだ男性は思ったよりも優しげな声をしていた。フロックが小さく頷くと、靴も履かずに、ぺたぺた足音を立てながら近づいて来る。

 何だ。
 何なんだ。
 勝手に見てんじゃねぇよ。とか殴られるのか。

 地面に落とした視線が彷徨う。生唾が湧いて呑み込む。俄かに緊張し、心臓がどくどくと鼓動を強めた。
「別に獲って食おうってんじゃないって。迷惑かけてんじゃないかなって思っただけだから、そんな委縮しないでよ」
 飽くまでも優しく優しく、宥めるように男性は話す。迷惑は被っている。しっかりと。しかし、言えずに口を噤む。
「時間あるなら良かったら話し相手になってくんない?学生?美味しいお茶とか、お菓子もあるから食べて行かない?」
 華奢な長い指が手に纏わりつき、引かれて吸い込まれるように部屋に導かれた。

 男性は玄関のマットで足裏を拭き、家に上がってもフロックの手を握ったままだった。フロックも振り払って帰れば良いのにそうする気には何故かなれず、もたつきながらもスニーカーを脱いで部屋に上がる。
 ちらりと見えた口元は嬉しそうに弧を描いていた。

「何飲む?コーヒー?紅茶?ココア?緑茶とか、茸のお茶とか、コーン茶とか、いろいろ種類あるよ」
 細い廊下を過ぎるとダイニングに入る。小洒落た細工がされた二人掛けのダイニングテーブルの席に座らされ、男性は廊下の出入口にある小さな台所に立ち、飲み物の好みを訊いてきた。
「あ、えと、コーヒー……」
 消え入るような声で返すと、更に細かく好みを問われた。モカ、キリマンジャロ、エスプレッソ、アメリカン等々。列挙されたものは、名前を耳にした事はあっても、豆の種類も淹れ方も、違いが良く判らないのでお任せで頼んでおいた。種類の多さから、恐らくは男性の趣味なのだろう。シンクの隣に設置してある腰の高さほどの小さな冷蔵庫から粉を出し、焜炉に薬缶をセットして手慣れた様子で硝子製の道具を揃えつつ準備を進めていた。
 フロックが見慣れない道具を物珍しげに眺めていると、フレンチプレスコーヒーメーカーと言う物だと教えてくれた。抽出器具と、ポットが一体になった筒状の道具だ。
 男性は蓋を外して一度お湯を入れてプレス器を温め、カップにもお湯を注いで温めていた。次いで粉を適量投入し、湧いたお湯を側面からゆっくりと流し込むように注ぐ。一気に注がず、粉が浸る程度に留めて容器をゆらゆら回していた。インスタントコーヒーを適当に嗜むだけのフロックからすれば、全てが未知の行動だ。
 二度に分けてお湯を注ぎ、柄の長いスプーンで、やはりゆっくりと攪拌してから蓋を閉める。コーヒーの抽出が終わるまで、男性は手慣れた様子で冷蔵庫から苺のカップケーキを取り出し、カップを温めるために入れたお湯を捨てたりと動きに無駄がない。
 最後に、蓋から飛び出たフィルター付きの棒を少しずつ底まで押し込んでいき、お湯に浮いたコーヒーの粉をプレスしてしまえば出来上がりのようで、茶色い液体が湯気を立てながらカップに注がれていく。
「癖の少ない浅炒りの豆にしといたけど、どうかな?」
 目の前に置かれたティーカップからは、とてもインスタントでは出せないような、香ばしくも柔らかな香りが匂い立ち、フロックの嗅覚を刺激し、苺で飾られたクリームたっぷりの愛らしいカップケーキが視覚から食欲を刺激した。

 飲み食いしたら変な料金などを請求されたりしないだろうか。何度もコーヒーと男性を見比べる。部屋に呼んだ意図が見えなさ過ぎて恐ろしいのだ。
「毒なんて入ってないから食べたら?お話ししようよ」
 促されて恐る恐るケーキをフォークで削り、口に含めば甘いクリームと、甘酸っぱい苺、しっとりとした柔らかいスポンジが口の中で混ざり合い、舌を撫でて、仄かな洋酒の香りを残しながら喉を通り過ぎていく。
「美味い……」
 思わず呟いた一言。テーブルに頬杖をついてフロックを見ていた男性の目が細まり、面映ゆい心地になる。
「なぁ、何歳?大学って楽しい?何で独り暮らししてんの?実家遠い?」
 話をしよう。とは言っていたが、質問攻めに近い。
 律儀に一つ一つ答えていけば、何が嬉しいのかじっと聞いてくれていた。
 大学に入った目的を訊かれ、答えに詰まる。何か立派な目標、夢があった訳でもないからだ。皆が行くから、そうした方が就職に有利だから、幸い入れる成績があり、親が許可してくれたから、その程度の意識でしかない。なのに男性は否定も肯定もせずに聞いてくれた。愚痴も自慢も、下らない遊びの話まで、何もかも楽しそうに。不思議な感じだ。こんな話のどこに楽しみを見出せるのか。
 いつの間にか二時間は過ぎていた。コーヒーも三杯ほど飲んだ。苦みは薄く、口当たりもまろやかで、ミルクも砂糖も入れずにすんなり飲め、かと言って味や香りが薄い印象は受けず、普段適当に淹れて飲んでいるインスタントの違いに感動していたほどであった。

 帰り際になって、やっと思い出したように男性はジャンと名前を名乗り、フロックも自分の名を告げ、入居してから大分時間も経って、初めて挨拶を交わした。

 〇●〇●〇

 隣人、ジャンと知人になったからとて、何か変わったかと訊かれれば何も変わらない。睦み合いの音は相変わらずである。
 欠伸をしながら大学に向かう朝、塵出しをしているジャンを見かけ、やや逡巡しつつ挨拶をすると驚いたように振り返ってから笑う。黒いハイネックのセーターに、白いパンツと、足は流石にサンダルだったが、際立って目を引いたのは目の下の青い痣。
 額のガーゼは外れていたが、擦れたような瘡蓋が残り、どうにも痛々しい。ぶつけたか転びでもしたのか、抜けている奴だ。
「頑張ってなー。行ってらっしゃい」
 ひらひらと手を振り、送り出してくれるジャンに手を振り返して大学に行ったが、何かが引っ掛かり、あまり集中出来なかった。アルバイト先の居酒屋に行っても同じだ。普段はしないような小さな失敗を何個かしてしまい、店長にどうしたの?と、訝しがられた。
 隣の男が気になって。そんな話が出来るはずもなく、労働の疲労と、気疲れが重なって、重い体を引き摺りながら帰途につく。薄暗い電灯に照らされた外廊下をぼんやりしながら歩いていると扉が薄く開いていた。件のジャンの部屋だ。どうやら今朝、ジャンが履いていた黒いサンダルが挟まっているようで、扉と床の間で押し潰されて変形している。

 何がどうしてこんな挟まり方をしたのか。
 物騒なこのご時世に不用心な事だ。
 コーヒーを淹れる様子から、かなりマメな人物の印象を持っていたが、案外ずぼらなのか。知らない仲でもない。一言告げて入れておいてやるか。何とはなしに、気遣いのつもりであったが、直ぐに無視して部屋に入れば良かったと後悔した。
 顔こそ隠れていたが、扉に手をかけようとして聞えてきた抑え気味の声。荒い息遣いと服を乱す音。薄く開いた隙間からは、ジャンを組み敷いているスーツ姿の男性の後姿と、その腰に絡む生々しい長い脚が見えた。
 出した手を引き、そっと自室へと入る。心臓が煩い。薄ら予想はついていたが、頻繁に聞こえてくる嬌声はジャンのものであったようだ。

 玄関先でおっぱじめるとか、どんなアダルトビデオだよ。

 音を立てないように玄関の扉を閉めた後、どっと噴き出す冷や汗。極力静かに靴を脱ぎ、よろめきながらダイニングの椅子に座る。何故、俺がここまで気を使わねばならない。歯噛みしても状況は変わらない。
 恋人。なのだろうか、あの二人は。
 フロックはジャンの部屋を思い返す。テレビすらない、素っ気ない部屋。寝室は知れないが、ダイニングには扉付きの本棚があった程度で、あまり生活感のない部屋のように思えた。加えて額のガーゼや、目の下の痣。よもや相手は碌でもない男なのでは。しかし、たかが隣人の関係上、口出しも出来ない。権利もありはしない。

 カップ麺を啜って腹を満たし、スマートフォンでつまらないネット記事などを見ながら時間を潰していたが、どうにも落ち着かず、コンビニにでも行って適当な温かい物でも。と、思い立って玄関から出てみれば、丁度、外の廊下に出ていたジャンと鉢合わせ、気不味い気分になる。
「こんばんは?」
「こ……ばんは……」
 首を傾げながらジャンは挨拶をしてくる。
 華奢な体の線が浮き出る襟ぐりの広い薄手のセーターに、白いボトム。目を合わせられず、やや下の首元へと視線を落とせば両手で締められたような赤い痕に、ぎょっと目を瞠る。
「あー、これ?あの人、こう言うの好きみたいでねー。やりながら殴ったりすんのとか」
 視線の所在に気付いたか、首を撫でながら、実にあっけらかんとジャンは零した。まるで、今日は天気がいいですね。程度の話題の如く。
 フロックが二の句を継げないでいると、薄い唇を皮肉げに歪ませて、
「お話ししない?」
 と、誘ってきた。前と同じように細い指をフロックの手に絡ませて。
「えっと、その、彼氏が居るんじゃ……」
「あの人は……、とっくに自分の家に帰ったよ」
 抵抗らしい抵抗もないまま、部屋に引き上げられて靴も放り投げるように脱いだ。ほんの少し前に、ここで抱き合っていたのだろうに、良くも平然としていられるものだ。当事者でない自分の方が動揺してしまい、動きもぎこちなくなってしまう。
「あまりもんだけど、チキンの照り焼きとか食べる?サラダもあるけど」
 フロックは半強制的に席につかされ、ジャンは冷蔵庫を漁る。サランラップがかけられた皿を数枚とり出し、チキンは冷蔵庫の脇の棚に置かれた電子レンジの中へ、ポテトサラダはフロックの前へ。電子レンジの上に置かれたトースターへ食パンを放り込み、焼けるのを待つ間、ただ立っていた。
 不意に見えた横顔は寂し気で、この料理はあの男性へのものだと察せないほど鈍くはない。性交の際に相手を傷つける上に、やる事だけやって、用意したものを食べもせずに帰っていく男のどこが好きで付き合っているのだろう。疑問は尽きないが、出された料理は美味しかった。
 最後に出されたコーンスープも手間のかかった手作りなのか、トウモロコシの味が濃く、胃の中を優しく温めてくれるものだった。
「あのさぁ……、差し出がましいようだけど、あんただったら、もっと大事にしてくれる人が見つかるんじゃねぇの……?」
 料理を綺麗に平らげ、空いた皿を嬉しそうに眺めるジャンを思えば、強くそう感じたのだ。何もあんな暴力男を選ばずとも、もっといい相手が居そうだが。
「いい相手ねぇ……、出会った中ではあの人が一番マシだったと言うか……」
 食後のお茶を淹れ、ジャンもフロックと同じように席について、遠くを見るようにしてぼやいた。
「どんだけ男運ねぇんだよ……」
「まぁ、ゲイって気軽な関係を求めるタイプのが多いからさ、どうも俺って重いらしくて……」
 半分ほど中身のなくなったカップを指先で弄りながらジャンは嘆息し、呼気で湯気が揺れた。伏せた睫毛は思いの外長く、虚ろな表情を儚げに見せる。
「相手が居ないとそんなに寂しいもん?」
 ずっと男子校だったフロックは女性と中々縁が持てず、大学で彼女を作ろうと躍起にはなっているが、空振りばかりが続き、そろそろ諦めが入り、一人が気軽で楽しい悟りを開き出した頃合いだった。
「寂しいって言うか、まぁ……、理解者が一人でも居てくれる状況に安心するっつーか……」
 突然、何の話を振られたのか理解出来ず、フロックが目を瞬かせた姿を見て、ジャンは困ったように眉を下げ、言い辛そうにぽつりぽつりと語り出す。
「俺さ、昔っから女が好きになれなかったんだよ。友達としては好きになれても、恋愛対象とか?そう言うのは無理で……。んで、テレビでそう言う話題を見るだろ?そしたら、自分もそうなんだって解ってさ、親もそう言うのに寛容な口ぶりだったからカミングアウトした訳よ。そしたらさぁ……、『気持ち悪い』って吐き捨てられて、口もきいてくれなくなって、中学卒業したら追い出されて、仕事とかどう探したらいいか解んなくてさ、ふらふらして、言われるまま体売りながらその日暮らししてたら、あの人が拾ってくれたんだ。ま、ここは俺用の家畜小屋って訳」
 ジャンは自らを家畜と呼び、自嘲気味に話し終えると残ったお茶を一気に煽る。必死で自己肯定をしていうようで、どうにも痛ましさがつきまとう。
「ここで俺が幸せにしてやるよ。とか言えたら最高に格好いんだろうけどな」
「ん、言ってくれねぇの?」
 少しでも話したら落ち着いたのか、悪童のような表情でジャンは笑って見せた。ただの強がりかも知れないが、フロックにはそこまでの心情は測れない。
「たかが大学生にそんな甲斐性を求められても困るし、俺、そもそもゲイじゃないしな」
 肩を竦め、ジャンと同じようにフロックもカップを煽り、机に置くと立ち上がる。
「ごっそさん、美味かった」
「お粗末様。また食いに来いよ」
 玄関まで見送ってくれたジャンは、最初に比べると砕けた口調のになったようだった。本人が意識してか、無意識かはフロックには判じかねたが。何にせよ、腹を割って話せる友人が出来たと思えば喜ばしいようにも思えた。

 〇●〇●〇


 何度かの顔合わせ後に連絡先を交換し合い、ジャンから『飯ある』との連絡があればフロックは空いた時間に食事をしに行った。大概は、不定期に来る恋人のために作られた残骸だが、余裕があるとは言い難い学生生活に於いて、食事の提供はありがたかったため好意は受け取った。
「美味かったー」
 ジャンが必ず出してくれる食後のお茶を飲みながら、フロックは満足げな息を吐く。今日はとうもろこしの茶だ。香ばしい中にも甘さがあり、喉ごしも後味もすっきりしていて食後には最適である。
 フロックが膨れた自身の腹を撫で、ズボンのベルトと釦を緩める。ここ最近、心なしか食べた後だけではなく、空腹時もズボンがきつくなってきた気がしているが、ここに居る間は忘れる事にした。
 何せ美味いのだ。回数を重ねるごとに、フロックが良く食べるせいか品数が多くなり、味付けもやや濃いと感じるものからフロックの舌に丁度良くなっていった。食べてくれない相手よりも、綺麗に平らげてくれる人間の好みに合わせるようになったのだ。
 仄かな優越感。特別な関係を持つ気はないにしろ、もうお前だけに依存するジャンは居ないんだぞ。と、言ってやりたい気分にもなっていた。例の騒音問題も、寝室にしていた部屋を物置にして、ダイニングで寝るようになれば、程々に解決したため、そう苛立つ事もなくなった。相変わらず、会う度に体や顔のどこかしらに傷がついているが。
「今日の唐揚げ、今まで食った中で一番美味いかも」
「そうか?じゃあ、また作ってやるよ」
 竜田揚げに近い鳥腿の塩から揚げ。噛めばさっくりと歯触りの良い衣に、肉汁が染みだして、程よい塩とスパイスの風味が口の中に広がる。正に絶品だと言っても過言ではない。褒められてジャンも嬉しそうに笑う。
「そういやさー、お前って働いてんの?何かいつも家に居る気がするんだけど」
「働いてはないぜ。あの人が嫌がるから」
「はー?それで捨てられた時どうすんだよ。いい年して職歴なしはきっついぜ?」
 ジャンは腕を組んで考える素振りを見せる。
「そうだなぁ。まぁ、そん時はそん時っつーか、履歴書が要らない所とかあるんだろ?」
「そんなの、糞みてぇなブラックに決まってんだろ……、毎日のほほんと飯やら菓子作ってる引き籠りに務まるかよ」
「そうだなぁ。体売るにしても、流石に歳いってるし、華奢な餓鬼の方が売れるんだよな、やっぱ」
 経験からなのか、ジャンはげんなりするような発言をして考え込んでいる。
「どっかの金持ち爺か婆を咥え込んだ方が効率いいかもな」
 くすくすと指を唇に当てながら笑うジャンから、どことなく漂ってくる婀娜っぽさ。生来のものか、男に抱かれ続けて身につけたものか、それはどちらでもいいが、ジャンの器量であれば、出来ない事もなさそうな気がしてくるから不思議だ。
「で、その金持ちの爺と知り合うコネは持ってんのかよ?」
「残念だけど、それがねぇんだよなー、紹介しろよ」
「しがない大学生に何言ってんだお前」
 お互いに軽口を叩き合いながら適当に解散し、また都合が合えば会って一緒に食事をする。気楽な関係と言えばそうだ。

 こう言うのんびりした関係も悪くない。
 だが、そうも言ってられなくなったのは目を覆いたくなるようなジャンの姿を見た時。
 連絡を貰い、今日のご飯は何かと足早に帰宅。いつもならインターホンを押せば出てくるジャンが出て来ず、しかも鍵が開いていた。転寝でもしているのか。よもや強盗か。不審に思いながらも中を覗くと倒れているジャンが見え、慌てて部屋に飛び込めば、むっと臭う精の匂い。
 瞼を閉じ、衣服を乱されたまま、冷たい床の上に仰向けに倒れ、口から血を流した惨状に、最初は死んでいるのかと勘違いをした。スマートフォンを取り出してはみるものの、動揺から頭が真っ白になってしまい、警察や、救急車の番号すら浮かばず、不意に目を覚ましたジャンの呻き声でどれだけ救われた気分になったか知れない。
「おいジャン、何が遭った……」
「あー……、うん……」
 フロックがジャンの体を支えてやりながら詳細を問うが、意識が朦朧としているのか、中々視点は定まらない。
「ちょ、救急車呼ぶから、ちょっと待ってろ……!」
 これは不味い。と、やっと落ち着いて思い出した番号を入力し、コールボタンを押そうとすると止められた。
「保険証とかねぇし、いつものこったから大丈夫……」
「大丈夫って、お前、血がっ⁉」
 フロックの言わんとする所を察したのか、口元に手を当てて、指についた血を眺めている。
「口の中切れてるだけだから、歯も飛んでねぇし、平気」
「いやいや、気絶するほど殴ったり、その、するって異常だろ!何当たり前みたいな面してんだよ。お前も可笑しいぞ⁉」
 緩慢な動きで立ち上がろうとするジャンを放っておけず抱える。風呂に行きたいようで、肩を貸しながら浴室に向かえば、本当に慣れた様子で体についた汚れを落とし、着替えた後は自分で傷の手当てをしていた。一連の行動に寒気すらする。
「冷蔵庫に作ったの入れてあるから、食ったら帰っていいぞ」
 支えがなければ歩けないのか、ジャンは壁を伝いながら寝室に向かう。自らを家畜と卑下する理由の一端を見た気がして心底、嫌悪感が湧く。
「こんな磯くせぇ部屋で飯なんか食えるかよ。ちょっと来い」
 身長の割りに軽いジャンを強引に背負い、自分の部屋へと連れて行く。いつあの男が来るとも知れない部屋で、安眠は出来まいと考えたからだ。
「食うもんも食わなきゃ治らねぇだろ、お粥くらい作ってやるから寝てろ」
「お前、案外優しいな」
「俺はずっと優しいっつの」
 様子を見ながら食事の準備が出来る辺り、ベッドをダイニングへに移動させておいて良かった。シングルベッドの移動と言う重労働を決意した過去の自分を褒めつつ、フロックは台所に向かう。
 ご飯と、辛うじて冷蔵庫に入っていた玉葱、色の変わったチューブの生姜、鶏がらスープの素、牛乳とやや干からびた蕩けるチーズ、後は適当に塩胡椒で味を調えミルク粥を作る。具合は悪いが栄養は取っておきたい際の母親直伝の料理だ。
 起きてはいても、辛そうに眉根を寄せたままのジャンを支え起こし、ゆっくりと手ずから食べさせる。気分的には鳥の餌付けのようだが、状況が状況だけに冗談も言えない。

 夜までゆっくり寝かせ、熱が出て本格的に寝込んでしまったジャンの世話をしながら考える。フロックは、自分でも言っていた通り、しがない学生に過ぎない。相手の立場は知れないが、人間一人をマンションに囲うだけの資金を持っているのならば、社会的に相応の地位であろう事は想像に易い。そんな人間が何故こんな事を。理解に苦しむが、理解する必要もないと頭を切り替える。
 何度も額に乗せたタオルを変えて浮いた汗を拭う。いつもこうやって独りで耐えていたのか。相手の男は光源氏気取りか何かか。頼る当てのない子供を捕まえ、軟禁し、自らに都合がいいように育て上げる。憤懣やるせない思いだ。
 逃げた所で、帰る場所がないジャンは耐える以外の選択肢がなかったのだろう。或いは、気紛れに見せる優しさに希望を抱き、儚い愛情に縋ったか。勝手な想像でしかないが、相手がジャンに持つ愛情は、野良猫に餌をくれてやる程度のものではないだろうか。勝手にうろつかれて、蚤やダニでも持ち帰られたら面倒と閉じ込め、気紛れに愛でて無体を強いる。
 考えれば考えるほど腹が立ち、それを受け入れてしまうジャンにも苛立った。しかし、責めても、こうやって飼い主と引き離しても何一つ解決はしない。微かな希望に縋ってジャン自身が巣に帰ってしまえば元の木阿弥である。

 野良猫ならばいっそ、この部屋に首輪でもつけて繋いでしまえばいいのでは。極端な思考まで湧き出して、自分で自分の頭の具合を心配した。
「他に寝るとこねぇから一緒に寝るけど、別に疚しい気持ちはないからな?な?おい。分かったな?」
 どうでもいい宣言をしながら、食事や風呂などの自分の世話を終わらせた後に、ジャンの隣に潜り込む。熱があるせいか、やたらと布団の中が温かい。男に妙な気を起こすつもりはないとの主張のために、背中を向けながら横になれば、ジャンがフロックの背に額を当て、寄り添って来る。
「ちょっとだけでいいから……、今だけ……」
「好きすれば……」
 ジャンの手がフロックの肩を握り締め、寄り添ってくる熱い体温。
 独りで傷を舐めて癒す事に慣れてしまった野良猫が、やっと本格的に心を開いてくれた気がして、少なくともフロックは悪い気がしなかった。

 〇●〇●〇

 ゆっくり休んだお陰か、朝には容体が落ち着いたようで、ジャンの寝息は穏やかなものだった。昨日の今日で無体を働きに来はすまい。などと考えてはみたが、どんな性格かも知らない人間を断じ過ぎるのは危険だ。昨日は勝手にあれこれと想像を巡らせては憤っていたが、全ては状況判断のみ。
 相手は一体どんな感情でジャンを嬲っているのか。他人から見た解り易い幸せが必ずしも本人が望むものなのか、中々踏み込めない。
「おう、起きたか。具合どうだ?」
「大分いいかな……」
 答えた後、ベッドの中で何度か寝返りを打ち、二度寝を始めたジャンは寝かせておいて学校へ行く支度を始める。
「合鍵やっとくから、出かける時は閉めろよ」
 もう隣に帰らなくていいんじゃないか?とは言えず、後ろ髪を引かれながら、フロックは学ぶために学校へ歩いて行く。

「なぁ、マルロ、愛人とか妻に対して暴力を振るう男は法的にどうこう出来たりしないのか?」
 空いた時間に法学部に行った賢い友人を近場の喫茶店に呼び出し、何か解決の一助になればと相談してみる。が、彼は渋い表情で考え込み、答えを出しかねているようだった。
「お前、妙な事に首を突っ込んでいるんじゃあるまいな……」
 先ずは心配してくれている事実はありがたいが、求めている答えではなかった。
「いやー、隣人がさ、何かしょっちゅう怪我してるんだよ。だから気になってな。家庭内暴力とか、まぁ、内縁とか、夫婦間でも強制の関係って罰則対象になるんだろ?」
 踏み込んだ質問をすれば、ふむ。と、マルロは鼻を鳴らし、腕を組む。
「確かになるが……、立証するにも色々準備が要るな。例えば短期の夫婦喧嘩ではなく、長期的な暴力である事を示す日記のような記録だとか、病院通いの領収書、診断書各種」
「日記は解んねぇけど、病院には行ってないっぽい」
 流石に相手も馬鹿ではないのか、内臓を痛めるほど、骨が折れるほどの暴力は振るっていないようだ。そうであれば数年に及ぶ軟禁で、ジャンの体は、もう動けないほどになっているはずだ。
「ただな、こういう問題は難しいんだ。被害者本人が訴えを覆す場合も多いようでな。そう言うプレイでした。とか……、そうなると、他人が介入するのは容易じゃない」
「脅されてたりとか……、そう言うのは警察とかがどうにか出来ねぇの?」
「それでも、届けを取り下げられたら他人にはどうしようもない。現場そのものを取り押さえるか、事件が起きない限りはな。司法の限界と言えばそうだが、民事不介入と言う言葉を聞いた事があるだろう?殊、警察は身近である分、人を護るものと思われがちだが、本来は検事や裁判官などと同じく法の番人だ。法に則って人を護る。法に触れない限り、個人の諍いの範疇である内は基本、手が出せんのだ。被害者が訴えなければ何も出来ないのは歯痒くはあるが……」
 険しい表情のまま、額を指先で掻いてマルロはぽつぽつと語ってくれた。そんな現実と、理想の差異に耐え切れなくなり去ってしまう者。次第にそう言うものだと悟った振りをして、誇りも自負もなくして自らの手を汚す人間も多いのだとか。完全に個人的な愚痴も入っていたが。
「要するに、現状はどうにも出来ねぇって事か……、警察は法の番人、な…」
「何だ、お前……、よもやその人妻に惚れたんじゃないだろうな……?止めておけ、泥沼だぞ」
「は⁉んな訳ねーだろ!」
 否定しようとして、思いの外大声になってしまい、周囲から煩わしそうな視線を向けられフロックは俯いた。ジャンに惚れた。そんな馬鹿な。確かに食事の提供は受けているが、飽くまで作ったものが無駄にならないよう処分を手伝っているつもりで、好意を持っているとしてもそれは。それは。
 そこまで考え、ぞわりと背筋に悪寒が走った。確かに、食事を用意してくれていたり、食べる姿を嬉しそうに眺めているジャンに対して、知りもしない相手に優越感を持っていたのは自覚している。が、惚れた腫れたとは別だ。別だと思っていたはずだった。
「いやいやいや、ねぇって、まじで……、人のもんをどうこうしようとか思う訳が……」
「どうこうしようと思ったのか?」
「だからねぇって……!」
 否定している端から揚げ足を取ってくるマルロに苛立ちまで感じ始めてしまい、二人分の伝票を奪い取るようにして店を出てしまった。

「どうしたの?凄い顔してるけど、彼女に振られた?」
 そのままアルバイト先へと直行し、フロックは店長に見咎められた。自身では気付いていなかったが、相当な険しい表情である。自らの顔を撫で、慌てて笑顔を作って取り繕うが、店長からの訝し気な視線は変わらず、フロックに居心地の悪い思いをさせた。
 ふとした拍子に考え込んで出てしまう眉間の皺を誤魔化しに誤魔化しを重ねて、部屋に帰りつき、鍵を開けて真っ暗な室内を見渡す。ジャンに渡した鍵はポストの中に放り込まれ、ベッドの中は冷たい。帰ってから随分と時間が経っているようだった。
 当然だ。家族でも友人でも、恋人でもない人間が、家人不在の家での長居は大層、落ち着かないに違いないからだ。肩にかけていた鞄を放り投げ、壁にかけてある時計を見る。時刻は二十三時。賄いは食べているが、小腹が空いて独り暮らしに相応しいジャンの部屋にある物よりも小さな冷蔵庫を覗く。
 『お帰り。作っといたから食え』整った字体で書かれた素っ気ない一言が付いた小さな紙がオムライスの上に乗っていた。体調は決して良くはなかっただろうに。脳裏に顔色の優れないジャンを思い浮かべ、嘆息してからオムライスを電子レンジに入れる。

 相変わらず料理は美味い。
 それが余計にフロックは腹が立った。

 〇●〇●〇

「なぁ、要するにさ、養ってくれる相手だったら誰もいいって事か?」
 後日、食事の提供を受けながらフロックが唐突に話し出す。
 自分用に紅茶を淹れていたジャンが目を瞬かせ、戸惑いに固まってしまったのかカップには液体が溢れて零れ、慌てて台拭きを取りに行っていた。
「要するにって、何を要してんのか意味が解んねぇけど……」
 フロックが散々頭の中で考えていた事を口にした所で、ジャンに通じる訳がない。手作りのリコッタチーズを入れて作ったと自慢していたトマトパスタの具材を皿から掻き込み、しっかり咀嚼してから呑み込んだ。
「だから、俺……、まぁ、俺じゃなくても誰かが養ってやるって言ったらあの男と切れるのか?」
 ジャンにとっては寝耳に水で、だから。も何もないのだが、フロックが言いたい事を察し、困ったような笑みを浮かべた。
「どうかなぁ。こんな頑丈しか取り柄のない野郎を飼うための小屋を用意して、食料を与えてくれて、首輪付けて繋いどこう。なんて奇特な奴は中々居ないと思うぜ?」
「ふーん。じゃあさ、養われるんじゃなくて、働いてみるってのは?俺の働いてるとこの別店舗なんだけど、料理人が結構爺でさ、後継者探してんだけど、お前の男ってそう言うのも許さないタイプ?」
 遠回しの拒否に気付かない訳ではなかったが、敢えて話を進める。
 料理の腕や、打てば響く様な会話、それほど不器用にも見えないが、どうにも世に出る事に消極的であるらしい。
「……外出はしていいって言われてるけど、な。でも、来た時に家に居なかったら不機嫌になるし」
 ジャンは目を伏せ、逡巡する素振りを見せながら髪を自らの指で梳く。
「お前は、殴られて昂奮すんのか?首絞められて気持ちいいのか?そんならもう何も言わねぇけど」
「別に、俺はマゾじゃねぇよ。普通にいてぇし、むかつく……」
 ならば結論はとっくに出ているのではないか。フロックは眼を細めながらじっとジャンを見る。

 無言が訪れ、お互いに見詰め合いながら、無為とも思える時間を過ごす。
 静寂を破ったのはインターホンの呼び出し音。空気の詰まった風船に、針を刺すように鳴り響いた音にジャンは動揺した。
「今日来ないんじゃ……」
 苛立たし気な、何度もけたたましく鳴る音に、ジャンはフロックを顧みて、もう一度、玄関に視線をやった。出るべきかどうか、判断しあぐねているようだ。
「出てやれば。お待ちらしいぜ?」
「でも……」
 一向に開かない扉に待ちくたびれたのか、がちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえ出した。こちらにまで心臓の音が聞こえてきそうなジャンの強張った表情。扉の開閉音に肩を震わせ、喉仏が上下した。
「何だ。居るんじゃない……か……?」
「ども……、お邪魔してます」
 フロックを見て、男性は言葉を詰まらせた。愛人の住居に他人が居るとは思ってもみなかったからだろう。入ってきた男性を、正面からしみじみと見てみれば、市議の選挙ポスターで見覚えのある顔であった。付け入る隙は、十二分にありそうだと頭を動かす。
「お客さんが来てるなら、そう言いなさい」
 男性は、フロックへ解り易い愛想笑いを浮かべつつも、目は笑っておらず、冷たくジャンを見ている。
「あー、その、隣に住んでる者なんですが、今、ジャンさんとお話ししてたんですけどね、ちょっと音を控えて貰えたらなー。と。まぁ、何と言うか、諸々の生活音って言うか、ご夫婦の、解って貰えます?」
 渦を巻いたような特徴的な癖毛を掻き回し、床や壁へと視線をうろつかせながら、如何にも言い辛そうにフロックは言葉を濁しつつ男へ伝える。
「ここ、防音効いてるようで結構響くんですよね。特に夜中は静かだから……、色んな音が……」
「それはそれは……、うちの愚息がとんだご迷惑をかけていたようで、私からもお詫び申し上げます」
 正面から見た男性とジャンは、年齢的には父と子。と、言っても差し支えないほど離れている。恐らくだが、息子夫婦の住まい。と、言う設定を、フロックの言に乗っかり構成したのだろう。
「ほら、お前もぼーっと突っ立ってないで、お詫びしなさい」
「え、あっ、すみません……」
 ぽかんと口を開け、気の抜けた表情でやりとりを見ていたジャンが、男性に言われるがままに謝罪を口にし、反射的に頭を下げた。
「いやぁ、ご夫婦の事ですし、口を出すのもどうかと思ったんですが、何せ睡眠不足で学業が疎かになるのは個人的に由々しき問題でして、ジャンさんもお優しそうで、実際お話もきちんと聞いて下さいましたし、不躾なお願いだとは思いますが、宜しくお願いしたいんです」
 類を見ないほど、ぺらぺらぺらぺら口が回る。詐欺師もかくやではないだろうか。接客業で培った営業スマイルが、こんな所で役に立つとは思わなかった。
「いや、全くお恥ずかしい事で、ご近所迷惑を考えるようきちんと言い聞かせておきますので」
 言い聞かせるも何も、やってるのはお前だろ。内心、そう呟いたが、黙って愛想笑いをして聞き流す。
「じゃあ、僕はこれで。ご飯まですいませんでした。お茶もごちそうさま。失礼ばかりを言って申し訳ありません」
「あ、いえ……」
 他人行儀な科白にジャンが小さく返事を返し、フロックは部屋を後にした。
 市議か。納得の経済力ではあった。外で出せない鬱憤をジャンで晴らしているのか、全く以ていいご趣味ですこと。そんな風に皮肉らずにはいられない。

 真っ暗な部屋に帰り、スマートフォンで市議の情報を検索してみる。個人情報の保護がどうのと煩い昨今ではあるが、人の上に立つ人物であれば簡単に出て来てしまう。矛盾しているような気がしないでもないものの、芸能人と同じく顔を売る商売だ。仕方ない面もあるか。
 仕様もない事を考えながら調べていれば、ブログもやっているらしく、どんな活動をした。どんな信念をもって事に当たっているか。や、顔までは映っていないが、妻とどこどこに行きました。妻の行いに関しての感想として、こんなに良い妻と添える事が出来た私は幸運な男です。などと家族を大事にしている愛妻家気取りの文言まで散見された。次の段階へ進むための好感度稼ぎか。思わず鼻で笑ってしまう。
 これほど清廉を気取っているのであれば、醜聞が出れば一発で終わりだろう。あの脂ぎった面が慌てふためく様は面白いかも知れない。そして。そして?ジャンをあの男から解放して、後はどう責任を取るつもりだ。力もなく、頼りにもならない学生の分際で。
 ベッドの上にスマートフォンを放り投げ、自らも寝転がった。
 こんな無力感に苛まれるのは何故なのか。
 ジャンと話なんかしてしまったからだ。
 あの時、ジャンが手を引いたからだ。
 でも、きっと毎日独りで寂しかったんだろう。
 誰でもいいとまではいかずとも、あの男以外の人間と話したかったのか。

 フロックの下らない話を楽しそうに聞く様子、機嫌良く小さく歌いながら飲み物を淹れる姿、食事を終えた際の、嬉しそうな表情が脳裏に浮かんで、ベッドの上でじたばたと暴れた。俺はゲイじゃない。これはあいつに同情しているんだ。あんな下衆に閉じ込められている憐れな奴だから。
 自己否定のために頭の中で羅列していった言葉のせいで、一瞬浮かんだファンタジーな絵面に愕然とする。
 幼い頃、母親に読み聞かせて貰った絵本に登場する、悪い魔女に捕まり、塔に閉じ込められたお姫さま。引き攣った笑いが漏れた。馬鹿か俺は、あんな悪人面の野郎が、どう想像したら可愛いお姫様になるんだよ。馬鹿々々しい。
 むしゃくしゃしてフロックは両手で枕を殴る。一しきり暴れた後、枕に倒れ込むように顔を埋めた。取り敢えず、何も考えたくなかったのだ。

 〇●〇●〇

「よ、昨日はどーも、お隣さん。ご迷惑かけてまーす」
 すっかり日も落ち、空には月が踏ん反りがえる深夜、アルバイトに疲れてふらつきながら帰宅し、自宅への外廊下を歩いていれば、ジャンが玄関の扉に寄りかかりながら佇んで居た。夜景を見ているのか、それとも何も見ていないのかまでは判別できないが、廊下の明かりの具合か、顔色は良くないように見えた。
「どーも、お隣さん。あれからどうよ」
 ジャンがハイネックのニットをたくし上げ、腹を見せる。部分部分が青く変色した痕が腹に複数作られ、思わずフロックは嫌悪に呻いた。
「セックスはしてねぇけど、口塞いで腹ぶん殴るんだぜ。ゲロ吐いたわ。何も食えねぇから腹空いて頭ぼけーっとするし」
 重々しい溜息と共にジャンの声が掠れる。
「寒くねぇの?うち入れば」
 フロックが鞄から鍵を出し、自宅の玄関を開けて促し、少しばかりジャンは立ち竦んでいたが、素直に言葉に従って部屋へ入ってきた。
「バナナならあるぞ、食えるか?」
「随分とお優しいなぁ」
 見捨てた癖に。と、言外に聞こえる気がするのはフロックの幻聴だろう。
 椅子に座っているジャンへバナナを渡して直ぐ、愛用の電気ケトルでお湯を沸かし、お徳用パックの紅茶をマグカップに放り込んでお茶を淹れる。
「どうぞ、お口に合わないかも知れませんけど」
 一口ずつ、噛み締めるように食べていたバナナを置き、湯気を噴いて紅茶を一口。口元を柔らかく綻ばせるのは狡い。なんて感じてしまうのは、昨夜の妄想が未だ続いているせいなのか。
「昨日ぶりの食いもんとお茶が胃に沁みる……」
「どんだけだよ」
「体中痛いし、自分のでもゲロはくっせぇしよ。片付けても匂い残ってる気がして食欲なんか湧く余裕もなくてな」
 一口齧っては、一口飲み、食べ終わるまで優に十分はかかっただろうか。その間、フロックは台所の炊事場に寄りかかり、自分のマグカップでジャンを眺めながら同じお茶を飲んで居ただけだ。
「何で逃げねぇの?」
 口にしてからしまった。と、思った。
 嫌だと言いながらも現状に甘んじているだけだろう。本当は受け入れて喜んでるんだろう。本気で嫌なら繋がれてる訳じゃないんだからどうとでも逃げられる。このいずれの賢しぶった発言はするべきではない。なかったのに。
「お前が泣きそうな面すんなよ」
 言葉の刃を向けられた本人は笑っている。込められた意味を理解出来ないほど頭は悪くないはずだ。
 無責任に踏み込んで、引っ掻き回し、状況を悪化させ、なのに自分は関係ないからと顧みず、挙句に逃げない本人が悪いのだとばかりに詰る言葉を吐く。最低だ。
 音の事を言えば、殴ったり、あるいは乱暴な性交は自重するかも知れぬと薄ら期待していた。しかし、結果は静かな暴力に切り替わっただけだ。何も解決しないばかりか、余計な事をした。慙愧に堪えないほど。
「お前が言う事は正しいよ。逃げようと思えば幾らでも逃げられるんだから……」
 しかし、そう出来ない何かがあるからこそ、現状こうなっている。上っ面だけの憐憫に、こうしろと放言するのは実に簡単だ。言う方には責任を負う義務などはなく、高みの見物で、安全圏から腕を組んで可哀想と哀れんでいるだけなのだから。行う側は、様々な覚悟が必要だと言うのに。
 更に言ってしまえば、安易な同情は侮辱にも成り得る。

 飢えている野良猫に、軽い気持ちで近づくものじゃあない。
 誰から聞いた言葉だっただろうか。いやに頭の中に浮かんで消えない。
「殴られるつっても毎日じゃねぇし、傷が残ってたらそん時は優しいし、何だかんだで良くして貰ってるし……、はは、お前には言い訳にしか聞こえないよな。自分が一番解ってるよ……」
 あまり言及して欲しくない。そう言いたいのか。
「もう一杯飲むか?」
「欲しい」
 外から車のクラクション音、遠くから救急車らしき音もする。誰かと居るのに、静かだと感じるのは、言葉を発しないせいばかりではなく、互いの存在感が希薄である事も要因だろう。少なくとも、共に在って不快ではない。
 水を入れた電気ケトルのスイッチが切れる音がして、お湯が沸いたと知らせてくる。
「あ、白湯でいい」
 ケトルからそのまま、ジャンのコップへとお湯を注げば、残っていたお茶の色が判らないほど薄まった。ジャンに倣った訳でもないが、フロックも同じくお湯を注いで飲んだ。
「あのさ……」
 静寂を破ったのはフロックからだ。
「今直ぐじゃなくてもいいんなら、どうにか……、出来るかも、多分……、だけど」
「……随分、自信なさげだなぁ」
 ジャンは器用に片眉を上げ、なんとも微妙な表情を作る。気持ちとして、喜んでいいのか、笑えばいいのか、どっちつかずなのだろう。
「学生じゃどうにもなんねぇんだよ、何をするにしても……!俺、警察官になる予定だし、そうすりゃ、ちょっとは……、なんだよその面……」
 ジャンは口元に手を当て、顔を顰めながら驚きと困惑を露わにしている。同じく、不機嫌も露わにフロックは噛みついた。
「すまねぇ……、もっとちゃらんぽらんしてるかと……、ちょっとチャラそうっつーか」
「引き籠りに言われたくねぇ!ちゃんと勉強してっし!体作りもしてっし、絶対お前より腕力も体力も在るからな⁉大学だってなぁ、げろ吐きそうなくらいきついの必死で頑張ってんだよっ!」
 いつになく興奮気味に怒鳴りつけるフロックをジャンは必死で宥め、謝罪を口にして凄いと褒め囃す。
「別に、まだなってねぇんだから、凄くはねぇよ……、ただ何となくの目標だし……、警察学校に入れるかもまだ……」
「目標のために、だらけず頑張ってんだろ、凄いじゃねぇか?十分、自慢していいと思うけどな」
 こう、手放しで褒められるとどうしていいか判らず、ただひたすらフロックは、顔を赤らめ、唇を引き結んで黙り込む。
「そうだな、頑張ってんだよな、誰でも……」
 フロックに話しかけると言うよりは、自分に言い聞かせるような言葉をジャンは吐き出す。
「護られてばっかのお姫様は性に合わねぇな。俺もちょっとは頑張ってみるわ……」
 ジャンの科白に、余計にフロックの顔が赤らむ。ジャンが昨夜の仕様もない妄想を知るはずがない、知るはずがないのだが、見抜かれたような気がして、勝手に羞恥で倒れてしまいそうになってしまっている。
「おう、せいぜいがんばれよっ……!」
 体を小刻みに震わせ、顔をゆでだこにし、睨み付けながらの激励をどう受け取ればいいのか、再びジャンは困惑し、あぁ……。と、ぎこちなく微妙な表情で、微妙な返事を返す。
 奇妙な距離感を保ったまま、二人の時間は過ぎていく。

拍手

PR