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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

最悪の連鎖

【最悪の連鎖】2p
・クソうざモブおじさんを目指しました
・衛生的に汚い描写
・キモモブおじさんにやられるジャン君(描写無し、事後表現あり
・首絞めや暴力描写があります
・嘔吐の表現あり
・フロックの髪色はアニメの赤毛ではなくて原作表紙にあったアッシュブロンド?を参考にしてます
・喫煙フロック
・ちょろシュタイン
2019/09/13







 ジャンは車を運転をしながら、後ろの座席で涙を流し、鼻をすする女の声に耳を傾けていた。
「本当に、なんでこんな……」
 彼女は付き合っていた彼氏にいつの間にか連帯保証人にされて借金を背負い、それが余りにも多額だったため、止むにやまれず性を売る仕事に就く羽目になった。と、語る。件の男性は、宜しくない相手から借金をし、彼女を勝手に保証人にして疾うに行方を晦ましているそうでどうしようもないそうである。
「弁護士とか……、警察とか……」
「行ったけど、相手が相当怖いらしくて弁護士には逃げられたし……、警察はなんにも……」
 そして、怖い自由業の方々の言いなりになり、不本意ながらも今こうしているのだと言う。不運、不幸、不遇、不憫、表す言葉はそれぞれあるものの、残念だがジャンには何も出来ない。
 飽くまでも彼女を運ぶしがない運転手でしかないのだ。
「あの、寒くないですか?冷房緩めますか?」
 体を抱き締めて震える彼女へ問いかけるが、首を振られてしまった。
 車内は冷房が効いており、夏真っ盛りの熱帯夜でも暑くはない。
「分りました……」

 もしや、怖い自由業の方々と、彼氏はグルだったのでは?
 そんなに悪い事があったんだから、きっと、いい事ありますよ。
 なんて酷い男なんだ。きっと天罰が下りますよ。

 勝手な憶測、希望的観測、無意味な同情。やろうと思えばどれも簡単である。彼女が共感を求めているのであれば、適当に頷き、安っぽい同調するための言葉を述べてやればいいが、それがなんになるのか。
 憐れんだ所で現状は何も変わらない。ジャンは彼女を客の居る場所まで連れて行く。それだけの関係でしかなく、噎び泣いている彼女へどう声をかけるべきかも判らない若輩者なのだ。

 こんなアルバイト、申し込むんじゃなかった。

 道は狭く、道路も碌に整備されていない安アパートが立ち並ぶ住宅街に差し掛かり、毎度の如くジャンの心の中は嫌悪と後悔で一杯になる。
 大学で知り合った知人から『金になるアルバイトがあるから一緒にやらないか』との誘いに、金欠故に詳細も訊かずに乗ってしまった自分を恨むばかり。働く条件は車の運転免許証を持っている事。誠実である事。それのみ。免許証さえ見せて貰えれば、履歴書も要らないと言う時点で怪しむべきだった。
「なんで、あたしが……、こんな目に、悪い事なんて、ぜんぜん……、あいつのせいで……」
 最早、折角施した化粧もぐずぐずになっていそうなほどの泣きっぷりで、嗚咽を上げながら人を呪い、世を呪い、運命を呪い出した。
 まだ勤め始めて数か月しか経っていないが、何人か見てきた新人は、概ね世の中に絶望したような表情で店が用意した車の後部座席に座っていた。各々仕事に就いた事情は違うだろうが、大半は喜んでこの業界に飛び込んできたとは考え辛い人間ばかり。

 ジャンの送迎業務は週に五回ほどで、時間は夕方六時から深夜の十二時まで。給料は日払いの手渡し。
 時給は高く、運び終えた後は女性が『仕事』を終えて帰ってくるまで車の中で待機して時間を潰していてもいい、楽な仕事ではある。だが、同時に憂鬱でもあった。割り切れる人間であれば良かったのだが、残念ながらジャンはマザーコンプレックス気質であり、女性と言う存在を基本的に尊敬している。
 女性を物扱いし、下劣な欲望をぶつけ、泣かせて時には暴力まで振るう。そんな行為の片棒を担いでいるのだ。と、胸の内がもやもやして堪らなくなってくるのだ。

 直ぐに辞めたくなったのだが、アルバイトに入って一週間ほどで、紹介してくれた知人が『店の商品』である女性に手を出そうとしたらしく、店長に『お仕置き』を受けた。
 殴られた衝撃による皮下出血で出来た痣、腫れあがった顔や唇。仮令、知り合いであっても早々に解らないほどに人相を変えられ、土下座をさせられていた。仕事終わりに突然、事務所まで呼び出され、何事かと向かえばこの光景。理由を聞けば納得はしたものの、ここまでしなくても。と、感じ、床に這いつくばりながら震える知人へ手を差し伸べれば店長は意地悪く笑い、『こいつはクビだから、その分お前が働け』などと命令された。『逃げれば連帯責任で二人一緒に山に埋めてやる』そんな脅し付きで。
「時間が戻せれば……、あんなと奴なんて……」
 女性の怨嗟に、思わずジャンも同意しかけた。
 時間が戻せれば、知人の紹介するアルバイトになど絶対に乗らない。考えても詮無き物事ではあれど、思わずにはおれないのが人間だ。夜にこうして車を走らせ、帰宅して体を流し、直ぐベッドに入るが、後悔や自己嫌悪に苛まれ上手く眠れない。脅しに屈してしまっている弱い自分も嫌いだ。
 知人も怪我が回復してから大学に通ってはいるが、以前と比べて覇気がなく、いつも背を丸めていた。あれほど過酷な制裁を受けたのだから仕様がなく、顔を合わせればジャンに向かって、すまない。と、泣き出すため責めも出来なかった。
「えっと、つきました。あのアパートの一〇一号室です……」
「いや……」
「え?」
「行きたくない、絶対嫌……!」
 彼女は叫ぶと同時に車内から飛び出し、ヒールを脱ぎ捨てて薄暗い夜道を走って逃げてしまった。走る速度が物凄く早いとは言えなかったが、予想外の行動に判断が一瞬だけ遅れた事と、ジャンの体を拘束するシートベルトが邪魔をして咄嗟には追いかけられずに見失ってしまった。
 泡を食いながら車外に出て姿を探せど、どこへ隠れたのか影も形も見当たらず、ジャンは途方に暮れるばかり。
「え、こういう場合は……、代わり……?」
 だが、ジャンが送り届ける女性は彼女が最後の一人。
 店で待機している女の子は果たして居るのか。
「あ、あの……」
 仕事用に渡された通話のみ使用可能なスマートフォンで事務所へ電話をかけ、判断を仰ぐ事数分。先ずは客に事情を説明し、謝罪をして来い。そして、終わったら事務所へ来い。だった。背筋に冷たい汗が伝い、嫌な予感しかしない。
「逃げたら解ってんだろうな?」
「は、い……」
 電話越しに伝わってくる迫力に、ジャンは弱々しく返事をする。
 幼い子供の頃のように泣ければどれだけ楽だろうか。と、ジャンはあまり星が見えない真っ暗な空を仰ぐ。既に身長は一九〇センチになり、体つきも元運動部とあって相応に筋肉もついているが、暴力を仕事とする人間には敵いようがないのが現実だ。
 喧嘩の経験など、子供の喧嘩で取っ組み合をした程度であり、他者を躊躇なく破壊する行動がとれる人間の思考回路など全く理解が出来ない。

 ジャンは通話を切ると大きく溜息を吐いた。
 憂鬱が更に増していく。
 数分ほどなんと説明するか迷ったが、正直に伝えるしかない。
「怒鳴り散らすような人じゃなかったらいいけどな……」
 ぼやいてから車内にスマートフォンを放り込み鍵をかけて襤褸アパートの一階、一〇一号室の呼び鈴を押す。
「はいはい……、はぁ?」
「あ、こんばんは、あの、デリの運転手、なんです、けど……」
 出てきた人間はジャンよりも背が低く、良く肥えて脂ぎった男性であった。
 扉を開いた瞬間は笑っていたものの、目の前に居た男、ジャンを見た瞬間、ぽかん。と、口を開けて戸惑っている。当然だ。女性を呼んだはずが、男性の目の前に居るのは一九〇センチの大男。驚きもしよう。驚かせた事を謝罪しつつ事情を説明すれば、男性は解り易く不機嫌になっていき、納得してくれない。
「女の子が居ないって、じゃあどうすんの?そりゃ金はまだ払ってないけど、期待させといて寸前で無理です。って、そりゃないだろうに」
 瞬間湯沸かし器のように沸騰し、怒鳴ったりするような気質ではないだけ幸いであったが、どうにもしつこくねちねちと甚振ってくるような口調で男性はジャンを責める。
「すみません、店からはサービス券を渡すよう言われてますので、今回はそれでお許し願えれば幸いです」
「いやいや、金はいいんだよ別に、俺は今やりたいの。君も男なんだから解るだろ?」
 勘弁して欲しい旨を伝えても、男性は一切引かずに言葉を連ねるが、対応出来る女性が居ないのだからどうしようもない。なんでいい年してそんな事も解らないのか。
 ジャンは心の内で愚痴りつつも頭を下げ、懸命にとりなそうとするが一向に聞き入れてはくれない。
「あのさぁ、君もプロなら俺が代わりになります。くらい言えない訳?」
「はっ?」
 今までしていた申し訳なさそうな表情も忘れてジャンは男性を凝視し、あからさまに意味不明だ。と、表情に出してしまった。それにより男性は余計に気分を損ねたのか、つらつらと口を回し出す。
「女の子居ないんでしょ?じゃあ君がやればいいじゃないか。それくらいも解らないの?」
「い、いえ、あの、俺、嬢じゃありませんから……」
 ジャンは両手を胸の前にかざし、引き攣った愛想笑いを浮かべて首を振る。しかし、男性は睨め上げてくるばかり。
「だからさぁ……、言い訳は要らないんだよ。『居ないから、すみません』で終わると思ってんの?責任って知ってる?君若そうだし解んないかなぁ?無理ってんなら女の子連れてきて」
 それが無理だと何度も説明しているにも関わらず、理解しているのかいないのか。同じ言語で話しているのに話が通じないばかりか、意味不明な要求までしてくるとは。苛立ち紛れの溜息の一つでも吐きたくなるが、流石にクレームに発展すれば割を食うのは対応したジャンであり、店と客、双方から叱責を受けるのは勘弁して欲しかった。
「ですから、その女の子が……」
「言い訳は要らないって言ってるだろ、あぁもう解んない子だな……、脳みそついてる?」
 かちんとくる科白と共に腕を掴まれ、強い力で引かれたために体制を崩し、ジャンは1Kアパートの一室へ転び込むように入ってしまう。
 背後でがちゃ。と、無情に締まる鍵の音。物が少ない割に汚く見える室内。転んだ際に、床についた手にはざらつく感触。そして男性の物らしい髪の毛が付着し、ジャンは気持ち悪さに小さく呻いて店の制服でもあるスラックスで掌を拭う。店の女性達は、いつもこんな男性を相手にしているのか。これは衝撃的な事実でもあった。嘔吐きそうなほど。
「ほら、早く服脱いで。お客さん待たせちゃ駄目でしょ?」
「い、いや、です……、俺は、ただの運転手ですから……」
 男性は、あからさまに。やれやれ。とでも言いたげに首を振り、肩を竦めて見せた。余裕ぶる格好をつけているのだが全く似合っていない。
「俺は男でもいけるから妥協して上げるって言ってるのに、なんなの君?さっきから、ですからー、いやですー。って、お仕事でしょ?ちゃんとしないと駄目でしょうが、そんなんじゃ社会でやっていけないよ?」
 鬱陶しい説教をしながら迫ってくる男性にジャンは怖気たち、全身に鳥肌を纏わせて後ずさりした。気持ち悪い汚れが服につくが、構うような余裕はなかった。更に言えば、顔ばかりを見て気が付かなかったが、明らかに股間を勃起させ、スウェットを持ち上げている様子も恐怖を増す要因である。
「無理です。俺は……!」
 拒否を重ねれば強い力で頬を張られ、衝撃で頭が空白になった。次の瞬間、後頭部に鈍い痛みが走り、息がし辛くなる。男性の太い指が首に絡まりつき、次第に意識が遠退き始め、不味い。と、手を伸ばしても最早力が入らず、視界が黒く染まると同時に抵抗するための手も落ちた。

 再度意識が浮上した際に感じたのは、『臭い』と言う嗅覚による刺激だった。
 どこか湿った感じがする敷布団の上で目を覚まし、体を起こせば視覚によって吐き気が込み上げた。両手で口を塞いでは見たが、込み上げるものを抑え切れず口の中に溜まったものが微かに指の間から漏れ、数滴の雫が肌の上に滴り落ちた。
「あれ、大丈夫?ほら、ここに吐きなよ」
 風呂上がりらしい男性に差し出されたコンビニ袋の中に胃の中身を吐き散らし、涙と鼻水に塗れながら現状をまざまざと認識した。気絶している間に犯されたのだ。と。
 体に残る生臭い唾液の匂い、腹部に散った黄色っぽい体液は男性の精液であろう。下半身、もっと詳しく言えば肛門辺りがじくじくと痛み、滑つく感触。全てが嫌悪の象徴であり、吐き気が止まらない。
「どうしたの、こんなの慣れてるでしょ?大袈裟だなー」
 慣れてて堪るか。そう怒鳴りたかったが胃液で喉が灼け、苦し過ぎてジャンは上手く口を動かせず、言われるがままになっていた。口惜しさと怒りと情けなさで感情がごちゃ混ぜになる。
「汚れちゃったしお風呂入って行けば?」
 胃の内容物を全て吐き切り、ジャンが肩で息をしながら項垂れていると、汚物に塗れたコンビニ袋を手にした男性が浴室を指差した。促されるまま、のろのろと這いつつ浴室を覗けばタイルの目地は至る所に黒黴が生え、タイル自体もなんとなく薄赤く見えた。室内と同じく、碌に掃除もしてないのだろう。
「いい、です……」
「そう?じゃあこれ使いなよ」
 男性が自分の体を拭いていたらしいタオルを差し出してくる。ぞっとしたが本人は至って好意のつもりらしく、晴れやかな笑顔であった。
 ジャンは震える手で受け取り、腹や下腹部を拭い、幾分ましだった台所で顔や咥内を濯ぐと、床に放置されていた自分のカッターシャツで水分を拭った。そちらの方が余程衛生的な気がしたのだ。
「睡眠姦って一度やってみたかったんだよね。君みたいな頑丈な子で良かったよ。俺、元々柔道やってたから絞め方上手だったでしょ?」
 男性は、ジャンが服を着終わるまで待ち、スーツジャケットのポケットへ金をねじ込む。如何にも満足した様子で喜々と語る姿は異様としか言えない。人の首を絞めておいて。一歩間違えれば死んでいたのに。
 頭が可笑しい。関わりたくない。是とも否とも言わず、ジャンが軋む体を動かして外に止めてある車まで辿り着けば、着信を知らせるランプが光っていた。
 一度、連絡をしてからどれほど時間が経っていたのか、着信は数十件に及び、電池が切れかけている。ジャンが男性の部屋で気絶し、弄ばれている間、延々とかけ続けていたのだろう。
 かけ直すべきか逡巡していれば、手の中でスマートフォンが震え、着信を通知する無機質な音楽が鳴り響き、心臓が急速に縮まり痛みを発する。あの女性ではないが『何故、俺がこんな目に』。と、嘆きたくなった。
「は、はい……」
「何やってんだてめぇ!なんで出なかった⁉どこに居やがる!」
 暴力を仕事とする人間に相応しく、迫力のある恫喝であったが、ジャンは恐怖するよりも泣きたくなった。か細い声で謝罪をすれば怒っている風の演技だったのか、電話越しの店長は酷く掠れたジャンの声に気付いて、訝し気な声を上げた。
「とりあえず事務所に来い。いいな、逃げるなよ。お前が嬢を逃がしたせいで上の人まで来たんだから、お待たせすんじゃねぇぞ」
「はい……」
 待たせるなとは言われたが、体もあちこちが痛く、頭がふらついて運転する行動が怖かった。
 しかし、車は持って帰らなければならない。他に選択肢がなく、早朝故に車は少ないが、国道に出ればあまりにものろのろと走るためクラクションを鳴らされ、無理矢理な追い越しをかけられつつも三十分ほどかけて事務所へやっと到着した。
「何だお前……」
 外の入り口で待たされていた下っ端の男がジャンの顔を見て困惑に彩られる。
「なん、です?」
「顔ひでぇぞ。腫れてるし……」
 あぁ、そう言えば殴られたな。
 ジャンは今更のように思い出し、自らの頬に触れる。他の諸々が衝撃的過ぎて、頬の痛みなど無に等しかったのだ。服も乱雑に脱がされ、床に放置されていたせいか皺がかなり寄ってしまい、カッターシャツの釦も上手く止められていないため、見た目にも中々に無残な状態である事にも気付けていなかった。
「まぁいいや、店長、滅茶苦茶怒ってるからな。覚悟しとけよ」
 これ以上悪い事などあるのだろうか。
 先導する背中を追い、覚束ない足取りで殺風景な四角いビルの中にある事務所へと入ればジャンが滅多に入室を許されない応接室に通される。部屋の真ん中に設置された黒い革張りのソファーの一つに店長が座り、部屋の隅に設置されている事務机には白いスーツを着た見知らぬ若い男性が暇そうに煙草を吹かしていた。
「何してたんだお前、なんだその恰好?」
「それは……」
 矢継ぎ早の質問に、どう説明していいか口籠り、入り口に立たされたままのジャンの視線は床を這う。
「大方、怒った客にボコられて今まで伸びてたんじゃないですか?こいつ見た目の割にひょろいし」
「お前には訊いてねぇよ。黙っとけ」
 側に居た下っ端が意気揚々と憶測を並べ立てれば、部屋の隅に居た白いスーツの男性が煙草を灰皿でねじり潰しながら面倒臭そうに言う。
「で、実際は?」
 男性が立ち上がればそれなりの長身らしく、ジャンと視線の位置がほとんど変わらない。髪色は金がくすんだようなアッシュブロンドで、全体的にこざっぱりと短く切り揃えてはいるが前髪だけが眉を覆うほど長く、大きな目をより迫力あるものに見せていた。
「客に殴られたのは事実、です……」
「ふぅん?で?逃げた女を探しでもしてたか?」
「いえ……」
 無感情に睥睨してくる視線を避け、男性の胸元へと視線を落とす。
「じゃあ、連絡がつかない間なにしてたんだ?」
 淡々とした口調で問い詰め、感情を交えず飽くまでも事実のみを確認しようとする姿勢は無駄に委縮せずに済んで楽と言えば楽ではあったが、自らに行われた行為があまりにも悍ましく、口にする事も憚られ、ジャンは唇を引き結んでしまう。
「なんならこいつが女を逃がしたんじゃないですか?甘っちょろいし」
 先程、黙れと言われたはずの下っ端が下卑た笑いを浮かべながら、ありもしない憶測を並べ立てれば男性から裏拳が飛んできて体が吹っ飛んだ。
「黙れつっただろ。俺はこいつに訊いてる。それで?今まで何してた?」
「そ、れは……」
 話の通じない客に昏倒させられた挙句、強姦されました。
 事実を口にしようとすれば、何も入っていないはずの胃から吐き気が込み上げ、ジャンは口と腹を押さえて床に膝をつき、しゃがみ込んでしまった。
「おい、ちゃんと説明しろ。なにやってんだ!」
 店長がジャンの頭上で怒鳴りつけるが、説明しようにも眩暈や吐き気がして喋れないのだ。
「あー、煩い……、怒鳴ればいいとか思ってんじゃねぇよ。もういい、お前らは女探しとけ」
 男性は、本当に煩そうに片耳を塞ぎ、しゃがみ込んだジャンの腕を掴むと引き摺るようにして立ち上がらせ、事務所の外にある駐車場まで歩かせた。
「お前、ザーメンくせぇな、服もだし、何があったかはお察しか」
 ちら。と、男性はジャンを顧みて、うんざりした様子で呟く。
「あ……」
 弄ばれたまま、風呂に入らずそのまま事務所まで来たのだ。鼻が利く者であれば煙草を吸っていても解るのか。ジャンは唇を噛み、薄く浮いた涙を見せまいと顔を俯かせた。
「女を運ぶ仕事には逃げないようするための見張りも入ってる。逃がしたのはお前が悪いが、ま、良くあるこった」
 男性はあっけらかんと言い放ち、ポケットの中にある鍵で派手な赤い車を操作すると助手席の扉を開け、ジャンを押し込んだ。

 上質な革で作られたシートの上で、ジャンは地獄の底に落ちたような心地になる。いつかの知人の様子が頭に浮かんだが故に、この先が絶望でしかないと理解したからだ。
 逃げる間もなく男性が運転席に乗り込み、ボタン操作で車のエンジンをかけて発進させる。
「シートベルトしとけ。捕まったら面倒だ」
 現住所、本籍が記載された免許証の情報はコピーをとられ、相手に握られているのだ。全てを捨てる覚悟がなければ逃げても無駄である。ジャンはもたつきながら言われた通りに体をシートに固定し、小さく溜息を吐いて人生を儚んだ。せめて、苦労を掛けた母親に手紙の一つでも送らせてくれないだろうか。相手も人間だ。その程度の慈悲くらいは。

 既に死を想い、母親へ、この親不孝をなんと謝罪しようか考えていれば、真っ赤な車は郊外の山ではなく、ビル街へと移動しているようだった。ハンドルを見れば、馬が跳ねているエンブレムがついている。事情のある女性を使い、あんな酷い客の相手をさせて稼いだ金で買った高級車は、さぞかし乗り心地が良いのだろう。そんな皮肉気な思考にもなった。
「降りろ」
 大きなマンションの地下にある稼働式駐車場へと入り、車を置くと男性はジャンの手を引いてエレベーターに入っていく。一体どこへ行くのか。男性の感情が読めない横顔を眺めながら思考を巡らせ、一つの考えに辿り着く。もしや、この人達は売春の斡旋だけでなく、臓器売買などもやっているのか。と。
 埋めて無駄にするよりは、バラバラにして有効活用。せめて死ぬのなら、難病で困っている人の助けになった方が幾らか救われるかも知れない。暴力組織の糧になるのは癪ではあるが。
 荒唐無稽な妄想をしつつ、エレベーターが昇り切る短い時間で、ジャンは無駄に頑丈で、健康な体を恨めばいいのか喜べばいいのか判らなくなっていた。

 抗う気力もなく、手を引かれるに任せて男性が一つの部屋の前に立ち止まり、鍵を開ける様を眺めていれば、ふいに涙が零れた。
「せめて痛くないようにして下さい……」
 猫が獲物を遊びで甚振るように、意識があるまま切り刻まれるのは嫌だ。そう思って口にすれば、はぁ?と、如何にも馬鹿にしたような声が返ってきた。
「くせぇから風呂入れ」
 部屋に入ると早々に浴室に放り込まれ、呆然としていれば男性はあからさまに苛ついた溜息を吐き、自らジャケットと靴下を脱いでシャツの袖を捲り、浴室へと乗り込んできた。
「さっさと脱げよ。こんなきたねぇスーツ」
 一々ボタンを外すのが面倒だったのか、半ば力任せに剥ぎ取られ、上半身を空気に晒される。
「ほら、さっさと下も」
 男性は苛きながらジャンへ命令し、シャワーのコックを捻る。
 直ぐに暖かいお湯がシャワーヘッドから流れ出し、それを急に頭から被せられたために体温との温度差から嫌に熱く感じてしまったジャンは小さく息を呑んだ。
「早く全部脱げ」
 お湯で濡れて脱ぎ難くなったスラックスと下着を嫌々ながらも脱げば、更に容赦なくお湯をかけ始める。何がしたいのかさっぱり解らない。
「洗うからじっとしてろよ」
 全身をお湯で濡らした後、今度は床に座らされ、頭を洗われ出した。
 美容室に置いてあるような質の良いシャンプーなのか、香りはないものの指通りが滑らかで、洗い方も丁寧なため、昨夜の男性と違って乱暴にされている印象は抱かなかった。強姦を受け、既にジャンの中の倫理観や情緒が崩壊している可能性もあったが、寧ろ優しく感じていた。
「流すから目を閉じとけ」
「あ、はい……」
 言われた通り目を閉じ、温かいお湯の感触を受けていれば緊張が解けてお湯と一緒に目から体温と同じ温度の水が溢れてくる。
「体洗うぞ」
 同じく無香料らしいボディーソープをタオルに塗り付け、泡立ててジャンの背中をなぞっていく。だら。と、力を抜いている腕を持ち上げ、指の一本一本まで丁寧に洗ってくれているが何故、こんな事をしてくれるのか謎でしかない。
「顎上げろ、首洗う」
 決して乱雑ではなく、寧ろくすぐったくさえある洗浄。
 背中側から前へ手を回し、撫でるが如く丁寧に洗っているかと思えば下半身にまで手が伸びてきた。
「あ、あの?」
「全部洗うから、立て」
「自分で……」
 ここまで呆けて任せていたのは己であるが、下半身ともなると羞恥で流石に目が覚めた。が、ボディタオルを受け取ろうとしても男性は渡してくれない。
「壁に手をついて立て。隅から隅まで洗う」
 有無を言わせぬ物言いに、上手く動かない脚を叱咤しながら壁に手をつく。
 すると、男性は有言実行さながらに、ジャンの性器から繋がる袋に会陰部分、更には窄まりの奥にまで指を入れて洗っていく。
「どんなおっさんにやられたのか知らねぇけどさ、お前馬鹿じゃねぇの、あぁ、馬鹿なのか……、利用されてるの、全然気づいてねぇもんな」
「な、え、ひっ……!」
 妙に知った風の物言いが引っかかったが、意識を失っている間に散々嬲られたのだろう孔を丹念に洗われ、ジャンは目を白黒させながら壁に爪を立てて奥歯を噛み締める。
 やっと指が抜け、ほっと息を吐けば太腿、足の裏、足の指の間までも洗われ、すっかり泡を流し終えれば脱衣所に出るよう指示されてバスタオルを投げつけられた。
「俺も軽く流すから、リビングで適当に座ってろ」
 犬を追い払うように脱衣所からも追い出され、ジャンは裸のまま体を拭きつつ室内を散策した。
 幾つも扉があり、部屋自体は広く見えたが、異様に物が少なく、リビングに至ってはソファーとテレビがぽつん。と、置かれているのみ。台所に使用感がないばかりか食卓すらない。食事はどこでしているのか。妙に生活感がない部屋である。
 バスタオルで粗方体を拭き、腰に巻いて言われた通りにソファーに座れば、カーテンの隙間から外の明かりが差し込んでいた。既に日は登り切っているようだ。

 これからどうしたらいいのか。
 親に胸を張って言えないようなアルバイトをした挙句に、見ず知らずの中年に強姦され、暴力組織の幹部らしい男に拉致された。どうするか考えても考えても頭が上手く動かない。
 纏まらない思考を放棄し、無作為に視線を動かしていれば、ソファーの側に生活感のない部屋に似つかわしくない使い込まれたリュックサックがぽつん。と。投げ出されていた。
 近づいて観察すれば、大学生くらいの年齢の男が良く使うブランド物だ。
 弟か、よもや本人か。
「なに人の鞄漁ってんだよ」
「み、見てただけです!」
 口ぶりからして、どうやら本人の物らしいと知れる。
 バスタオルを腰に巻き、フェイスタオルで頭を拭きながら出てきた姿はジムにでも通っているのか中々に筋肉が仕上がっていた。若さ故に、部下に舐められないようにしているのか。
「まぁ、別に大したもんは入ってねぇが……、これやるよ。お前、この間講義で寝てただろ」
 男性がリュックサックの中から紙の束を出し、ジャンに渡したそれは大学の講義をノートに纏めた物のコピー。差し出されて思わず受け取りはしたが、何故持っているのか。
「んだよ。解んねぇのか」
 男性が再びリュックサックの中に手を突っ込み、眼鏡ケースを取り出して黒縁眼鏡をかけ、まだ乾いていない髪を整えて見せた姿は、どことなく見覚えがあった。
「同じ講義とってんだけど、覚えてねぇのかよ……」
 男性が舌を打ち、ジャンを睨みつけながら証拠とばかりに学生証を提示された。
 学生証に記された名前はフロック・フォルスター。ジャンと同じ大学に在籍する一年生であるが、名前を見ても思い出せないため、きっと話した事はほとんどない。しかし、彼を見かけた記憶は確実にあった。
「で、助けてやったのに、礼もない訳?」
「あっ、あり、がとう……」
 ただただジャンは驚くばかり。
 目立たない同級生が明らかに真っ当ではない人間が集う場所で煙草を吹かしながら踏ん反りがえり、無礼な相手へ問答無用の暴力を振るい、より年長の者を威圧した上に高級車を乗り回し、どう考えても身の丈に合わないマンションに住んでいるなど、どうして想像が出来ようか。
 一度に訳の分からない事が起こり過ぎて、限界を超えた脳の回線が焼き切れてしまいそうだった。
「な、なんで……、あんなとこ……」
「親の仕事手伝ってるだけ」
 訊けば、親が暴力組織に属する職業だそうで、普段は目立たないよう躾けられつつも、しっかり英才教育は施され、武道などもある程度は仕込まれているらしいと知った。
「別に俺は喧嘩が強い訳でも、自分が権力持ってる訳でもねぇけど、一応、立場はあるからはったりもある程度は効くしな」
 しかしながら、下っ端の男を殴り飛ばした際の暴力性、横柄に店長へと命令する立ち振る舞いは演技とは思えなかった。大学では常に前の席に座り、後方の席ではしゃぐようなやんちゃを気取る連中とは関わらないようにしていた人間が、本物のご職業とは。世の中解らないものだ。
「お前がうちの管轄で働いてるのは知ってたけど、ほんっと馬鹿っつーか……。お前の友達、『あいつは俺の親友で、俺の代わりに何でもする奴だから好きに使って構わない。だから俺は許してくれ』なんて言ってたらしいけど、知ってたか?」
 知らない。
 事実とすれば、体のいい生贄に差し出された事になる。
 大学で、『ごめんな、俺のせいで……』と、謝る姿は何だったのか。謝罪を繰り返す知人へ、『いいから、もう馬鹿な真似すんなよ。怪我治って良かったな』そう返した己はなんと愚かなのか。否、待て。これは果たして真実を告げているのか。本当なのか、嘘なのか、最早、誰を信じればいいのか判らない。
 足元が瓦解していく感覚にジャンは立っていられず、床の上にへたり込んだ。
「人間なんて、基本性根が腐った奴ばっかなんだよ。善人の皮を被ってるだけで裏では笑ってる。だから、お前みたいなのは直ぐ利用されるんだ」
 男性、フロックは全く他人を信用も信頼もしていないらしく、人間の善性を全否定する言葉を吐いた。
「そうだな……、例の逃げた女も、知らない間に彼氏に保証人にされてた。なぁんて言ってたみたいだが、あれな、男に貢がせて自分だけ豪遊してたような屑女だぞ。陥れられたって自業自得って奴。使ったもんを返すためにお得意の股開いて男を転がす仕事を紹介してやったのに、逃げるとはなぁ。そんなに嫌だったかね」
 言いながら、フロックはリュックサックの小さなポケットから煙草を取り出して火を点け、煙を深く吸い込んで天井へ向かって吹き出す。事務所では気付かなかったが、彼が吸う煙草は妙に甘ったるい香りがした。
「なんで、助けてくれたんですか……?」
「んー、可哀想な同級生を見過ごせなかったから?」
 どんなに言葉を飾った所で悪党の理屈であり、今も小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている辺り、本心ではない。
「俺、これからどうなりますか?」
 服もなくては外へ逃げられない。
 財布やスマートフォンなども事務所のロッカーの中。
 どう足掻いても相手の掌の上。きちんと頭が動く状態であったとしても、今のジャンに打てる策など何一つ存在しない。
「どうもしねぇけど……?なに?さっきも変な事言ってたし、俺にレイプされるか内臓ばらされるとでも思ってたのか?そこまで非人間に見える?」
 フロックは場所を移動し、ソファーに座ると近くにあった灰皿へ煙草の灰を落とす。
 『そんな人間』に、見える見えないで言えば見えた。ジャンは返答が出来ず、手に持ったノートのコピーへ視線を落とす。字はお世辞にも綺麗とは言えないが、上手く要点を纏めているようで、解り易いものだった。飽くまで家庭環境でこうなっているだけで、本人は案外、真面目で優しいのだろうか。
「臓器云々は兎も角、レイプして欲しいならしてやるけど?」
「して貰わなくていいです……」
 短い間に二回も強姦の憂き目に遭うなど、完全に頭が可笑しくなってしまいそうだ。
「げっそりしてんなぁ。ちょっと待ってろ」
 ソファーの上に煙草置いた灰皿を乗せたまま、ほんの五分ほど、別室へ行ったかと思えば、部屋着に着替えたフロックが手に何着かの服を持って出てきた。
「好きなの着たら?出来るだけ緩いの選んだけど」
「あ、どうも……」
 服を渡され、広げてみれば、かなり着古したスウェットだったが、きちんと洗濯された香りがする。下着はないため、そのまま着ろ。との事だろう。
「腹減ってんなら……、適当に出前頼んでもいいけど」
「腹は別に……」
 これは気を使われているのか。
 ジャンはじ。と、フロックを見詰めるが、やはり感情も思考も読めない。彼に何の得があって、助けてくれたのかも謎のままだ。
「なんで……」
 口にはしてみたが、どう訊けばフロックが本音を話してくれるのか判らず、ジャンは結局、口を噤む。新しい煙草に火を点け、仕事の連絡でも来たのかスマートフォンを弄る彼自身の事も何も知らない。人となりも知らず、どうして思惑を測れようか。
「帰り、ます……」
「そう?好きにしたら」
 これ貸してやる。
 フロックはそう言うと、リュックサックの中から財布を取り出し、交通系のICカードを渡してくれた。
「え、要らない……」
 使った分を利子付けて返せ。などと言われては堪らない。
 咄嗟に拒否したが、お前には借りがあるから。と、握らされ、部屋から追い出される。ジャンがフロックに貸した『借り』とは、全く身に覚えがないものである。
 だぼだぼのスウェットに革靴。可笑しな組み合わせの服装で駅を探してぼんやり電車に乗り、慣れ親しんだ自分のアパートへ帰りつけば泣きたい心地になったが、枯れてしまったのか涙は出ない。胃も空っぽのはずだが空腹の感覚もない。
 妙に希薄な現実感に、既に死んでしまっているのではないか。なんて妄想が湧いた。あの汚いアパートで死体になって転がる自分を想像しながら頬を抓ってみれば、痛みはあった。一応生きているようだ。

 もう何も考えたくない。
 疲れた。

 両手で目元を覆い、真っ暗な中で頭を空っぽにしていれば、疲労が限界だったのか意識がすとん。と、落ちていた。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 泥のように眠り、丸一日、寝続けて起きた翌日。
 相変わらず食欲はなかったが、あり合わせを無理矢理、口に詰め込んで水で流し込んだ。

 今日は出席するだけでも単位が貰える講義だ。行かない理由はない。
 電車代はへそくりとして隠していたものでなんとかなる。だが、体が酷く重く、外へ出ようとすると胸がむかついて食べた物を出しそうになった。心臓が嫌に重く響き、呼吸が乱れる。不味い傾向だ。

 着替えも自分の世話も済ませているのに動けなくなり、ジャンが玄関で蹲っていると呼び鈴が鳴り、心臓が跳ね上がる。
「おい、居るだろ?開けろ」
 声は昨日聞いたばかりの男の声。
 忘れようはずもない。
「ふろ……」
 馴れ馴れしく名前を呼ぶ行為は躊躇われ、言葉は途中で止まり、後半は口の中で消えた。
「居るなら開けろよ」
 開ければフロックの後ろに厳つい男が並んでいたりしないだろうか。
 苛立たし気に扉を叩く様子は何を思っているのか。
「あ、カード……」
 来訪の理由を察し、借りたカードと金を手に持って扉を開ければ不機嫌丸出しのフロックが玄関先に立っていた。
「あ、これ、ありがとうございました……」
「は?別にそんなのどうでもいいし、さっさと用意しろよ。迎えに来てやったんだから」
 フロックはICカードだけを受け取り、床に置きっぱなしになっていたジャンの鞄を指差した。格好は半袖のTシャツにデニムパンツ、顔には黒縁眼鏡をかけ、髪は渦巻いたような癖毛をそのままにリュックも背負っている。言い草は横暴だが昨日の横柄な若頭風の男性は居ない。
「えぇ……」
 フロックは玄関に入り、ジャンの手と鞄を持って外へ連れ出そうとする。
「ちょ、まっ、靴……」
「さっさと履けよ」
 如何にも面倒臭そうな様子。
 ジャンが使った金を受け取らないなら何故、直接来たのか。
「あぁ……」
 気の抜けた返事をして靴を履き、鞄を受け取って鍵を閉めれば、また手を引かれて歩かざるを得なくなる。今日は車ではないようで、手を繋いで向かう先は近くの駅だ。
「あ、の……、昨日使ったお金は……」
「あぁ、お前の財布とスマホ。忘れてた」
 フロックがリュックを下ろし、中から手に馴染む革の財布とスマートフォンを渡され、思わず首を傾げた。
「事務所に置いてたはずじゃ……」
「わざわざ取ってきてやったに決まってんだろ」
 鍵は?と、訊きたかったが彼はあの事務所の所有者のようなものだ。合鍵があるのだろう。そう思う事にした。
 何となく連行されている気分になりつつ大学に行き、同じ講義を受け、昼食をとり、夕方に差し掛かってくれば憂鬱になった。
 今はフロックに連れられてバーガーショップに居るが、これから事務所に行き、車を借りて女性を運ぶ仕事をしなければならない。再び胸が悪くなり、目の前でハンバーガーやポテトをもりもり食べているフロックを胡乱な眼差しで見やる。
「なに?」
「い、いや……、そろそろ、バイト……、行かなきゃと思いまして……」
「行かなくていい。もう代わりの奴見つけたから。大体、お前、あぁ言う仕事向いてないだろ」
 事も無げにフロックが答え、否定出来ない断言に曖昧な返事を返した。
 バーガーショップから出た後は、そのままフロックのマンションまで連れて行かれ、殺風景な部屋のソファーにジャンは大きな体を小さく縮めて座っていた。
「何してるんですか?」
「寛いでる」
「寛げますか?」
「うん」
 ソファーに座るジャンの膝に後頭部を乗せ、フロックはスマートフォンでゲームをしている。どういう状況だこれは。自問自答しても答えは返って来ない。
「今日から、お前の仕事これな」
「これ?」
「俺と一緒に居る事」
 もしや、この子は友達が欲しかったんだろうか。
 家庭環境で人と打ち解けられず、偶々同級生のジャンと知り合ったを幸いに友達になって見たかったのでは。

 仕様もない推測ではあるが、行動から見て当たらずとも遠からずな気もした。
 なんて友達作りが下手な奴だ。そうは思えど助けて貰った恩もある。無下にも出来ず、膝の上に乗った頭を撫でてやれば無意識なのか口元がにま。と、動いた。少しばかり可愛い気もして、友達になるのも悪くはない気がした。

   ◆ ◇ ◆ ◇

「こんなの要らないだろ」
 ジャンが大学のカフェテラスでアイスカフェオレを飲みながら、コンビニに置いてあったアルバイトの求人情報誌を眺めていればフロックに奪われ眉根が寄った。
「いや、アルバイトしないと家賃とか払えないし……」
「なんで?」
 敬語が気持ち悪い。と、禁止にされ、話し方は普通になったが束縛気質なのかフロックはあまりジャンに自由行動を与えてくれない。友達との距離感が今一解ってないと見えた。
「お前と違って俺は裕福じゃねぇの」
 ジャンの家は母子家庭である。大学も勉強で推薦を受け、奨学金を貰いながら通っていた。成績は絶対に落とせない上に実家は遠く、独り暮らしを維持するためには金を稼ぐ必要があった。だからこそ、効率のいいアルバイトとして知人の誘いに乗ってしまったのだ。
 それが無くなった今、他のアルバイトを探さなければいけない状況でもある。
「ふーん……」
 求人誌は返して貰えず、フロックはぱらぱら雑誌を捲る。
「こんな湿気た金額で良く働く気になるな」
 世間知らずのぼんぼんめ。
 悪態を吐きたい気分になったが、言った所で理解はしないだろう。
「煩いな……、いいから返してくれ」
「家賃気になるなら俺の家住めば?どうせ部屋余ってる」
 直ぐ傍にあったゴミ箱に求人誌を放り投げ、フロックが距離感なしの提案をしてくる。
「そんな世話になれねぇよ……」
「なんで?」
「なんでって……、そりゃ、他人だし……」
「他人だから一緒に住んじゃいけねぇって決まりはないだろ」
 反論してもフロックは屁理屈をこねるばかりで話にならない。
「じゃあ、明日くらいに引っ越しするから貴重品は自分で纏めとけよ」
「はぁ⁉」
 引っ越しを勝手に決め、フロックがスマートフォンを弄りながら席を立ってカフェテラスから出て行った。あまりにも強引過ぎる決定に血の気が引く。冗談だと思いたいが、ジャンの目には到底、冗談を言っているようには見えなかった。
 今まで友達が居なかったにしても酷い距離感の詰め方である。

 翌日、フロックは本当に屈強な部下を七、八人連れてきた。
 ジャンの住む部屋に置いてあった小物類を段ボールに詰め、大物家具はてきぱきとトラックの荷台に積んでいき、あっと言う間に空っぽにしてしまった。残されたジャンはフロックの車に乗せられて移動する。
「あの……」
「なに?」
「まじで俺、お前のとこに住む訳?」
「そうだけど、不満か?」
 不満よりも戸惑いの方が強い。
 意味が解らなさ過ぎるのだ。
「なんで、ここまでしてくれるのかなー?とか……」
 出来得る限り好意的に捉えれば、困窮しているジャンを助けてくれる行動には違いない。が、フロックには全く利点がない。
「自分のオンナ囲うのは当たり前だろ」
「おんな?」
 どこに女性が。
 ジャンの疑問を他所に、フロックは自宅マンションまで車を走らせ、部屋まで上がる頃には引っ越しは、ほぼほぼ完了しており、男性達はフロックに深々と頭を下げて帰って行った。
「ここお前の私室な、あっちはさっさと引き払っとけよ」
「あぁ……、うん……」
 一体、何が気に入られてこんな事に。
 裸状態の合鍵を渡され、ジャンはじ。と、手の中にある物を見詰める。フロックのコミュニケーションが独特過ぎて、最早、理外の範疇に入っていた。自分の考えを語らず、人の話も聞かない。そこらの幼児の方がまだ解り易い可能性すらあった。
 我が身に起こっている事なのに、余りにも現実離れをし過ぎて夢の中に居るようだ。

 フロックが示した場所は、部屋の広さだけでも以前の二倍。
 安アパートの一室であれば丁度良かった家具を並べても隙間だらけで、一気に生活感が希薄になった。衣服が詰められた段ボールを前に、ジャンは呆然と立ち竦み、機嫌良く出前を頼んでいるフロックの声を聞きながら、悪い夢なら早く覚めて欲しい。そう願うしかなかった。

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