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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

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こんにちは人間

・2021年06月05日
・暴力のバイオレンス表現
・モブジャンちまっとある
・人を殺すネタ、死にネタっぽいのがあります
・ハピエンです
・誰がなんと言ってもハピエンです






【こんにちは人間】


 大学に入学し、春からの新生活。
 これからの生活に希望を抱き、浮かれていたはずなのに、今、俺は信じられない物を目にしていた。
「俺が見える奴久しぶりだなー。良かったら話そうぜ!」
 黒いスーツを着た赤毛の男が突然、本当に突然、荷解き中の部屋に現れた。
 当たり前のように部屋に入ってきて俺の事をじろじろ見てたかと思ったら、なにかに、はた。と、気付いたような表情をして話しかけてきた。
「は、は……はぁ?強盗?」
「いや、死神」
 なんなんだこいつ。
 勝手に人の部屋に入ってきて、へらへら笑いながら何を言い出すんだこいつは。
 頭の可笑しい奴だ。刺激しないようにして追い返さないと、何されるか解ったもんじゃない。心臓がバクバクする。極度の緊張状態にある俺とは裏腹に、赤毛の表情は華やいでいる。
「あの、お金は持ってません……、別に金目になるような貴重品もありませんし……」
「だーかーらー、強盗じゃなくて死神。なぁ、お前、名前は?」
 死神。
 やばい気違いだ。
 まとわりつかれたら危険だ。
「じゃ……、ジャック……」
 つい素直に名前を教えようとして、本名は不味いのでは。と、思い直し嘘を吐いた。これが正解なのかは現時点では判らない。
「へー、かっこいいな」
「どうも……」
 とうとう赤毛は座り込み、居座る事に決めたようだ。勘弁して欲しい。堪らない。さっさと出て行けよ。
 俺の願いも空しく、死神を名乗る気違い男は一方的にべらべら喋っている。仕事仲間と話してもつまらないだとか、人間の世界の物は面白い物が多いとか、荒唐無稽な事ばかりを話していた。
 俺は一言だって喋ってない。これじゃ会話じゃなくて一方的に投げつけられる言葉の剛速球だ。
「あ、俺もう行かねぇと、じゃあな」
「はい、お疲れ様です……」
 やっと出てった。
 戸締まりしなきゃ。
 笑顔で手を振りながら出て行った赤毛を見送ってほっと息を吐く。やっぱり春先は変な奴が湧くんだな。

「は、うそ……」
 玄関に移動し、俺は愕然とした。
 鍵は閉まっている。じゃあ、あいつはどうやって中に入ってきた?死神?本当に?なら俺は死ぬのか?
 嫌な汗が浮いて出て、全身が怖気で冷えていく。
「疲れてんだよな……」
 そう自分を納得させ、ふらつきながら短い廊下を歩いて部屋に戻る。悪い夢だ。寝ればきっと治る。
 今日中に荷解きと片付けは諦め、引っ越し屋さんが設置してくれた未だシーツも敷いていないベッドに身を預け、目を閉じた。得体の知れない恐怖にぞわぞわと身を蝕まれる思いだが、早く寝ないと。早く。
 考えれば考えるほど妙に頭が冴えて、赤髪の顔がぐるぐる回る。
「うぅ……」
 呻りながら何度も寝返りを打ち、暑くもないのに汗を掻いて止まらない。
 段々、気持ち悪くなってきて、風呂に入る事にした。段ボールの中から石鹸やタオル、パジャマにしているTシャツを出し、のろのろと浴室に入ってお湯を浴びる。これだけでもすっきりするんだから、シャワーを作った人は偉大だ。

「よぉ、邪魔してるぜ」
 風呂から上がれば勝手にテレビを点け、寝転がって見ている赤毛が居て、やっと落ち着いた心がまた乱される。
 鍵、締まってたよな。
「なんで……?」
「ん?」
 きょとんとした面で振り返った赤毛を見て、今度は腹立たしさが勝ってくる。とは言え、恐怖と半々だが。
「何なんだよお前!?出てけよ!」
「そんなに怒るなよ。可愛い顔が台無しだぞ?」
 漫画の気障男が吐きそうな科白を口にして赤毛はごろごろを再開する。蹴ってやろうか、畜生。
「あのなぁ、死神だかなんだか知らねぇけど、さっさと出てけよ!」
 俺が強い口調で怒鳴っても、赤毛は平然としてテレビで流れているお笑いコントを眺めながら楽しそうにしていた。
 なにやらコントがツボに入ったのか、赤毛はひぃひぃ笑っている。俺はちっとも面白くない。俺の声が聞こえてない訳でもない癖に 腹立たしい。
「絶対、こいつらが優勝だよなぁ」
 へらへらしやがって。
 掴み出してやろうと俺が手を伸ばすと赤毛は素早く身を翻し、落ち着けとばかりに掌を前に突き出す。
「待て、俺に触るな」
「はぁ!?なんだよ死神だからか?いつまでやんだよその死神設定!」
 苛々が募り、掴もうとしていた手は自然と拳が握られた。
 ぶん殴って追い出してやる。こっちは不法侵入されてんだ。これは立派な正当防衛。俺は被害者。絶対、俺は悪くない。
「いやいや、ほら、見てみろ」
「あぁ?」
 赤毛が俺を避けながら、母親から貰った小さな植木鉢に生えていたヒヤシンスに触る。何すんだ。そう怒鳴ろうとした瞬間、一瞬で花が枯れた。俺は口を開いた状態で固まる。
 思わず枯れたヒヤシンスを触るが花弁は萎みきり、茎も垂れ下がって茶色く変色している。目の幻覚やトリックじゃない。
「な?俺に触ると碌な事ないぞ?」
「俺を殺しに来たのか?」
 生気を奪って人を殺す死神。
 ただ触るだけで衰弱させて殺すなんて恐ろし過ぎるだろ。
「いや?今回連れてくのは隣の奴。部屋間違えたんだ、わりっ」
 赤毛こと死神はへらへら笑いながら片手を立てて軽々しく謝り、コント番組を再び見始めた。人の家で寛ぐな、さっさと死神の国にでも帰れ。
「間違えただけならさっさと出てって下さい」
 仮にも死を司る神だ。
 おちゃらけては居るが話せば通じるかも知れない。
「居座られると迷惑なんですよ」
「あ、俺の事は気にしないでいいぜ。別に死亡リストに載ってない奴は連れて行く必要ないし」
「迷惑つってんの解んねぇのか……」
 あまりの横暴な態度に、つい暴言が出てしまった。
 しかし、死神は屁とも思っていないようで、コントを見てけらけら笑っている。俺だって荷解きしながらのんびりテレビでも見て、寛ぐ予定だったのにこいつのせいで台無しだ。
「出てけ」
「やだ」
「迷惑つってんだよ、聞けよ」
「いや、まじでお喋り出来る奴って珍しいんだよ。こっちじゃ死に際の人間看取って案内するだけで、あっちに戻っても湿気た家で待機してるだけだし、なー、喋ろう」
 喋るって何を。
 俺が不満をありありとたたえた表情をしているのに全く気付いていない辺り、やっぱり感性が人間と違うんだろうな。なんて思わざるを得ない。
 大体、こちらを無視して一方的に喋っている辺り、会話ではない。再度繰り返すが言葉の剛速球を投げられ捲っているだけだ。
「はっ、さびしん坊はママにでもよしよしして貰えよ。俺はお前に付き合う義理なんかねぇぞ」
「お前のママは優しいんだなー。俺は居ねぇから解んねぇわ」
 母親が居ない?いや待てよ。神の母親に該当する存在って何だ?創造神?死神ってどうやって産まれるんだ?もしかして、俺は非道い事を言ったのか?
 俺が自分の嫌みに打ちのめされていると、赤毛の死神はにこにこしながら寄ってくる。
「俺の事なんかどうでもいいだろ?なぁなぁ、お前って好きな子とか居んの?何歳?恋人居たりする?今何やってんだ?食いもんの好物は?ここにはなんで引っ越してきたんだ?」
 今度は機関銃質問か。
 言う事が修学旅行の糞餓鬼だ。
「他にも探せば居るだろ見える奴。俺はお前に付き合う気ねぇって」
 少々勢いは落ちたが、はっきりと自分の意思を告げると『寝具類』と、書かれた段ボールを開けて寝床周りを整え、また別の段ボールから漫画を出してからベッドに転がって死神を無視する。
「なぁ、答えてくれないと触っちゃうぞ?」
 俺の頭の上でひらひらと手を動かしながら、死神が解り易く脅しをかけてくる。何て奴だろう。
「好きな子は……、居たけど失恋した。ここに引っ越したのは大学に通うため」
 嫌々渋々ながら答えれば、死神の表情は嬉しそうに緩む。
「へー、失恋かぁ。目の前でやってるとこでも見ちまったのか?」
 一瞬、何を言ってるのかが解らなかった。
 要するに、好きな子のあられもない姿を見たのか。と、訊かれたのだと、察するのに数十秒かかってしまった。死神ってのは、現状を鑑みるに勝手に部屋に入ったりするから、人間的な情緒に欠けているんだろう。
「お前最低……、触りたきゃ触れよ!んで二度と俺の前に現れんな……!」
 こいつが人恋しく感じているのなら、俺が居なくなるのは嫌なはずで、案の定、俺の啖呵に怯んで眉を下げながら手を引っ込めた。
「返事くらいならしてやるから、勝手に喋ってろよ……」
 死神が今にも泣きそうな表情になりながら俯き、あまりにも陰鬱な空気を醸し出したものだから、仕方なく妥協してやった。するとまぁ、元気に喋り出す。
 先程見ていたコントの感想から、最近の世界情勢だったり、ここいらの近隣住民の個人情報までで出だした。どこぞの母親は誰々の父親と浮気をしていて、どこぞの独身男性は部屋中にいやらしいゲームが溢れている、どこぞの息子はお偉いさんが親だからやりたい放題。等々。
「あの、話題が溜まってんのは良く解った。ただな……、話す話題は選べ。人の事をあれこれ言うもんじゃねぇ……」
「人間ってこういう話題が好きなんじゃないのか?テレビとかこんなばっかじゃねぇか」
 確かに好む人間が多いからこその需要であり供給なのだろうが、残念ながら俺はそこまでゴシップを楽しむ人間でもない。決して面白半分に見たりしないとは言わない。だが、そこまで他人の人生に踏み込もうとは思わない。
「んー、そうかぁ、ま、人間も色々だもんな」
 それなりに納得して死神はまだまだ口を動かす。一向に止まる気配はない。仕事仲間とは余程折り合いが悪いのか。そんなに人と喋りたかったのか。ずっと独りぼっちなのか。
 聞いている内に様々な想像が駆け巡り、妙に同情してしまったのか、いつの間にか真摯に耳を傾けてしまっていた。
「はー、喋った喋った……」
 優に二時間近く喋っていただろうか。
 ある程度満足したらしく死神はどこかに消え、ペットボトル飲料を持って現れた。一応確認してみたが、俺の冷蔵庫の中はまだ何も入っていない。
「どっから持ってきたんだ?」
「隣の部屋、死んでるからもう要らないだろ」
「えっと……?」
 薄々、嫌な予感はしていたが、要するに今、隣人は死体になって部屋に転がっていると言う事になる。
「きゅうきゅうしゃ……、けいさつ……」
 にわかにスマートフォンを持ち、挙動不審になった俺に対して死神は楽しそうだ。
「止めとけって、死んだばっかりだから死臭してる訳じゃないし、下手に通報とかしたらお前が疑われるぞ?大体、隣の爺は寿命なんだから気にするな」
「それは孤独死……、か?」
 偶にニュースで耳にする話題だ。
 万が一、俺もここで死んだら孤独死に該当するんだろう。見つけてくれる人は誰も居ない。死神は居るにしたって、仕事が終わればさっさと退出し、後処理まではしてくれないと見える。
「んー、訪問介護っつーの?見に来てくれる人が居るから大丈夫だろ。見つけて貰えなかったら悲惨だけどなー」
 飲み物を摂取したからか、死神の口がまた元気になり、生命活動を止めた肉体が徐々にどうなっていくかをつぶさに教えてくれた。俺は胸が悪くなって便所に駆け込み、胃の中身を全部出してしまった。
「大丈夫かー?こんなの普通だろ?何がそんなに気持ち悪いんだ?」
「お、おまえ……、いや、いい……」
 死神と人間、感性が違うんだ。
 常識だって違うだろう。
 自分と同種の生き物の死を忌避するのは正常な判断のはず、こいつだって仲間の死神が死んだら嫌だろう。多分。死神が死ぬのかは知らないけれど。
「そう言う表現はちょっと刺激が強過ぎるから控えてくれると嬉しいかな……」
「んー、そっか……、解った」
 意外と素直だ。
 人間との交流に慣れていないだけなんだ。きっと。
 口を漱ぎ、顔を洗い流すと少しだけ気持ち悪さが治まる。こいつと一緒に居ると、ずっとこんな思いをする羽目になるのか。嫌だな。
「まー、具合が悪いならさっさと寝た方がいいんじゃねぇかな?」
 半端に優しい。
 駄目だ。考えるのは止めよう。
 死神と人間の違いをより理解してしまうだけだ。
「なんかさー、折角お互いに認識出来てるのに、背中すら擦ってやれないのってもどかしいな?」
「んあ?あぁ、そうだな……」
 やっぱりさびしん坊なんだなこの死神。と言うか、仲良くしたいなら死神仲間とやればいいのに。は、愚問なんだろうか。

「死神ってお前みたいなのばっかりなのか?」
「どういう意味だ?」
「そんなにお喋り好きならさ、気の合う死神も居るんじゃないのか?」
 死神は悩む振りをしつつ、今までの饒舌が嘘のように訥々と語り出す。曰く、ほとんどの死神は人間にも興味がなく、無機質に仕事をするばかりなのだとか。人間を真似て遊びに誘っても感情に動きはなく、食事にも飲み物にも関心を示さないそうだった。
「こんなに美味しいのにさ-」
 手に持った飲料を見せつけるように振り、死神は笑う。
 眠りもせず、楽しみもなく、生きる意味を見失ってしまいそうだが、死に携わっていると感情がなくなるのだろうか。死神って悲しい生き物?だと感じた。
「飲んでなにか影響はあるのか?」
「いや、美味しいだけ。別に飲み食いする必要ねぇからな」
 あぁ、それだと娯楽は全く発展しないだろう。
 楽しみたい。美味しいものが食べたい。飲みたい欲求があるからこそ作る技術は発展していく。不便を改善するにしても同じだ。
「つまんなさそうな世界だな……」
「だっろー?」
 俺の同意を得た事が嬉しいのか、死神は意気揚々とペットボトルを高く掲げて美味しそうに飲み下す。死神って骸骨のイメージだけど、内臓はあるのか。飲んだ物はどこに行くんだろう。
 美味しそうに飲んでいる姿を見ていれば、俺も飲み物が欲しくなったため薬缶を段ボールから出して軽く漱ぎ、焜炉に置いて湯を沸かす。
「お茶淹れるけど……、飲むか?別に大したもんじゃねぇけど……」
「飲む飲む!人から淹れて貰うって嬉しいな!」
 死神は大いにはしゃいで子供のように諸手を挙げて喜ぶ。死神が無感情って嘘だろ?と、言いたいくらいだ。
「美味いかどうか解らんけど……」
「いやぁ、サンキュー!」
 淹れたら淹れたで、死神はマグカップを両手で掴み、大事そうにじっくり飲むんだから俺はすっかり絆されてしまいそうになる。
「美味い……!ありがとなジャック」
 しみじみと礼を言われ、自分が偽名を用いた事を思い出して無性に罪悪感に襲われた。
「その、ごめん……、名前、嘘で、ジャンって……」
「ジャンか!俺はフロックな!」
 死神、フロックは偽名に怒りもせず最後の一口を飲みきってマグカップを差し出した。おかわりが欲しいらしい。
「お、おう……」
 大らかなのかな?
 フロックの事はまだ良く解らないけど、これから騒がしい毎日になりそうな予感だけはひしひしと感じている。


   ◆ ◇ ◆ ◇

   ◆ ◇ ◆ ◇


 死神のフロックは、ふらっと出て行って、ふらっと帰ってきては居座る。
 口が疲れないのかと思うくらい良く喋り、煩いからと、なにかしらを与えれば実に嬉しそうに、大事そうに頬張るのだから、一緒に居て悪い気はしなかった。
 悪い気はしなかったのだが。
「あのさー、お前……、通貨って概念ある?」
 ごろごろしながらポテトチップスを頬張っていたフロックに、通帳の残高と財布の中身を確認しながら無駄とは思いつつも訊いてみた。一人増えると相応に余分な出費もかかる。フロックが突然部屋にやってきてから一ヶ月あまり、俺はしみじみと生活には金がかかるのだ。と、痛感していた。
「金欲しいのか?」
「そりゃな」
 ずばりと核心を突くフロックに面食らいながら、財布と通帳を鞄の中にしまい込み、遠い目をする。金があるに越した事はない。『金なんかに固執してはいけない』なんて、宗教関係の奴や、脳みそがお花畑の善人は吐いたりするが、単純な話、金があれば選択肢が増える。
 金があれば明日からどうしよう。そんな悩みも湧かない。ただ腹を満たすためだけの食事もしなくていい。住居だって広く清潔な場所に住んでいられる。基本的に悪い事は起きない。
 とりあえず、週3程度のアルバイトを増やすかどうか考えなければ。
「あー、宝くじとか当たんねぇかな-」
 フロックと同じく床に転がりながらスマートフォンで求人を探す。
 探せば幾らでも出ては来るが、家から近く、自由がきいて給料が良い所となると中々難しい。学業の邪魔になってしまえば本末転倒。大学で勉強を続けるために生活資金が要るのだから、アルバイトが本業になってはいけない。
「ちょっと待ってろ」
 ポテトチップスを食べ終わったフロックがにわかに立ち上がり、外に出て行った。待っていろ。と、言う事はお出かけではないらしい。
  夕飯はもやしと豚肉の卵とじかな。冷蔵庫の中身と懐事情を鑑みて、安く済む品を考えて台所に立つ。
「んー、玉葱スープでもするか……」
 独り言を呟きながら、近所にある格安スーパーマーケットで手に入れた玉葱を薄く刻んで適当に煮込み、コンソメで味付けをする。今ひとつ腹には溜まらないが、ないよりはマシだろう。

 でも、あいつほんと何でも喜ぶからなー。
 作り甲斐はあるんだよな。

 卵とじを皿に移し、フロックの帰りを待つ。
 玉葱スープは温め直せるように、まだ鍋に入れたままだが、ちょっと待ってろ。そう言って出て行った割には、少々時間がかかっている気がする。
「あ、お帰り」
「おう、金要るんだよな?」
「あ?」
 言いながら、フロックが出て行った際には持っていなかったトートバッグを逆さまにして中身を巻き散らし、俺は驚きすぎて何の反応も出来ないで居た。
 目の前で紙くずみたいに撒かれたそれはどう見ても真新しい高額紙幣で、人間ではないフロックがどうして持っているのか。いや寧ろ。
「どっから盗ってきた!?」
「あ?盗ってねぇよ。貰ってきたんだよ」
「はぁ?死神の給料か?」
「あー、そういう事」
「はぁー?」
 俺が釈然としないまま、苛立ち半分、戸惑い半分でいればフロックは平然と座卓の前に座り、皿に盛られた料理に箸をつけようとした。俺は咄嗟に皿を奪い、目の前の理外の理に居る存在を睨み付ける。
「返してこい」
「あ?」
「返してこいつってんの……!」
 大声にならないよう気をつけながらフロックを叱り飛ばす。
 人間ではないフロックが人間の通貨である紙幣を持っているはずがない。死神がどういう生体で、どんな就労形体なのかも知らない。しかし、こちらの質問に乗っかってした返事を鵜呑みにするような真似は出来ない。
「お金ってのは大事なもんなんだよ。無くなったらその人が困るだろうが」
「絶対、困らないような豚から貰ってきたから心配すんなよ」
 やっぱり盗んできたんじゃないか。とは言っても無駄だろう。
 人間の倫理観をフロックに求めてはいけないし、説いても意味はない。ただ、人としてやってはいけない事を俺は受け入れないとはっきり示す。それが一番効果があるはずだ。
「解ったよ……、でも、言っとくけどな、死んだ先に金は持って行けねぇんだぜ?」
 口ぶりからして、亡くなった人が所持をしていたお金を持ってきたらしい。
 ほとんど火事場泥棒だ。
「……金を盗るために殺したとかないよな?」
「そんな馬鹿な真似するかよ。死ぬ人間は基本的に決まってんだ。役割を逸脱した行動は罰則対象だ」
「へー、そう。ほら、返してこい!」
 ぶつぶつ文句を垂れるフロックをあしらい、金を入れたトートバッグを目の前に押しつければ不満そうに渋々受け取り、外に出て行った。 

 明日、強盗殺人事件だなんて可笑しな事になってなければいいが。
 フロックの仕業だと立証は出来ないだろうが、他人に余計な仕事を増やすのは得策じゃない。
 全く困ったもんだ。

 気分を変えたくてお茶を入れ、本を読みながらフロックの帰りを待った。
 先程よりは早く帰ってきたものの、本人的には役に立つ事をしたつもりが、拒絶されて不満だったのか不貞腐れている。
「ほら、茶淹れたから飲め、スープ温め直してくる」
 ティーポットからやや温くなったお茶をフロック専用にしたマグカップに入れ、台所に行く。不貞腐れてはいるようだが、お茶を大人しく飲んでいる辺り出て行く気はないらしい。

「お前さぁ、お喋りだけど死神の仕事はあんまり喋らないよな?秘匿事項とかあんの?」
 改めて料理を出し、座卓の前に座ると、こんな貧相な食事を目の前に眼を輝かせるフロックへと問いかける。
「んー、禁止って事はないけど、なーんもないからな。つまんないとこだよ」
「何もない?雲の上みたいな?」
 本気でつまらなさそうに零すフロックに質問を重ねるが、本当に何もないらしい。
 人間の世界からは何も持ち込めない。ただただ暗い洞窟に閉じ込められているような感じで、死神として目覚めた瞬間から命を刈り執る手段と、するべき事、してはいけない事だけが頭に入っていると。
 変化がないため時間が流れているのかすら解らない、空虚な空間だそうだ。
「ま、そんな所にずっと居たら感情も無くなるよなー」
 口ぶりから先輩方を指して言ってるのか、フロックは一人で納得していた。
「じゃあ、なんでお前はそんなに元気なんだ?」
「俺、ほとんど帰らないで人間のとこにずっと居るからな。まぁ、その代わり仕事が忙しいけど」
「ずっと死神の世界に居たら仕事しなくていいとか?」
 何もない所だそうだから、仕事くらいはしてないと気が狂ってしまいそうな状況を想像するが、フロックのような仕事漬けも疲れてしまいそうだ。
「仕事してないと不要品って判断されるのか消えるけどなー」
 ぞっとするような事を平然と宣うフロックを凝視するが、本人は全く意に介していないよう見える。死神の世界も過酷だな。人間と比べるような事じゃないけど。
「ま、こっちで好き勝手遊べるからな、それなりに楽しんでるぜ俺は」
「俺って友達も出来たしな?」
 若干、茶化すように言ってやったんだが、『友達』の科白が嬉しかったのか、フロックの表情は一段と明るくなった。何というか、昔、近所に居たポメラニアンを思い出す。

 もさもさしてて、俺を見たら笑顔で一生懸命尻尾を振って懐いてくれた犬。あぁ、そうだ。フロックの事は犬が転がり込んできたんだと思おう。料理を頬張りながら嬉しそうにしているフロックを見ていれば癒やされる事は確かだ。食費は俺が節約とアルバイト頑張ろうかな。


   ◆ ◇ ◆ ◇

「ジャン、飯は?」
「あー?あ……?あぁ……」
 遅くに帰って来てから転た寝をしてしまっていたようだ。
 アルバイトを週五に増やし、学校や自主勉強も怠らないようにすれば必然的に寝不足になり、寝落ち回数が増えてきた。
「今日は風呂も入ってねぇだろ?飯食わねぇで寝るならベッド行けよ」
 フロックは予定にない人を触れないからか、必死で俺に話しかけている。帰ってきた時には居なかったはずだから、ついさっき帰ってきたんだろう。時計を見れば既に零時。お腹は空いてる気がするが、食事をする気分にはなれなかった。
「はー……、風呂には入らないとな……」
 アルバイト先がスーパーマーケットなため、搬入された品物を運んだりする力仕事が多い日はどうしても肉体的疲労が募る。
「飯作れなくて悪いな……、食いたかったらカップ麺あっから……」
 ふらふらした足取りで浴室に向かい、風呂に入れば多少の眠気は覚め、髪を乾かすためドライヤーで温風を頭に送る。
「何も食わなかったのか?」
「言ったろ?趣味だから、本来は食う必要ねぇの」
 ゴミもなければ、何の香りもしない部屋を見渡してフロックを見やれば、したい事も、見たいテレビもないのか随分と暇そうにごろごろしている。ぐだぐだしている動物園のパンダのようだった。
「朝飯は作ってやるから不貞腐れんなよ」
「おう、楽しみにしてる」
 髪を乾かしきると襲ってくる眠気。
 のそのそベッドへと入り、フロックへおやすみ。と、告げてから目を閉じる。
 人間の俺と違って眠る必要もないフロックは、ただベッドの脇に座って側に居るだけのようだ。夜の間も仕事で暇を潰しているのか、他にもする事があるのかは知らない。お喋りの癖に、意外と自分の事は話さない奴だから。

 朝には朝食をとり、学校へ行く。
 時間が空いて眠れる時間があれば寝て、休みの日以外はアルバイトに精を出し、フロックとお喋りしてから就寝する。疲れてはいるが、充実はしている気がした。
「あー、つっかれた……」
 スマートフォンで時間を見れば十一時過ぎ。
 今日は閉店後の作業まで入ってたから疲れるのも当然で、既に眠い気がするが路上に転がる酔っ払いでもあるまいし帰宅まで頑張るしかない。
「すわりてぇー」
 疲労した肉体からの懇願のように口から弱音がぼろぼろ落ちる。明日は休み、明日は休み。大学も必修科目は入っていない。だからゆっくり眠れる。朝食は多分無理。フロックには悪いが、きっと解ってくれるだろう。

 昼飯は何にしてやろうか。そういえば、起きたら買い物に行かないとあまり食材が残ってないな。魚がいいか、肉がいいか、それとも米料理やパスタがいいだろうか。何でも喜んでくれそうだけど。
 欠伸を噛み殺しながらぼんやりと明日の予定を考えていれば、帰宅途中にある公園にさしかかった辺りで人とぶつかってしまった。
「あ、すみません……」
 謝罪と会釈をしてそのまま去ろうとしたら二の腕を掴まれてしまい、ぎょっと目を瞠る。
「ふらふらしてんじゃん、介抱してやるよ」
 にやつきながら絡んできたのは人相の悪い派手な柄シャツを着た男の二人組。
 間違いなく酔っているだろう酒の匂いがぷんぷん漂ってくる。
 性質の悪い連中に当たってしまったらしい。
 最悪過ぎる。
「あの、ぶつかったのはすみません……、放して下さい」
「いいだろ、遊ぼうぜ」
 ただでさえ疲れているのに、面倒臭い事になった。
 気力がなく、下手に出たのが間違いだったか。
 最悪な事に夜中とあって他に人も居らず、居たとしても、一九〇センチの大男が絡まれて助けてくれる人が居るかは謎だが、人の目があるという抑止力程度にはなるだろう。
「え……、遠慮しておきます……!」
 幾分強めに言いながら掴まれた手を振りほどいたら、それが気に入らなかったのか男はむ。と。不機嫌な表情になり俺を平手で打ってきた。
 なんで殴られたんだ。ぶつかったのは確かに悪かったけど、わざとじゃない。ぶっきらぼうだったが謝罪もした。酔って可笑しな絡み方をしてきたのは相手の方だ。俺が悪かったのか。
「人にぶつかっといてすいませんだけで済む分けねぇだろぉ?」
 本当に最悪な人種とぶつかってしまったらしい。
 もう一人も何が面白いのか、げらげら笑ってて止める気は全くないみたいだ。
「じゃー、いいとこ行くか」
 俺の頬を打った男が馴れ馴れしく肩を組み、もう一人が腕を組んで引き摺られる。全力で抵抗すればどうにかなるだろうか。俺は背ばかりがひょろ長いだけで格闘技なんてやってないし、殴り合いの喧嘩だって、昔馴染みの馬鹿としかした事がない。
 しかし、このまま流されても碌な事はないと判断し、絡んでいた手を振りほどいて逃亡を試みるが、どうやら二人は見た目通り暴力沙汰に慣れていたらしく、容赦なく鳩尾を殴られて息が詰まり、次いで背中に衝撃を感じて地面に膝をつく。頭上から笑い声が聞こえるが、何が楽しいのか微塵も解らない。
「ほら、立てって」
 酷く咳き込んでいれば髪を掴まれ、強引に引かれたせいで頭皮に嫌な痛みが走ったが気にしている余裕はない。髪を引っ張る手を思い切り払い除け、逃げようと脚に力を入れる。
 ニュースで見た事はあっても、自分の身に降りかかるとは考えすらしていなかった事態に精神が恐慌状態に陥ったのか息がし辛く、情けない事に足が震えて今にも力が抜けそうだった。

 ここを抜ければ直ぐに家がある。そこまで逃げれば流石に追いかけては。そう思った瞬間、自分で思っていたよりも速度が出てなかったのか容易く追いつかれ、更に殴られた挙げ句、より人目を避けるためか公園の植え込みへと追いやられていった。
 俺だって黙ってやられっぱなしにはなりたくないが、どうにかして一人を打破しようとするともう一人に攻撃を加えられ、人の倒し方なんて知らない俺には二人を同時に攻撃する。などの高等な芸当が出来るはずもなく、硬い爪先が腹にめり込んで口から嫌な味のする唾液を吐きながら地面に蹲る。

 何でこんな事が出来るんだ。
 自分だってこんな痛くて怖い思いをするのは嫌だろう?
 何故、笑える。
 何故そんなに楽しそうなんだ。

 なん……殴っ……ら、興……。
 は……き……わる。

 二人が何か話している声が聞こえたが、耳の中で音が反響して上手く聞き取れない。
 胸座を掴まれ、顔を上げさせられた。
 もしかして顔を潰されるのか。
 殺す算段の会話でもしてたのか。
 嫌だな。死にたくないな。母ちゃんにまだ恩返しも出来てないし、友達とも遊び足りないし、何よりフロックが俺の帰りを待ってるんじゃないか。そう思うと勝手に涙が出てきた。
「ははっ、泣いてやがる。可愛がってやるから安心しろよ」
 確実に聞こえるようにするためか、酒臭くて生暖かい息が耳にかかる距離で話しかけられ、怖気が全身を一気に駆け巡った。
「ひっ……!?」
 耳を湿った感触がするものでなぞられ、あまりの気持ち悪さに悲痛な声が思わず出る。
 何されるんだ俺。
 
 かちかち歯の根が合わなくなり、目を閉じて、ぐ。と、身構えていたが何も起きない。殴り飽きて帰って行った?助かった、のか?
 恐る恐る目を開けると、二人の男の首を掴んだ状態で、無表情のまま俺を見下ろしているフロックが居た。
「生きてるか?」
「あ、あぁ……」
 助けに来てくれたのか。
 今度は安堵の涙が溢れて力が抜けた。
 フロックが二人の男を放り投げ、俺の顔を覗き込んでくる。
「病院とか行っとけよ?」
「あ、あぁ……、うん……?」
「俺が居なくてもちゃんと飯食えよ?」
「なんで?」
「なんでもいいから、うんって言え」
「うん……?」
「寂しいと思うけど泣くなよ?」
「何言ってんだお前……」
 フロックがつらつらと話す言葉の要領が掴めず、生返事や質問しか出来ない。
「お前に触れたら良かったんだけどなー」
 徐々にフロックの声が遠くなる。
 殴られすぎたのか、姿もぼやけて見えてきた。
「フロック……?」
「じゃーな?キスくらいしときたかったけど仕方ない」
 何の冗談だよお前。
 俺がそう言おうとしたら、フロックの姿が消える。
 あいつが姿を消せるなんて知らなかった。

 フロックが消えた空中を呆然と眺めていれば、突然、眩しい光に照らされ、警官の制服を着た人に声をかけられた。通報を受けたとかで、ぼろぼろになっている俺を労ってくれたが、地面に転がっている二人がぴくりとも動かない事に気付くと慌てた様子で無線を使って喚きだし、瞬く間に救急車と警察車両が集まって静かだった公園が騒然とし出した。
「あれは君がやったのか?」
 救急隊員の人に助けられながら簡易ベッドのような物に寝かされて、救急車に乗る前に警察が俺に質問をしてくるが、意味が解らず見詰めるだけで終わった。
 横になったらもう目を開けていられなくて、一瞬で意識を失う。

 疲れてて、全身痛い上に怖かったし、フロックは変な事言って居なくなる。
 最悪の夜過ぎだろう。明日はいい事があって欲しい。
 
   ◆ ◇ ◆ ◇

 俺は病院で目を覚まし、起きたと見るや警察の人が複数で話しかけてきた。
 簡単に話を纏めると、俺を襲ってきた暴漢二人は傷一つなく絶命していたらしい。全く身に覚えはない。だって、俺は一方的にやられてたんだから。
「そう、か……、怪我してる所に悪かったね」
 他には誰かを見なかったか。とかも訊かれたが、知らないと答えた。フロックの事を伝えても捜査を混乱させてしまうだけだ。

 警察が帰った後、病院代どうしよう。だとか目先の困った事を考える。
 ただでさえ金がないのに、困った。運がなさ過ぎるにもほどがあるだろうが。心の中で悪態を吐き、鎮痛剤でましになってるとは言え、動けば相応に痛む体を起こして窓から晴れやかな外を見る。

 フロックの奴、見舞いにくらい来いよ。
 飯食うだけ食って薄情な奴め。

「あ、失礼するよ」
 扉を叩いて先程来ていた警察の人が戻ってきた。
「まだ何か?」
 腹を殴られ捲ったせいか、喋るだけでも辛いから手短にして欲しいな。何て考えていたら、余程、沈痛な面持ちでもしていたのか、警察の人が困ったように頭を掻く。
「これ、あの、警察の方で預かっていた荷物。渡し忘れてごめんね。それと、何かを思い出したらここに電話をかけてくれると嬉しいな」
 焦ってどもりながらも名刺と荷物を置いていった警察の人を見送り、届けて貰った鞄を漁る。スマートフォンは幸い無事で、充電は切れかけているが使うには十分だ。面倒だったが学校に連絡し、暫く来れないと伝えた。大分驚いていたが学校の事務員はアルバイトをしているなら労災が適用されるだろうから安心しろと言われた。手続きに必要な事を聞き、次にアルバイト先にも同じ連絡をすれば少しだけ不安が拭われる。
 母親にはどうしようか。心配させたくないんだよな。暫く悩んで結局母親には電話をかけず、スマートフォンを放り出して横になった。

 入院している間、友人が見舞いに来てくれたり、点滴スタンドを杖代わりに痛む体を押して一人でトイレに行こうとしたら看護師さんに叱られて尿便を持って追いかけられたりしたが、骨が折れたりはしていなかったようで、三日もすれば動ける程度になった。食べ物はまだほとんど流動食だが。
「あと一日様子見て、問題なさそうなら退院して大丈夫ですけど、無理はしないようにして下さいね?」
 病院の先生が優しく俺を諭してくれる。
 あんな目に遭うと人の優しさが身に沁みるな。
 そうだよな。世の中あんな非道い奴ばっかりじゃない。
 幸い、治療費も自費の支払いは必要ないと言われたし、寧ろ補償が出るって事で助かった。
 ただ、フロックは顔一つ見せないし、仕事忙しいのかな?この数ヶ月、家に帰れば誰かが居る生活に慣れていたせいか、なんだか侘しい。おやつを貰って喜ぶ犬っころみたいなフロックが今や懐かしいくらいだ。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 お世話になった病院を出て真っ直ぐ自宅に向かうが、帰り着いても誰もおらず、ほんのりと埃が積もっていた。人に触れないだけで、物は触れたから掃除はしてくれてたのに、俺が帰ってきてないからってさぼったか。全く。

 ぶつぶつ文句を言いつつ掃除をしていれば、心に引っかかる物があった。
 人に触れない。何故なら命を奪ってしまうから。予定にない命を奪う事は罰則対象だとか言ってなかっただろうか。俺を襲った暴漢二人にフロックは触れていなかったか。
 帰って来ないのは何故だ。予定にない命を奪ったから罰を受けたのか?俺のせいで?俺のために?
 掃除する手を止め、すとん。と、床に腰を落とし俯いた。あれはフロックの意思で姿を消したのではなく、罰として消されたのか。俺がぼけっとして、あんな連中に絡まれなければ。俺が上手くあしらえれば。俺が上手く逃げられたなら。フロックは命を奪わずに済んだのに。
 ぎゅ。と、唇を引き結び、涙が浮かびそうになるが力を入れて堪える。俺のせいでそうなったのに、自分の心を救済するために謝罪をしたり、泣いて自分だけがすっきりするなんて赦されない気がした。

 学校に行っても陰鬱な気分は晴れず、友人には心配されたが本調子ではないとだけ伝え、無心で勉強に励んだし、アルバイトもひたすら頑張った。教授や店からは評価されるが、家に帰ってもフロックが居ない室内に悲しさと罪悪感が募るだけで、あまりいい事がないからとの自分勝手な理由でしかない。
 時間が経てば俺はフロックを忘れるんだろうか。元々、誰にも見えなくて、誰の記憶にも残っていなくて、俺しか知ってる人間は居ないのに、あんまりじゃないか?そんな鬱々と嫌な想像も交えて俺はフロックを忘れないようにしていた。写真にくらい写れよ馬鹿。なんて仕様もない悪態を吐きもした。

 そうやって過ごしながら冬に差し掛かった頃、糞寒い真夜中なのに呼び鈴を馬鹿みたいに押して人を叩き起こす無礼者が居た。
 流石に母親でも、零時も越えた夜中に来訪するなら事前連絡くらいはするだろう。どこの酔っ払いか。また変なのか。念のために扉にはドアチェーンをかけ、警戒しながら開けば見覚えのある顔が満面の笑みで立っていた。
「よ、戻ってくんの時間かかっちまった」
「ふろ……」
 顔がくしゃりと歪んで涙が滲んだ。
 嬉し泣きなんて本当にあるんだな。
「開けてくれるか?もう勝手に通り抜けたり出来ねぇんだ」
「あ、あぁ……?開ける」
 一旦、扉を閉め、ドアチェーンを外してフロックを迎え入れれば以前と変わりはないように見える。
「お前、無事だったんだな……」
「おぉ、なんとかな」
 フロックを迎え入れ、いそいそお茶を淹れてやりながら、心からの歓喜がそのまま表情に表れる。
「まじで終わったと思ったんだけどなー。なんかどうしようもない連中だったからか減刑されたわ」
「そんな事あんの……?」
「あるある。だからお前は悪い事すんなよ?」
 俺が淹れたお茶をじっくり味わいながらの説教臭い科白。
 死神が居るなら、地獄や天国もあるんだろうか。俺は特別、善人でも聖人でもないが、真っ当に生きようとは思える科白だ。
「悪人でも金持ちだったら悪事もしつつ、意外に善行もやってるから調整が難しいんだけどな」
「それが憎まれっ子世にはばかるって奴か……」
 悪い大物は意外に信心深いとも聞くし、単純に罰を当てるようには出来ないのか、なんだかな。俺が物思いに耽っていれば、お茶を飲み終わったフロックがにじり寄って、俺の顔をまじまじ見てくる。
「俺が居ない間、泣いたか?」
「泣くかよ……。お前が泣くなつっただろ」
 単純な話、泣くに泣けなかった事は置いといて、鼻を鳴らして顔を背ける。本人を目の前にして、寂しかったとか本音を言うのはあまりにも気恥ずかしい。
「耳赤いな?」
 茶化されて掌で耳を隠し、フロックを睨めば顔が近づいて唇に柔らかい物が触れる。
「以外にかさついてんな」
 フロックの手が俺の顔に触れ、唇をなぞってきた。
 人には触れないんじゃなかったのか。それとも俺はもう死ぬのか。
「んなびっくりしなくてもいいだろ。俺、人間に堕とされたからお前と一緒。人間としての調整に時間食ったんだよ」
 フロックがポケットから出したのは、俺と同じ大学の学生証。
 聞くにきちんと親も居て、名前は『フロック・フォルスター』と記名されている。
「と言う訳で、これからよろしくな?」
 にや。と、フロックが悪い顔で笑って見せ、俺の心臓は馬鹿になったみたいに動悸が止まらない。

 フロックの顔が近づいて、また俺に触れる。
 こんなの可笑しいだろ?
 俺達は友達だよな?

 頭にはぐるぐる言葉が巡るが、口は塞がれてて喋れないし、フロックの蕩けるような笑顔を見たら、まぁいいか。なんて完全に気を許してしまい、抵抗はすっかり止めた。

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