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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

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思いに絡む(花吐き病

・花吐き病書いた事無かったな。と思って書いた
・勝手に色々設定付け足してます
・耽美でもいい話でもないです
・ジャンの考察をあれこれして断定するフロっくん
・終わりはふんわり
・フロジャンWebオンリーで本にしたの
・2021/07/20






 最近、食事を見るのも嫌になってきた。
 いつもどこからか、咽せるような甘さと青臭さが混じった匂いが漂ってきて胸が悪くなる。腹もなんだか苦しくて、お陰で飯も碌に食えてない。やる事は山ほどあるのに具合の悪さが邪魔をしてどうにも集中できないのも困りものだ。


 思い切り吐けばすっきりするかと酒を馬鹿のように呑んでみたり、なんなら喉の奥に指を突っ込んだりもしてみたが、余計に具合の悪さが増しただけで何の解決にもなりやしない。
「おい、フロック、お前……、顔が真っ青だぞ、医者に診て貰え、付き添ってやるから……」
「はぁ?餓鬼じゃあるまいし……、それにもう診て貰った。原因不明だとさ」
 食物を無理矢理口に詰め込み、水で流し込む昼食を終えて食堂を出た後だ。
 お節介焼きのジャンがわざわざ俺を追いかけて話しかけてきたが、一体お前に何が出来る。追い払うため『用もなければ助けも必要ない』とばかりに毒吐き、肩を竦めてみせるがジャンは眉を下げただけで帰ろうとはしない。
「別に、今くたばる気はねぇよ。折角拾った命だ」
「あ、あぁ……」
 野良犬を追い払うように雑に手を振り、足を進める。
 死ぬ気はない。だが、病は治療も出来ずにじわじわと体を蝕んでいく。本当に最悪だ。具合の悪さも手伝って無性に苛々した。
 俺は計画の達成を見届けずに死ぬのか?あの地獄を生き延びたのに死因が原因不明の病気?締まらない最後。あまりにも情けなさ過ぎて嗤ってしまいそうだ。
 計画の実行を早めるべきか。だが、計画には段階がある。俺がこの最悪の状態で事を急いてし損じれば全てが台無しになりかねない。冗談じゃない。それは死ぬよりも嫌だ。
 仕様もない事情で計画が頓挫するよりは、速やかに俺の代わりを見つけて引き継ぎをするべきだ。エレンだって、どうしても俺でないとならない理由はないだろう。俺にとってエレンが、エレンにとって俺が丁度いい立ち位置に居て、利害が一致したから選ばれただけに過ぎないのだから。

 思考に耽りながらも臭くて臭くて、肺が圧迫されたかのように息が詰まって、いつもなら意識せずとも出来る呼吸を懸命にしながら歩いていれば視界が揺れた。
 一気に天地が逆転して、回る世界を倒れたまま瞠目しながら見詰める。
「フロック!おい……!しっかりしろ⁉」
 ジャンが慌てた様子で傍に膝をつき、頬を叩いてくる。
 俺はそれに何の反応も出来ない。息が苦しい。喉を掻き毟っても呼吸は楽にならない。何かが詰まっている。なんだこれは。
「フロック……!」
 ジャンの声は耳に届いていても、苦しさのあまりのた打つばかり。
「どうした⁉」
「あ、フロックが急に倒れて苦しそうで……!」
 食道も近かったせいか数人ほど周りに集まってくる。ジャンは苦しさに暴れて喉の皮膚を破こうとする俺の体を押さえるのに必死な様子だ。
 このまま、死ぬのか。そう思った瞬間、喉奥から何かが込み上げて、一気に口から吐き出された。嫌に甘ったるく、青臭く、どこか生臭い匂いのする花の塊が。
「うげ、ぉ……」
 吐いた物で服を汚しながらジャンの手を振りほどき、また花を吐いた。俺の肺だか胃にでも植物が寄生してたのか。吐くだけ吐くと喉の詰まりが取れ、呼吸が格段に楽になった。
「フロック、大丈夫か?」
 吐いた反動で激しく咳き込んでいる俺を労ってジャンが背中を撫でる。それだけなのに何故だか凄く気分が良くなってきた。
「おう……」
 喉が痛くてはっきりと声は出せないが、端的な返事を返し、立ち上がろうとするとジャンが肩を貸してくれた。
「医務室まで付き合う」
「どーも……」
 再度、軽く咳き込みながらふらつく足で兵舎の中へと向かう。
 人体に寄生する植物とは、最悪な物に気に入られた物だ。なんてジャンに支えられながら俺は大きく溜息を吐いた。


   ◆ ◇ ◆ ◇

「花吐き病?」
「うん、文献は少ないんだけど」
 そう言いながら医務室の担当医が教えてくれた。
 感情の抑圧から来る病気らしい。原因は不明。
 目的が達成されれば自動で解消されるそうなのだが、それを訊いて俺は絶望する。俺の目的の達成。それはまだまだ時間がかかる。幸い、苦しいだけで死にはしない病気らしいが、それでも体調に支障が出ては困る程度に俺は忙しい。
「直ぐに直す方法はないんですか?」
「治療薬も何もないからね。私も奇病の研究をしている知人から聞いた程度だし……」
「その研究をしている方はどちらに?」
「言い辛いんだけど、もう亡くなってる……。シガンシナ区に住んでたものだから……」
 医官が懐かしむような、悲しげな遠い目をしたため、それ以上は訊いても無駄だと判断して口を噤んだ。
「研究資料も瓦礫の下でね。奪還されてから見には行ったけれど、虫食いや水濡れでボロボロになってて読めた物じゃなくて……」
 医官自身も、件の人物が研究していた奇病に興味があったのだろう。でなければこんな実在するかどうかも怪しい奇病を覚えているはずもないし、死んだ知人の家に探しにも行かない。言い訳っぽく頭を掻きながら目を泳がせている様は少々苛ついたが、見当がついただけましとして不問にしてやろうと思った。
「ありがとうございました」
 胃液で焼けた喉は手当てをして貰ったが、じくじくと痛む。
 声もがらがらだ。定期的にあんな物を吐き出さないとならないとは、嫌、良い方に考えよう。死なないだけいいんだ。生きてるだけ儲けもんだ。切り変えた方が良い。
「お……」
 医務室の扉を開くと、ジャンが驚いたように身を引いた。
 俺も開けた瞬間、人が居るとは思わず驚いて息を呑んでしまった。
「も、もういいのか?」
「おう……」
 短い会話を交わし、隣だって歩いて行けば再び胸が苦しくなってくる。
 また、あの気色悪い植物が腹か胸の中に湧いているのか。
「あのー……、具合どうだ?」
「最悪に決まってんだろ」
 もやもやし出した胸を擦り、軽く咳き込むと同調したかのようにジャンも咳き込んだ。不快そうに眉間に寄る皺、細まる目、口元を覆う節くれ立った細い指を眺めていた。次第に咳は酷くなり、かふっ。と、苦しそうな吐息を最後に手を握り混んだ。仄かに香る甘い香り。
 不審に感じて握り混んでいるジャンの手を掴み、指を強引に開かせれば数枚の濡れた青い花弁が収まっていた。
「はぁ……?」
「えっと……?」
「お前も同じなのか?」
 ジャンは戸惑いながらも答えを出そうとして口を動かすが声は出ていない。なんと言葉を紡げば良いのか解らないのだろう。
 俺は午後から一先ず安静にするよう言われており、ここに居るからにはジャンもなにかしら命令を受けているに違いない。立ち話もなんだと宿舎に戻り粗末な椅子を指揮官様に勧める。

「で、お前はいつから?」
「いつって、お前を介抱したくらいから胸の奥が痒いっつーかむずむずして気持ち悪くて咳が止まらなくなってな……」
 と言う事は、俺が移したのか?
 他の連中は特に咳き込んだり花を吐いたりはしていなかったように思うが。
 俺が腕を組んで考え込んでいると扉が叩かれ、入室を求める声がした。断る理由はないため許可をすれば勢い良く扉が開き、団長のハンジが姿を現す。
「いやー、聞いたよ。花を吐く奇病って奴?」
 元々、研究者気質な人だ。見聞きした事もない奇病の情報に面白そう。と、表情が物語っている。人を馬鹿にしやがって。だから嫌いなんだこいつら。
「近づかないで下さい。感染する可能性があります」
 人死にが頻発し、死体を扱う機会も多い調査兵団は感染症についても研究されている。感染症の対策はとにかく接触や移動を避ける事。腐敗するものは速やかに燃やして処理するべしとされ、万が一の場合、感染者の隔離などは大前提だ。
「感染……?そんな報告は……」
 言いながら団長がジャンを見る。
 ジャンはジャンで困ったとばかりに眉を下げ、どう説明した物か悩んでいるのか視線をあちこちに彷徨かせた。

   ◆ ◇ ◆ ◇

「そっかー、肺や胃に寄生する厄介な寄生植物の可能性か……」
 仕方なく個人的な主観を交えて医師に聞いた奇病に関する情報を団長に伝えた。
 全く、本当に迷惑だ。こんな様でどうして革命が成せる。
「書類仕事は出来ますが……、こうなると訓練は厳しいかと……」
「そうだねぇ……。フロックの推察じゃ空気じゃなくて接触感染のみなら対策のしようは幾らでもあるし、とりあえず暫く二人とも別室で隔離させて貰うよ」
 糞真面目なジャンの提案に団長は頷き、周囲にも俺達の隔離命令が伝達される。
 俺も色々用事はあるが仕方ない。定期的に訪問はあるそうだから、それに紛れて情報を聞き、指示を出せば良いか。経過を見るためとかでジャンと同室にされたのは最悪だが。どう誤魔化すか無駄に頭を悩まさなければならない。
「じゃあ、接触感染を避けるために極力書面でやりとりして……、風呂や洗面所は東棟の奴を君ら専用にしよう。幸い手足が動かなくなったりするような物ではないようだし……、ただ、もし少しでも異常を感じたらどんな手段。まぁ最悪宿舎の壁を雷槍を壁でぶち抜いても良いよ」
 はは。と、快活に笑い、幹部陣に周知するためか小走りに駆けて行った。
 本来は現場主義で団長は向いてない種の人間だ。久々に関われて嬉しいのかも知れない。などとジャンは苦笑いをしつつ語ったが、俺は一切興味が無い。
「あっそ……」
 なんだかんだ吐き出せてすっきりしたからか、今までの疲れが出てきて眠い。適当に準備をして寝る事にした。

「失礼します。お二人とも性質の悪い風邪って大変ですねぇ……、お二人とも良い機会ですし、ごゆっくり休まれて下さいね」
 俺が横になってうとうとしていれば、予備の寝台や執務用の机が数人の部下によって俺の部屋に運び込まれ、開いた場所に置かれた。あの現場を見た数人には箝口令でも敷いたのか、詳細は伝わってはいないようだ。正体不明の奇病。なんて煽る方が余計な動揺や騒ぎを起こしかねないから妥当な判断だろう。
「おー……」
「ありがとう、悪かったな」
 眠くて返事がおざなりな俺と違って、自分の寝床を運んで貰ったからかジャンは丁寧に礼を言っている。
「では……」
 部下達は接触は避けつつも、しっかりと敬礼はして帰った。ジャンの人望のありようがなんとなく察せられる。特に新兵がジャンを見る時のうっとりした表情にきらきらした眼。異様に鬱陶しい。
「多分いびきとかはかかないから、暫く宜しくな」
「暫くで済めば良いな」
「嫌な事言うなぁ」
 返答に困るジャンを余所に、俺は目を閉じて物思いに耽りつつ意識を黒い海に沈めていく。

 こんな事になるなんて憑いてないな。
 上手くいかなくて苛々してしまう。
 エレンはなにをぐだぐだしているんだろうか。
 人間に期待したって無駄だ。海の外の連中なんて、さっさと踏み潰してしまえば良い。
 どう足掻いたって物量で負けるこの島は消耗戦には向かない。攻撃され続ければいずれ蹂躙されるだけだ。巨人の力だって無敵とは言えず限界がある。この島を護る。俺達はそれを整えるために動く駒で、敵を全て踏み潰せるエレンが唯一、島を救える希望なんだから、早く……。

 早く。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 魘されて目が覚め、寝起き早々に息が苦しくて酷く咳き込んだ。
 口を押さえた掌に花弁が何枚か吐き出される。
 鬱陶しい。

「ほら、水飲め」
 ジャンが背中を擦ってくれ、幾分か呼吸が楽になる。
 寝台の横にある真新しい水差しとコップ。俺が寝ている間に持ってきてくれたようだ。
「あぁ……」
 息苦しさは相変わらずにしろ、水を飲むと喉がすっきりしていく。
 ほんの少し触れていただけのジャンに直ぐさま感染した事といい、あまりにも例の寄生植物は成長速度が速いらしい。
「重傷だな……、なにか効く薬があればいいんだが」
 胸を押さえて顔を顰めた俺の背を優しく叩く。
 ふと、その感触に母親を思い出して更に苦虫を噛み潰したような表情を作ってしまった。ジャンは苦しんでいると勘違いしたのか、自分が辛そうに眼に潤ませて俺を見やる。こんな大男と母親を重ねるなんて、この奇病は頭までもをいかれさせてくるらしい。

 ぼんやりと寝ては起きて、部下が持ってくれた昼食を食べる。
 方法は廊下に置いてある机に、仕事用の書類やら必要な物を置いてくれている。症状の軽いジャンは、時折咳き込みつつも書類を片付けていた。
 いつもより食事が進んだためか気分が良く、午後からは俺も雑務の片付けにいそしむ。訓練で体を動かさないのは楽だがどうにも落ち着かない。新兵の時と比べて増えに増えた机仕事は肩は凝るし、酷いと首や頭まで痛くなるからどうにも好きになれないままだ。

 暫く机に座っていれば、疲れたような溜息が側で聞こえた。
「あ、悪い……」
 意図してではなく、思わず出たんだろう。
 視線を上げれば眼がかち合い、ジャンは気不味そうに頬を掻いた。
「別に……」
 素っ気なく返し、書類仕事に戻る。
 気使いめ。鬱陶しいから余計な意識を寄せるな。
 
 ちら。と、ジャンの横顔を睨め付けるように見やれば、喉の奥からせり上がってくる物があった。何か、なんて考える暇はない。吐き気を催した場合に備えて用意してあった桶に顔を突っ込み、溢れてきた物を体外へと追い出す。
 案の定、生臭くも透き通った青さを持った花の塊が桶の中に現れ、うんざりする。
「フロック……」
 ジャンが隣に膝をつき、背中を擦ってくれた。
 吐いて格段に苦しさが収まりはしたものの、またあの苦しさに襲われると考えれば憂鬱にならざるを得ない。
「フロック、休んでろ、あとは俺が……」
 ジャンが俺に休むように言いかけたが、本人も口を押さえ俺から桶を奪い取って顔を突っ込み吐き出した。俺が吐いた後だから臭いだろうに、楽になりたくて必死だからそういうの気付かないんだよな。
 激しく嘔吐して上下する背中をおざなりに叩いてやる。
 自分がして貰ってばかりも若干、居心地が悪い。
 ジャンが吐き終わり、ぐったりしている姿を横目に立ち上がり、桶を持って便所に行って流す。絶対安静の病人という訳でもないからか、基本的な自分の世話は自分で。は、当たり前にして、加えて掃除や洗濯も自分でするように申しつけられていた。
 二人で涙や汚物で汚れた顔を洗い、使った場所を清掃してついでに周りも片付ける。リヴァイ班で躾けられたのか、特にジャンは神経質に掃除をした。余程、あの人類最強に叱られるのが恐ろしかったと見える。
 放っておいてもジャンがやってくれそうではあるが、俺も拭き掃除くらいはしておく。世話になりっぱなしは気持ち悪いだけだ。別にジャンに悪いからとかはない。
「吐けばすっきりするとは言え、面倒だなぁ……」
「だなぁ、掃除ってなんでこう面倒なんだか」
 俺のぼやきにジャンが適当に相づちを打ち、流れで雑談を交わしていけば本人曰く、掃除は親に叱られ捲るほど怠けていたらしい。
 別に多少散らかっていても死ぬ訳じゃないし、汚物で汚いのはどうかと思うが、そうでなければ案外放置だったそうで、こうも神経質にやり出したのはやはりリヴァイ班で圧を与えられながら掃除の訓練をしたからだと笑いながら話した。

 時期を考えれば指名手配犯になって逃亡していた時だのに、思い出を語る横顔は楽しそうに見えた。ただでさえ逃亡者として常に緊張状態で追い詰められていたのに、更に圧をかけられて喜ぶとは、随分と被虐されたい趣味があるらしい。暢気なもんだ。いや、じゃなきゃ俺に構いなんてしないか。
 雑巾を絞り、布かけに適当に放るともう一度手を洗う。雑巾自体も汚いからどうのだとか煩いせいだ。煩い。拭く物を探して、ふと雑巾に目をやっていると横からハンカチが出て来た。
「俺が使ったけど、ちゃんと洗ってあるし雑巾よりは……」
 人類最強の記憶を掘り返せば人間離れした凄まじい身体能力が先ず思い浮かぶ。エレンも審問の際に思い切り蹴り上げられて歯が飛んだと。一応、そう言う段取りではあったが、あそこまでやるなんて聞いてない。と、遠い目をしていたのは少々面白かった。
 掃除に関しても人類最強が終了許可を出すまで続き、それでもお叱りの場合は額を指で弾かれ、それは脳震盪を起こすほどの威力だとか。絶対受けたくないな。

 親指で中指を押さえ、そっとジャンの方へ寄せてみれば、大仰に肩を揺らして目を閉じる。俺はあの男じゃない。なんで受け入れ体制で待ってるんだか、逃げれば良いのに阿呆か。
 心底、呆れたため人差し指で皺の寄った眉間を刺す程度に納めておく。
「逃げろよばーか」
 幼稚な罵倒をし、背を向けて洗面所を出た。
 背後を歩くジャンの顔は見なくたって解る。どうせ困ったとばかりに眉を下げて、悲しそうに俺を見てるんだろう。馬鹿。

 部屋に戻り、山積みになった書類を片付けていく。
 いつもよりも大量すぎる。どうせ暇だろう。と、普段ならしないような雑務まで押しつけられているようだ。兵舎や訓練所の補修工事の提案書。予算案。資材搬入経路が載った書類なんて見た事もない。いや、俺がしていないだけで。
 そこまで考えてジャンを盗み見る。目端が利くからと団長補佐の真似事をやっているらしいからな。
「ジャン、これお前のか?」
「あぁ、この間貰った奴の改案書類だな。最初のはやたら予算が馬鹿高くなっちまってさ、もう使ってない兵舎や物資小屋潰して、それ資材に出来ないか。って提案したら期間は延びるけどどうにか予算内に収まりそうだな」
 やっぱりか。
 書類に目を通しながら、ジャンは朗らかに笑いぺらぺらと良く喋る。俺の計画に必要な話かは分からないが、耳を傾け適度に頷いて聞いてはおく。いつ何時、何が役に立つか解らないしな。
「お前が解らない……、ってこたないだろうがよ。お前にしか出来ない書類をさっさとやれ」
「あぁ、ありがとな」
 分担していけば山とあった書類は夕方には片付いたが全身の倦怠感やら疲労が凄い。俺はペンを投げ出し、寝台に手足を広げて仰向けにだらしなく転がる。
「後、一時間くらいで飯来るな」
 ジャンも同じように疲れているだろうに、直ぐに転がるような怠惰な姿は晒さず、律儀に着ている兵団服の内ポケットから懐中時計を出し、時間を確認した。
 細かい野郎だ。
「じゃあ、ちょっと寝てる……。お前も勝手に休め」
 ほとんど帰ったら眠るだけの生活なのは前も今も変わりない。が、休める時に休まなければ体が持たないと一回倒れてから思い知った。一緒に居るからにはジャンにも倒れられては困るから促してはおくが、休むかどうかはあの馬鹿次第で後は知らない。
「あぁ、そうするか」
 意識が重くなる奥で声がした瞬間、眠りに落ちて直ぐに体を揺すられた。ような気がしたが、一時間は確かに経っており、粗末な卓上には食事が並べられていた。眠ったと言うか気絶というか。正直眠った気はしないが、頭は幾分すっきりした。
「お前は寝たのか?」
 大欠伸をしながら揺すり起こしてくれたジャンに言葉を投げれば、ノックの音で起きたそうだった。
「いつからか物音がしたら直ぐ起きるようになってさ」
「へー、訓練兵宿舎でぐーすか寝まくってた奴とは思えねぇな」
「随分懐かしい話するな」
「なんか思い出した」
 ジャンの故郷であるウォールローゼ内のトロスト区は、ウォールマリアが壊されて最前線にはなってしまったが、本来は中間に位置し、中央ほどではないにしろ富裕層が多い地域だった。故に、休息日に良く寝ていたジャンは、お坊ちゃんだから体力が無い。なんてやっかみを含んだ揶揄対象になっていた事は記憶の片隅に残っている。
 ただ、実際問題、自分の弱点を知り、それを補うために最善の選択をしていたジャンは最後まで残るばかりか、しっかり目的の十番以内に入って茶化していた連中は様々な要因で離脱していったのだから、どちらが正しかったのかは考えるまでもない。
 なのに現在は眠れなくなっているなんて哀れとしか言い様がない。
「良く寝れるように子守歌でも歌ってやろうか?」
「それいいな。是非頼む」
 俺の調子良くぺらぺら口が回るのは昔から変わらないな。なんて自虐的に考えつつパンを頬張れば、ジャンから驚きの肯定がもたらされた。
「冗談に決まってんだろ」
「解ってるよ」
 ジャンはくつくつと喉奥を鳴らして笑っている。
 こんな仕様もない会話をするのは遠い記憶。あの最悪な日から、誰かと気を許して一緒に居る事もなかったから懐かしささえある。

 適当に食事をして、寝る準備を済ませ寝台に入る。
 横になると体は楽になるが気味の悪い息苦しさは取れないし、吐く際に喉を通る異物は不快で仕方がなく、こんな体たらくで日々を過ごすのは精神衛生的に悪い。自分の価値がなくなったように感じる。
 こんな状態が続くようなら、俺はどうなるんだろう。

 うとうとしながら嫌な想像を巡らせ、眠りにつけば夢も見ない真っ暗な世界。あるいは、死体にまみれた世界が広がる。そこから逃げようと歩けども歩けども終わりはない。足裏がいつまでも柔らかい肉を踏む。踏めば骨が折れて砕けながら皮膚を突き破り、そこから吹き出す血を浴びる。
 巨人が人を踏み潰す感覚もこんな感じなんだろうか。いや、大きさがそもそも違うんだから人が蟻を踏み潰すようなもので、なにも感じないのかも知れない。

 夢は夢として認識している。
 早く目覚めたい。

 そればかりを考えながら歩き続ける。
 どうせ無駄なんだから動かなければ良いのに、体が足掻いて勝手に動くからただただ疲れていく。そのせいで起き抜けから異様なほどの倦怠感、疲労感に悩まされ、当然、目覚めは最悪で、夢を見た日は昼くらいまで誰とも口を聞きたくないくらい嫌な気分に陥る。実際は、仕事で口を開かない訳にはいかないから、重い口を開こうとしてぶっきらぼうで愛想もなく不機嫌を人にぶつける最低な人間になっている訳だが。
 そんな俺を理解してくれる奴は居ないし、いつ死ぬとも知れない相手と馴れ合う必要はないと考えているから諦めるしかないのが現状だ。

 歩き続ければ疲れ果てて膝が砕け、血溜まりの中に倒れ込む。
 鼻につく鉄臭い匂い、どこか腐臭も感じる。もう限界に達して動けなくて、ずぶずぶ沈んで俺も死体の群れの一部に成り果てて……。

「あ?」
 目を開けたらジャンの顔が間近にあって、ドスの効いた声が出た。
「おう、魘されてたから」
 外はまだ夜らしく、窓から入ってくる儚い光ではジャンの顔はぼんやりとしか見えないが、心配そうに眉を下げている表情なのは理解出来た。
「煩かったか。悪かったな」
「そうじゃなくて、辛そうだったから……」
「お気遣いどうも」
 目は覚めたが体を起こす気にはなれず、ジャンに背を向けるために寝返りを打つ。
「気分悪かったら直ぐ言えよ?」
 一言だけ告げてジャンが自分の巣に戻る音がした。

 こいつこんな奴だったか?

 毎度、口煩くてうざったいとは感じていたが、よくよく考えると昔のジャンは、良く回る口は持っていてもここまで人に気を遣う種の人間ではなかった気がする。いつも人より出来る自分を得意がって自信満々に人を見下す嫌味ったらしい、いい加減でムカつく生意気野郎だったはず。
 今のジャンは、なんとなく誰かとダブって見えるような?
 曖昧な感覚だが。

 外が明るくなってくると部屋の扉が叩かれ、朝食と共に仕事が置いてある。
 顔を洗って口を漱ぎ、大して美味くもないパンを囓りながら書類を眺め、偶に吐いて最悪の一日が過ぎていく。いっそ、マーレのクソ共にこの気味悪い病気を移して回ってやりたい。そうすれば、少しは島への侵略行為が遅延するんじゃないだろうか。
 くだらない事を考えながら水で食い物を流し込んで黙々と仕分けしつつ仕事を進める。
「フロック、大丈夫か?顔色悪いぞ」
「お前も良くはねぇぞ」
 具合の悪さはお互い様。
 ジャンの顔色だって良くはない。
「いい加減にしろよ。別に気遣って貰いたい訳じゃない。あぁ、マルコの真似は止めろよ」
 昔を思い出したからか、ジャンが親友と嘯いていたお人好しの優等生が頭に浮かんでなんとはなしに口を突いた。すると、ジャンが目を見開いて口を引き結び、呼吸すらせずに俺を見詰める。
 それで、感じていた違和感がすとんと腑に落ちた。
「死んだ奴の真似したって気持ち悪いだけだぞ」
 とまぁ、目的のためなら手段を選ばない。目的を達せられるなら物だろうが人の命だろうが何でも利用する、あのくそったれな悪魔のやり口を模倣している俺が言うのも何だが、この場合は誰かがやらないと島が侵略されるんだから仕方が無い。知りもしないどこかの誰かの慈悲なんて当てにならないし、自分の故郷を攻撃する連中が全滅した所で心は痛まない。地鳴らしは島を護るために必要なんだ。
「俺は、別に……」
 ジャンが何かを言っているが、そうか。だけで流しておく。
 なんだろうな、身近で優秀な奴が死んだら、『そいつの代わりにならなければ』みたいな使命感でも湧くんだろうか。マルコは大して関わらない俺でも知ってるくらい評判が良かった。困ってる人を放っておけない人格者とか、ジャンの世話を押しつけられた可哀想な優等生とか、逆に評判が良いから嫌う奴も居たけれど。
「まぁ、お前の人生だ。勝手にしろよ」
 親友が人知れず死んだから勝手に背負って、そいつの代わりをしなければ。なんて似合わない真似して、そう考えるとジャンも哀れな奴だな。そう言えば、こいつが調査兵団に入ったのも、マルコが関係してるんだったか?無駄に責任感が強いな。確かに糞真面目の片鱗はあったかも知れない。
 地鳴らしが発動して、全部が終わったらこいつも元の人間に戻れるんだろうか。そのくらいの救いはあってもいいよな。

 ちら。と、ジャンを尻目に捉えれば、険しい表情のまま書類を片付けていた。
 図星だったのか、他に思う所があるのかは俺は知らない。が、一応、こんなくそな病気を移して借りが出来た。全部終わったら解放してやろう。こいつも喜ぶはずだ。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 体を揺すられて起きれば直ぐ側にジャンが居る。
 俺が魘されていると黙って起こしてくれるようになった。
 悪夢を見続けて起きるよりも幾分は体調がまともで頭も動く。寝不足感は否めないものの元々良くは眠れていないんだから悪夢を見る時間が減ったのは単純にありがたい。

「ん……」
 朝食のパンを半分に割ってジャンに押しつける。
 食欲がないのか心配されたが、起こしてくれてるから。そう言えば受け取った。しっかり完食するんだから腹は常に減ってるんだろう。にしても、ジャンも背伸びたよな。前は俺と目線が一緒だったのに、一人でずるずる伸びやがって。

 勝手な嫉妬をして不満に口を尖らせていれば、ジャンが俺の顔を不思議そうな面持ちで覗き込んでくる。会話自体は多くないものの、居心地は悪くなく、悪くないどころか心地好くさえ感じるのも否めない。
 一緒に居れば相応の情が湧く。って奴だろうか。今日で何日目だろう。日が経っているのは解るが、こうも部屋に籠もってると時間や日付の感覚が無くなってくのだから困りものだ。
「ここに籠もってもう七日か、早いな」
 俺が書類の日付を見て呟けば、ジャンが軽く溜息を吐いて、窓に区切られた外へと視線をやりながら同意する。
「外の空気が吸いたいな……」
「座ってばっかりだとケツもいてぇしな」
 適当な相づちだが、実際、座りっぱなしは怠い。
 最近、肩や腰が地味に痛むのは座りっぱなしで体が強張っているせいとしか思えない。
「吐いちまうのもきついし……、自然治癒すんのかな」
 ジャンが珍しく弱音を吐く。
 今も昔もジャンが不安を口にしたり、弱音を吐く姿は正直、見聞きした事がない。言わないだけで今の生活に相当な鬱憤が溜まっているのか、あるいは一時的とは言え、一緒に暮らしている俺を弱音を吐いても許される存在と認識したのか。
「症状自体は軽くなってる気がするけどな」
「うーん……」
 俺の言葉にジャンは首をひねる。
 症状が軽くなってないのか?
 俺の場合、吐くのは辛いが最初よりは苦しさも減って、呼吸も昨日よりも今日が楽になっている。ジャンはそうではなかったのか。
「そうだなぁ、寝てるのも息苦しい感じで中々寝付けないし、吐く異物は増えてるしで改善してる様子はないな」
 ジャンは持っていたペンを顎に当て、胡乱げな目つきでぼやく。
 快方に向かうどころか、症状が悪化している事実に驚いた。それをおくびにも出さないジャンにも。
 自分が苦しくて眠れないから魘されている俺に直ぐ気付き、そして悪夢から解放するために揺り起こす行動は得心いった。しかし、自分が苦しい時に人の世話なんかしてる場合か。

 同じ部屋で過ごし、食事も差違はない。
 何故、回復の速度に違いがあるんだろう。
 体質。と、一言で言ってしまえば簡単だが、他の原因は考えられないか。
 ジャンとの会話はそこで途切れたが、俺の頭の中は一日中ソレばかりを考えていた。

「背中擦ってやるからさっさと寝ろ」
 夜も更け、寝る支度もすんだ頃合いでジャンに提案する。
 俺が背中に手を当てて貰ったら具合がましになった経験則からの他愛ない思いつきでしかないが、世話になっていながら放置するほど非情でもないつもりだ。
「お、おぉ……」
 ジャンは戸惑っているようだが、体が辛いからか素直に従って寝台に入り、うつ伏せになって俺に背を向ける。
「どうだ?」
「んー、気持ちいい気がする」
 触ってみて解ったが、肩も背中もかなり硬い。
 服の下に鉄板でも仕込んでんのか。ってくらいに。
 撫でるだけでなく、少々力を込めて揉み解してみれば、強張っていたジャンの体から力が抜けていく。かなり気持ちが良いようだ。俺も興に乗りだしたため肩や背と言わず、腰の部分まで手を伸ばしてみれば、脇腹に指が触れた際にジャンが大袈裟に体を跳ねさせ、悲鳴じみた声を上げた。
「なんだお前、くすぐったがりか?」
「まじで脇腹とか弱いんだよ。触らないでくれ」
 自ら弱点を告白するとは間抜けな奴め。
 ジャンが焦って狼狽える姿が面白すぎて久々に悪戯心が湧いてきてしまった俺は思わずにんまりと笑い、うつ伏せている背に体重をかけて跨がった。
 突然、馬乗りになってきた俺に異様な雰囲気を感じ取ったか、ジャンが驚いた様子で振り返るがもう遅い。背中から脇腹首、あちらこちらを思い切りくすぐってやった。ジャンがひぃひぃ笑いながらも大暴れをして抵抗するが、俺だって鍛えている兵士だ。力負けはしない。
 ジャンのでかい笑い声が部屋中に響き、俺も謎の高揚感から吊られて笑いが込み上げる。
「はー、疲れた……」
 ジャンが荒い息を吐きながら枕に顔を埋めてぼやき、俺も暴れるジャンを押さえつけるために体力を消耗してしまい、肩で息しながら敷布に手を突いて天井を見上げた。
「重いから降りろよ」
「はいはい」
 悪戯が終わっても背から退かない俺にジャンが苦情を申し立てたため、空いた場所に体をずらして座る。なにをやっているのか。とは自分でも思うし疲れたが、なんだか心地好い感覚だ。
 こんなに笑ったのはいつぶりか思いを馳せ、呆けていればジャンも同様の感覚のようで、『こんなに笑ったのは久々だ』などと気の抜けた様子で呟いていた。
「なんかすげーすっきりした……」
 ジャンが上体を起こし、肩を押さえながら腕を回す。
 言われてみれば体が軽い。気のせいの可能性もあるが。
「気を遣って貰って悪いな。大分楽になった」
 お前の方が。言いかけて口を噤む。
「ま、楽になったならいいんじゃないか。俺が魘されてるせいで指揮官様が寝不足になったら信者に苛められちまう」
「なんだそら……」
 自分の寝台に戻る際に吐いた俺の捨て科白に呆れたのか、ジャンは眉を顰めて再度寝転がる。
「お前の信者、知らねぇのか?」
「皆目見当がつかん」
 人の好意に鈍感な奴に懸想すると大変だな。
 碌に知りもしないが、熱心にジャンへついて回る部下に同情する。
 するべき事、自分の事でいっぱいいっぱい過ぎて自身を見詰める視線に気付かないのか、ミカサへの想いを拗らせすぎて他人に興味を持てないのか。どちらかは判らないが、人へ親身に接して期待させる癖に相手の感情は置いてきぼりとは、中々に残酷な真似をするじゃないか。なんて非道い奴なのだろう。
 先程、気分がすっきりしたはずなのに、急に妙な苛立ちを感じて布団に潜り込んだ。
「明かりはお前が消せよ」
 俺が不貞腐れた事に気付いたのか、ジャンが刺激しないよう無言でランプの火を消す。その日は夢こそ見たが、初めて死体の山を超え、乾いた土を踏んだ。

   ◆ ◇ ◆ ◇

「はよ……」
 どうやら今日は朝まで快眠したらしい。
 扉が叩かれる音で目が覚め、窓から差し込む朝日を寝惚け眼で視認する。
「おい、朝……」
 今朝のジャンは、険しい表情をしつつも良く寝ていた。昨日の按摩が効いたか、俺が魘されなかったから起こされずにすんだだけか、いつもとは逆に起こしてやろうとしたが、呻くばかりで目を開けない。どうしたんだ。
 仕様もない悪戯書きでもしてやろうか思いついたものの、見るのは俺以外居ないのだからやりがはない。珍しく声をかけても起きないため無駄に整った顔を眺め、口を掌で塞ぎ、通った鼻を摘まんでやる。呼吸の阻害をしていれば次第にジャンの顔が赤くなっていき、俺を跳ね飛ばすように勢い良く飛び起きて涙目で俺を凝視する。
「何してんだお前⁉」
 寝起きの頭で息が出来なくなった原因を直ぐさま判断し、糾弾するとはやるじゃないか。
「声かけても起きねぇから」
 下らない言い訳を試みればジャンは納得したような声を漏らし、怒りが継続するどころか起きなかった謝罪をする始末。なんにそこまで気を遣ってるんだ。
 昔のこいつなら、こんな起こされ方をすればぶち切れ捲って大声で怒鳴り散らしていたんじゃないだろうか。例の大好きな親友は、こんな真似まで赦すような大らかな人間だで、自分もそう在るべきだと無意識に自分に課しているのか。実に碌でもない呪いだ。
 そう言えば、マルコが死ぬ直前に一緒に居たのはジャンだったとか誰かが話していた。補給塔で隣り合って座っていたとか。もしかしたら好意に気付かない鈍さも、親友を失うばかりか、救えなかった罪悪感とやらで『自分だけが幸せになるべきではない』なんて自縄自縛をしてしまっているのでは。
 意識的か無意識か、ジャンが何かと他人をばかりを優先するようになり、尚且つ自分を蔑ろにする自罰的な言動は、この呪いに囚われているからだとすれば。

 馬鹿だな。
 一緒に居たら救えたのか?
 誰かが側に居ればマルコは死ななかったのか?
 それは傲慢な考えだ。戦場での生き死になんざ些細な選択次第で変化する。俺だって、あの特攻の際にほんの一馬身程度でも位置がずれていたら岩に砕かれてただの肉塊に成り果てて地面の一部と化していただろう。
 生死を分ける境目なんてそんなものだ。マルコと一緒に居れば死ななかったかも知れない。でも死んだかも知れない。どうにか出来る以前の問題で一緒に無駄死にをしていた可能性だってあるのに、切り捨てられずに背負って親友の真似をした所で、自分自身だって救えやしない、報われない。
「お前って哀れだな」
 心からの同情を、顔を洗いに部屋を出て行く背中に向かって小さく投げかける。
 俺は、自分も自分の故郷も救うために行動している。なのに今のジャンは理想論ばかりで何一つ救えない。自己犠牲なんて糞食らえだし、もっと利己的に動いていた昔のジャンの方が余程人間らしかった。

 暫し物思いに耽り、入れ替わりに顔を洗いに行って戻れば、しなくていいのに俺を待っていたジャンと一緒に朝食をとる。
「具合悪そうだな」
「すまん、耳障りだったか」
 叱責したつもりはないのに、ジャンは勝手に責を感じて鬱陶しい。
 起きてからのジャンは顔を顰めながら小さく溜息を吐き、胸の下辺りを軽く擦っていた。取り繕えないほど苦しいのだろう。俺はもうほとんど苦しさもなければ、吐き気が込み上げてくる頻度も減ったが、この奇病は要素も原因も分からなければ、治療法、進行具合すら解らない。
 感染をさせないために、診察してくれる人間も居ないから改善に向かわせるためにどうすればいいのやも。今日の症状はこうだった。と、自己判断で報告書は上げてはいても何の役に立つんだろう。死にはしないと言われたが、本当にそうかなんて誰が保証してくれる。このままジャンが死にでもしたら俺のせいになるんだろうか。それは嫌だな。


「今日の仕事は俺がやっとくから寝てろ」
 大小様々な色とりどりの花を桶の中に吐き散らかして苦しそうに息を吸い、蹲った体制のまま動けなくなったジャンの顔を濡れた布で拭いてから肩に担いで寝台へと引き摺っていく。
「新しい桶は置いておくから、気持ち悪くなったらここに吐けよ」
 布団の中に押し込んだジャンを尻目に便所へと吐瀉物を持って始末しに行く。
 何気なく腕に抱えた桶を揺すり、中を見れば量が多いし、花の形を保ったもの物も大半で青、赤、黄、緑、紫、色んな色が混ざって吐瀉物とは思えないほど綺麗だった。一応体内から出てきた物は汚いから捨てはするが、食った物は意外と出てこない。胃じゃなくてやっぱり肺辺りから出てるのかな。予測、憶測ばかりで正体は判然としないけれど。

 ジャンから出てきた花を捨て、桶を洗って部屋に戻るとあの馬鹿は仕事をしていた。
「なにやってんだ。休めつっただろ」
「いや、休んでても良くならないから、なら仕事を少しでも進めようかと……」
 しどろもどろになりつつジャンが言い訳をするが、一つ頭を叩いて大柄な体を抱え上げ、固い寝台へと放り投げる。先程の花に解りづらいが血も混じっていた。吐き過ぎて花が喉か口の中を傷つけでもしたんだろう。
「ちゃんと休め。治るものも治らない。お前そうやって独りで我慢するの止めろよ。苛々する」
 俺が不機嫌に顔を歪めて睨め付ければ、ジャンは大人しくなり力が抜けて布の海に沈み込む。
「よし、水も置いとく。便所行きたくなったら言え」
 小さな丸椅子に水差しとコップを用意し、俺は書類を置いてある机に戻る。
 時にジャンが余計な事をしていないか確認しつつも黙々とやるべき事を片付けていけば、あっという間に昼になり、扉が叩かれ廊下に食事が置かれた。
「食えるか?」
「あぁ、食わないと治るものも治らないしな……」
 朝よりは幾分は顔色が戻ったジャンが椅子に座り、固形物を咀嚼しつつも水やスープで流し込みながら胃へと押し込んでいる。飲み込むのも辛いから結果的にそうならざるを得ないのは理解出来るが、端から見ているとこうも辛そうに映るんだな。ごちゃごちゃと心配性が口を出してくるはずだ。
「午後も寝てろよ。余計な事したら引っ叩くからな」
「はは、厳しいな……」
 ジャンは苦笑気味の空笑いで誤魔化そうとするが、そうは問屋が卸さない。お前が俺にした事だ。自分も味わうといい。
「無駄な我慢するなよ」
「あぁ……」
 ジャンを寝台に放り込むと俺は粗末な執務机に戻って書類を片付ける。ジャンにしか解らなさそうな書類は避けているが、それなりに順調だ。
 部屋には俺が紙を捲る音、ペンを走らせる音だけがしている。そこへジャンの寝息がいつからか加わり、念のためにきちんと休めているか確認しに行く。
「汚い顔」
 ジャンの顔を覗き込めば、酷く歪んでいる寝顔を見た感想が口を吐く。敷布を強く握り締め、目元が濡れている辺り嫌な夢でも見ているのだろう。俺も、悪夢に魘されている時はこんな顔になってるんだろうか。
 側に中腰で座り込み、暫く眺めていれば口が声にならない音で『まるこ』と紡いだ。俺が余計な事を言ったから精神的な傷を抉ったぽい。俺だって、あの日の事をほじくり返されたらきっと平常心じゃ居られない。悪い事をした。と、思う程度の共感能力は持っているつもりだ。起きたら謝るくらいはするべきだ。
「おい、ジャン」
 一先ず、自分がして貰ったように意識を覚醒させるべく体を強めに揺するが起きない。悪夢に閉じ込められてしまっている。
 仕方なく胸倉を掴み、強く頬を張ればやっとジャンは瞼を開けた。
 浮かべるものは年齢に見合わない、怯えて薄く涙を浮かべた餓鬼みたいな顔。
「やっぱ可哀想だなお前」
 目は開けたが、ジャンは未だはっきりとは覚醒してない様子で、めそめそ泣いている。
 子供を慰めるように肩に抱き込んでジャンの背中と後頭部を撫でていれば落ち着いたようで、次第に泣き声は次第に収まり、安らかな寝息が耳に入ってきた。今度こそしっかりと眠ったらしい。

 寝台に寝かせれば、随分と餓鬼臭い寝顔になった。
 いつも背筋を伸ばして他人を優先しながら『自分は大丈夫』なんて面をしているから解りづらいが、ジャンも抱えすぎなんだよな。

 俺が助けてやらないと。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 俺がジャンを寝かしつけて三十分ほど経った頃、いきなり飛び起きたかと思えば桶に顔を突っ込み、盛大に吐いていた。
「大丈夫か?」
「お……」
 喉が灼けて上手く声が出せないらしいジャンの背中を擦り、中に青と赤と白っぽい花を確認する。
 ジャンが何度も咳き込み、苦しげに水を飲んで大きく息を吐いた。
「かお、あらってくる……」
 どうせ洗面所に行くなら桶も持っていけば良いのに。は、寝起きで吐いたんだから酷か。
 俺が桶の中身を片付け、ジャンの後を追うように洗面所に入るとジャンは罰が悪そうに顔を伏せる。
「あ、片付けさせて悪い……」
「いいよ。俺はお前を助けてやるって決めたから」
 色んな意味で。
 ジャンは呆気にとられたようだが、『俺が勝手に決めただけだから』と、付け足すともっと意味が解らなそうな困惑を見せた。
「ありが、とう?」
「どういたしまして」
 得意気に笑ってみせれば好意的に受け取ったのか、ジャンも笑顔を返してくるがきっと意味は解ってない。

 今は解らなくても構わない。
 ジャンなら終わった時に解るはずだから。
 あぁ、こんなに心が満たされたのはいつぶりだろう。
 
「また泣きたくなったらいつでも抱きついていいぞ」
「俺がいつ……」
 茶化し気味に伝えれば、最初こそ否定しようとしたが薄らといえど意識はあったのか、ジャンが顔を赤らめる。いい顔だ。なんて、俺が満足感に浸っていれば不躾な吐き気に襲われてしまい、便所に慌てて飛び込み、花を吐いた。
 自分の色には興味が無いからさっさと流し、手や口を漱いでジャンの元へと戻る。
 早く治らないものか。
「いつ治るんだろうなこれ……」
 ジャンが不安を口にして腹を撫でる。
「さーなぁ?」
 俺に聞かれたって解るはずもないから適当に流し、部下が持ってきてくれた仕事をこなしていれば、いつの間にか俺の方は息苦しさも吐き気もなくなっている事に気がつく。

 治ったのか?
 ジャンに訊ねてみるが、ジャンはあいも変わらず胸や腹が気持ち悪いらしい。
 とりあえず報告書を出し、後日、団長と話し合う。ただでさえ意味不明の奇病。寛解を断言できる人間など居ない。
 医官の診察を俺だけが受け、健康状態はお墨付きを貰えたものの、何故、治ったのかは問うても首を振られるばっかり。

 分からない事ばかり。
 今度は俺がジャンを世話する係になり、『体が鈍って仕方ない』そんな愚痴を聞きながら過ごしていれば、いつの間にか治っていた。
 やっぱり意味がわからん。

 久々に訓練に参加したジャンが、筋肉痛にほんのり泣いて居たのは面白いし、心が浮き立った。

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