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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

飼われる男と一般人=その五=

飼われる男と一般人の続き





 部屋に旅行雑誌が増えた。
 世界の美しい景観ランキングなどと書かれた紹介雑誌も。
 全てジャンが買ってきたものだ。手当たり次第に興味が湧いたものを買っているのか、中身は世界各地の荘厳な建築物から、廃墟のような遺跡、雄大な草原から恐ろし気な洞窟まで類を問わない。
「ベッドに積み重ねてんじゃねぇよ……、俺の寝る場所なくなるだろ」
「あ、もう帰って来てたのか、すまねぇ気付かなかった」
 寝室でベッドを背にしたジャンが黙々と雑誌を読んでいた所に声をかければ、弾かれたように顔を上げ、時計とフロックを交互に見て慌てながら立ち上がる。
「お疲れ、腹減ってるよな」
「あー、うん。まぁ……、今日は甘い玉子焼きが美味かった」
 出かける前に学校で食べろと渡された弁当の感想を告げると、ジャンは表情を綻ばせ、空になった弁当を嬉しそうに受け取った。

 ジャンと同居するようになってからと言うもの、いつも不満げに学食を頬張っていたフロックが、栄養のバランスも、色合いもいい弁当を食べている事に気付き、件の女と出来たのかと勘繰られたりと面倒だったが、あしらい、あるいは無視していれば次第に揶揄う人間も減っていき、今ではのんびり食べられている。
 これも、後暫くすれば終わりかと思えば、嫌な焦燥感が胸に過った。
「いつもの肉入りオムレツとどっちがいい?」
「お前が作り易い方でいい」
「んー、卵焼きの方が楽は楽だけどな……、体が資本なんだから栄養とらないと」
 ぶつぶつ呟きながら、ジャンが綺麗に片づけられた弁当箱を水に浸け、明日の献立を考えているようだった。これがずっと続けばいいのに。そう思わずにはおれなかったが、付箋が幾つもつけられた雑誌を見るに、共に在れる時間はそう長くないと知れる。
「なぁ、お前の方は転居先とか見つかったのか?」
「俺は……、周りも落ち着いてきたし、慌てて引っ越したりする方が追っかけられる気もしたから取り敢えずこのままでいいかと思ってるけど……」
 世間は慌ただしいもので、一時は新聞やニュースを賑わせた不祥事は瞬く間に他のセンセーショナルな話題に隠れてしまった。また新しい展開があれば話題に上がる事もあるだろうが、襲撃事件に於いては最早、世間の興味は薄れだし、探った所で旨味がないと判断したのか、不審に嗅ぎまわる人間も目に見えて減って行った。
 同時に、近隣住民にも、口さがない者は確かに居たのだが、隣が無人になった事で感心もなくなったのか、良くも悪くも滅多に出歩かず、住民との交流が希薄だった事が功を奏し、件の『愛人』がジャンだとは大半の者が気づいていないようだった。ともすれば、フロックが知らない所で苦労している可能性もありはしたが、ジャンが何も言わずに生活をしているため判りようがない。
「ふーん、まぁ、お前は元々関係ない被害者だしな無理に越す必要もねぇんじゃないかな?」
 冷蔵庫の中から形成済みのハンバーグを出し、ジャンが温まったフライパンの中に投入しながら悲し気な表情を見せた。巻き込んだ事に罪悪感を感じているような。そんな顔をさせたくて言ったつもりはなかったのだが、補うための言葉も思いつかず、『そうだな』と、零すだけがせいぜいであった。

 日数が過ぎれば雑誌の数は減ったが、行きたい場所を絞り、纏めたノートを作り出していよいよか。と、フロックは生唾を飲み込む。
「行きたい場所決まったのか?」
「そうだな、行きたい場所って言うより……、綺麗な海も見てぇし、大きい船に乗って一か月くらいかけて各地を回るツアーみたいなのが都合いいかなって思って今、いいのがないか調べてるとこ」
 アルバイトから帰り、ジャンに淹れて貰った紅茶を飲みながらフロックは一人焦っていた。繋ぐ縁が切れてしまえば、恐らくは二度と線は交わらず、現在は過去となり、消えてゆくだけだ。
「そうなると高いんじゃねぇの?」
「多分な。でも、今やっとかないと、きっと一生出来ないだろうし、幸い、金はあるから大丈夫さ」
 ジャンは皮肉気に唇を歪め、丁度良い温度になった紅茶を飲み干して洗い場に持って行く。
「俺も行く……!」
「え?お前も旅行してぇの?」
「楽しそう……、だし、俺も、あぶく銭、あるし……」
「学校やアルバイトは?」
「春休みとか利用すれば……、バイトは、なんとか……」
 慰謝料、簡単に言えば口止め料としてフロックも十分な金を渡されていた。時間が許せば旅行は決して出来なくはない。
「二人旅行も楽しいかもな」
 カップを乾燥台に伏せながら、ジャンは二人の旅行でも想像しているのか、柔らかな笑みを浮かべ、フロックを顧みる。
「多分、楽しい……、と、思う……」
「そうだな、きっと楽しいな」
 フロックの癖毛をジャンが子供をあやすように撫で、見下ろしてくる。
「風呂入ってくる」
「おう」
 特に何も言わずにフロックが使ったカップもジャンが片付けていた。
 ジャンが居なくなれば、フロックの私生活は間違いなく変わる。悪い方向に。だ。食事は言わずもがな、部屋も前以上に荒れるだろう。以前はただ、惰性で警察官を目指していたが、ジャンと出会ってからは、『何のために』そう考えるようになった。
 弱者を護りたい。そんなものは大言壮語だ。己に一体何の力がある。ジャンを助けられたのは運が良かっただけだ。独りで格好良く助けられたのなら自信もつこうが、結局は自身も助けられたのだ。『何のためになりたかったんだっけ』答えの出ない自問自答が最近、頓に増え、なっても、間違いなく惰性で仕事して歳を食っていくんだろうと未来が見えた。『誰か』が側に居てくれれば張り合いも出るのか。『誰か』などと自身を誤魔化さずとも、思い浮かぶのは一人だけなのだが。

 風呂から上がり、寝室に入るとジャンは既にソファーベッドを床に伸ばし、寝息を立てていた。暑いからかバルコニーの窓を開け、腹にタオルケットをかけている。そこから伸びるハーフパンツを穿いた素足。寝返りを打った際に仰け反る首筋。今は大人しいが、朝になれば安心して眠れるせいか、寝相のせいで服が乱れて剥き出しになる腹や背中。
 好意を持っている人間が側で無防備に眠る姿に、何回、男の諸事情でトイレに駆け込む羽目になったか判らない。
 隣に座り、腕を組んで眠るジャンを眺める。実に変態臭い。ジャンも人間であるからには性欲はあるはずだが下ネタも言わず、性的な雰囲気を醸し出す事もない。数年に渡り、散々嬲られたが故に、性的不能になった可能性も否めない。そんな人間にどうして欲の押し付けが出来る。

 気持ちの置き場も解らず、ただただ時間だけが無為に過ぎていくばかり。
 その内、ジャンも側から居なくなってしまう。どうしたらいいのか判らない事ばかりだ。
「寝よ……」
 もやもやと下腹に溜まっていく感覚に気付かない振りをしながらベッドに横になり、外から幽かに聞こえて来る車の走行音や、部屋の中に響く時計の秒針が動く音、ジャンの寝息とフロック自身の鼓動。
 ここまで自分が紳士だとは知らなかった。などと自嘲しながらフロックは眠りについた。

 〇●〇●〇

 久しぶりにアルバイト先で酷い我儘な客に当たってしまった。
 些細な指摘を繰り返し言われた挙句に、気分を害したからサービスしろ。と、ごねだす始末。途中から店長が出て来てくれたため、難は逃れられたが心労は激しくバックヤードで壁と友達になっていた。
「見た事ない人だから、観光客だろうなー。旅の恥は掻き捨てってそうじゃねぇだろって感じ」
 フロックの前に先輩も絡まれたらしく、同じくバックヤードでぶつぶつと悪態を吐いていた。
「頭に油ぶっかけて火でも点けてやりてぇな、はは……」
「ははっ、あー、それすっきりしそうだな」
 声は笑っていても、お互い顔は真顔のままである。
 店長が疲れた様子で戻って来て、溜息を吐いていた。金はしっかり払わせ、そのまま追い出したようだ。
「多分、あぁやってただで飲み食いして回る人じゃないかなー。ネットに悪口書くぞとか脅されたよ……」
 狭い店内、成り行きを見ていた常連から随分慰められたようで、店長は薄笑いを浮かべる。以降は問題なく業務は進んだが、いつも以上に疲れ果て、家に帰りついた頃には、酷い眠気にまで襲われ、玄関に倒れ込んで眠ってしまいたい気分だった。
「具合が悪いのか?」
 フロックが靴を脱ぎ捨て、玄関にぼんやり座っていると、中々入って来ない事に気付いたジャンが声をかけてくるが、返事をする元気もない。傍に座るジャンにどんよりとした目を向け、手を伸ばして抱き着いた。
「どうした?」
 流石に、抱き着いたのは初めてで、ジャンも戸惑っている。
 問いにも答えず、無言で縋り付いていれば余程の事と判断したかジャンも抱き締め返して背中を叩いて宥めてくれた。

 ジャンは風呂から上がったばかりなのか、いい匂いがして、首元に頬ずりすれば肌さらさらで心地好く温かい。ジャンは汗と色んな臭いが混じったフロックが内心嫌かも知れなかったが、突飛ばしたりはしなかった。
「風呂入る気力あるか?」
「ない……」
 入ればさっぱりするとは解り切っているが、このまま寝てしまいたい。
 ジャンの胸に耳を押し付ければ、とくとくと早めの鼓動が聞こえ、尖っていた神経がなだらかになっていく。
「運んでやっから寝ちまえ」
「ん……」
 既に脳は現実と夢の境を揺蕩い始めていたが、許可を貰えた事で一気に意識が落ちた。

 真っ暗な中で起きれば、フロックはきちんとベッドで横になっていた。
 ベルト等は外されていたものの、服はそのままだ。音を立てないよう寝室を出て、風呂に入れば気分もさっぱりしてあれだけ苛ついていたものが嘘のように落ち着いた。
 頭をタオルで拭きながら寝室に戻り、ソファーベッドの上で眠るジャンの隣に座り、投げ出されていた手を握る。
「なに、こわいゆめでもみたか?」
「夢は見てない」
 お前を見ている。とは臭すぎる科白か。
「んー……」
 ジャンが体をずらし、隙間を空けてマットを叩く。
 寝かしつけようとでも言うのか。お前にとって俺は何なんだ。
 腹の中で悪態を吐きつつも、誘導されるがままジャンのベッドに入り、広げられた胸元に潜り込んで体を密着させれば、やはりいい匂いがして心地好い。体臭が好く感じるのは本能的な部分で惹かれているのだと、どこぞの女が言っていた記憶がある。
「なぁ、俺臭くねぇ?」
 風呂に入ったばかりだ。
 汚れは落としているのだから臭いはずもないのだが、寝惚けているのなら本音が聞けるかと訊いてみる。
「べつにぃ……」
「いい匂い?」
「んー、うん?」
 はっきりしない答えだが、不快は感じていないようだった。それよりも、さっさと寝かせろとの意識の方が強いのか眉間に皺が寄り、背中を叩く手が雑になっている。背中を撫でてくれるジャンの手も心地好いが、直接触る肌の感触が堪らず、触るのを止められない。
「フロック?」
「うん」
 返事になっていない返事を返し、状況に違和感を持ちだしたジャンに構わず顔を押し付けて匂いを嗅ぎ、きつく体を抱き締める。
「俺の体使いたいなら別にいいけど……、やるか?」
 頭上からの声に反応し、顔を上げれば完全に起きてしまったジャンが薄暗がりの中、フロックを見詰めていた。
「使う?」
「したいんじゃねぇの?足に当たってるけど」
「要らねぇ」
「おっ勃ててるのに?」
 些細な言い方が引っ掛かり、喉から手が出そうな提案を蹴る。
「体使うって、道具じゃねぇんだぞ……」
「はぁ……、なに意固地になってんだよ?」
 ジャンは、自分で自分をどれだけ酷く扱っているのかを気付いていないようだ。実際、あの男にずっと『使われて』来たからだろう。大事に、愛おしい対象として抱かれた経験はないのか。
「お前、好きな奴とか居なかったのか?」
「急に恋バナ?なんで?」
「初めて抱かれた時の相手はどんな奴だった?」
「えぇ……、家追い出されて、何日も腹減らして死にそうになってたら食いもんくれた奴……?ずっと公園に居たら声かけられて……、飯食わせて貰って、その後ホテル連れてかれたかな?」
「次は?」
「最初に貰った金が尽きそうになって、買ってくれそうな奴に自分から声かけたんだと思う……」
「それで?」
「一々覚えてねぇよ、最後はあの人に拾われて……、いや、何の話させられてんだこれ、どう言う状況な訳?」
 要は、体を『使った』経験はあれど、恋愛経験はないようだった。『やはり』と、暗がりで眉を顰め、拳を握り締める。あの男を、愛しているのかも判らないと言っていたのだから、当然と言えば当然だ。
「じゃあさ、お前の体でオナニーする奴は居ても、ちゃんと抱いた奴は居ないんだな?」
「は?なにそれ」
 ジャンはフロックの発言について行けず、問われるがままに返してはいても意図は解っていない。
「あのな、俺は、お前が好きなんだ。やるなら愛し合いたい」
「あい……、え?」
 ジャンは絶句していた。
 如何にも理解が追い付かないと言った様子で。
「お前が俺の事を好きって言ってくれるならしたい、そうじゃないならトイレで抜いて来る」
 とうとう言ってしまった。
 ジャンはこの状況でどんな答えを出すだろうか。胸に当てた耳に響いて来る鼓動は、先程までは一定の間隔で鳴っていたのに、今は小刻みに動いている。
「お前、好きな子居ただろ?」
「わざとかそれ。鈍いにもほどあんだろ」
 またジャンの鼓動が早くなった。
 体温も上がってきている。
「いつ……、から?」
「さぁ?気が付いたらって奴」
「なんか勘違いしてるだけじゃねぇの?同情とかで……」
 渇いてない髪をジャンが撫で、別の結論を出そうとしているようだが、フロックは首を振る。
「同情で興奮して、こそこそ抜く訳ねぇだろ。これでも考えてんだよ色々」
 フロックが、これ見よがしな舌打ちをすれば、ぴく。と、ジャンの肩が揺れたが気付かない振りをして話を進めた。
「お前が俺をどう思ってるか知らねぇけど、こっちはお前を好きだって感情に振り回されて散々で、やばい目にも遭ったし、でも一緒に居たらやっぱ好きで堪んなくなってくるし、なのに出て行くみたいな事言うしさ」
「ご、ごめん?」
「謝って欲しいんじゃなくて気持ちが知りたい」
「好きは好きだけど……、恋愛になると良くわかんねぇかな。すまねぇ」
「じゃあやらない」
 がば。と、体を起こし、苦しそうな表情でフロックを見詰めているジャンを他所に、トイレに行く。用を足したいのではなく、昂りを抑えるためだ。

 事を終えて寝室に戻ればジャンはタオルケットの中に潜り込んでいた。
「苦しくねぇの?」
 今の時期、タオルケットを全身に被るのも暑そうで、声をかけたが返事はない。寝て起きたら姿を消しはしないか不安になってくる。
「黙って出て行くのはなしな?約束」
 頭があるであろう場所をぐりぐりと撫で、一方的な約束をするとフロックもベッドに潜り込み、本来の起きるべき時間まで眠る事にした。

 〇●〇●〇

 ジャンの態度が可笑しい。
 告白をして、今まで通りに行くとは考えていなかったが、実に顕著に態度が変わり、一緒に居ながらも遠く、フロックは泣きそうになってくる。

 以前と変わらず、美味しい食事も作ってくれる。
 部屋も綺麗にしておいてくれる。
 基本的な挨拶もする。
 しかし、余所余所しい。
「俺の事さ、嫌いになったか?」
「そんなんじゃ……」
 耐えかねたあまり、フロックは就寝前の寝室でジャンに詰め寄る。
「じゃあ、なんで俺の事、無視するんだよ」
「無視はしてないだろ」
「嘘吐け。前みたいに雑談とかしなくなっただろ。下らねぇ事でも話してたのに」
 ジャンは、自身のソファーベッドの上で膝を抱えて座っているが、フロックは床に胡坐を掻いて苛立たし気に揺らしながら問い詰めていた。
「何て言うか、意識したらどう接したらいいか良く解んなくなって、友達ってこんな感じだったかな。とか思ってたから……」
「お前が俺に友達で居て欲しいってんなら努力する」
「そう言うのって努力してなるもんじゃねぇと思うけど」
「俺の気持ちは俺のもんだ。押し付けるつもりはないし、まぁ、なら余計な事、言うなって話だろうけどよ、このままサヨナラってのは嫌だった」
 我儘過ぎる自覚はあれど、後悔はなかった。
 こうなったら、なるようになれとしか思わない。
「気持ちは嬉しいけど……」
「けど、受け入れは出来ねぇって奴か?構わねぇよ。餌付けされて、うっかり惚れた馬鹿が居たって覚えててくれればいいさ」
 どう足掻いても人のもの。
 攫うような度胸も甲斐性もなく、ただ手を拱いていただけ。
 様々な要因が重なり、こうして側に居るが、フロックには繋ぎ止めるだけの金も、力もない。出来る事は、情に訴えるのみ。ジャン自身が出した結論であれば、気落ちは免れないにしろ責める気はなかった。
「受け入れられないっつーか、すまねぇ、ほんと良く解んなくて……」
「いいって。俺等はお友達。それでいいだろ?じゃあ、そう言う事で」
 フロックは言い切ると、おもむろに立ち上がり、体を解してから自身のベッドに潜り込む。眠かったのではなく、じんわりと浮いてきた涙を隠すためであった。決着のつかないもどかしい想いを抱えたまま、身悶えるような感情に焼かれ続けるよりもよほどいい結末だ。
 失恋の涙は枕に吸わせ、背後にある気配を感じながらも目を閉じていれば眠る事は出来た。

 翌日からはぎこちないながらも会話が戻り、片思いの相手から友達になった。
 一週間ほど経ち、そろそろ涼しくなれよ。と、残暑の酷さに文句を垂れながらアルバイトから帰宅すればダイニングは真っ暗で、ほんの数秒前まで暑さに呻いていた事が嘘のように体が冷えた。
 久しぶりに自分で電気を点け、室内を見回しても人影はなく、どくどくと血液が逆流しているような鼓動を感じながら寝室を覗けば、ジャンがいつも使っているソファーベッドに横になっていた。
「なんだ……」
 そうっと扉を閉め、不穏に暴れ回る心臓を落ち着けようと胸に手を置き、深呼吸を繰り返す。動揺に覚束なくなった足で風呂に向かい、水を浴びて頭を冷やした。寒くはないはずが勝手に手が震える。たかが部屋に電気が点いていなかっただけ、否、ジャンの姿が見えなかっただけにも関わらず。
「重症過ぎる」
 友達を気取り、互いに別の道を選んでも、これでは毎日が昔よりも空っぽになり、ただ生きるためだけに無感動に食べ、働き、眠るだけになるのでは。ジャンが側に居ない毎日が最早想像出来ず、碌でもない考えが浮かび、追い散らすために水量を最大にして水を浴び続けた。
 
 俺は、あんな下衆とは違う。
 暴力で服従させたり、処理道具にしたりしない。

 頭では理屈ばって考えても、ふとした瞬間に浮かぶのはジャンを閉じ込めて、逃がさないように手段を講じる自分の姿。叫びたい衝動を堪えながら、肩で息をして頭を抱える。
 あんな男と同じ真似などはしない。だが、もしも、『出来る力があるのなら』。
「違う違う違う違う……」
 両手で顔を覆い、ぶつぶつと自分を訂正していく。

 俺は好きな奴は大事にしたいんだ。

 お互いに愛し合いながら、特別な日常ではないけれど、穏やかな毎日を一緒に過ごしていきたいと願っている。はずだ。はずだった。ここに来て自分が判らなくなってきてしまい、フロックは混乱しながらも頭を整理しようと試みては失敗する。

 きっと疲れているだけだ。
 寝てしまおう。

 雑に体を拭き、寝室に入ればいつも通りの光景だ。
 バルコニー側の窓が開け放たれ、外の音が幽かに入り込み、秒針が動く音が響いている。
「お帰り」
「起きてたのか?」
「うん、まぁ……」
 ジャンは歯切れが悪い返事をすると体を起こし、下着しか身に着けていないフロックを見上げてくる。
「豪く早く寝てたけど、気分が悪いのか?」
「いや、色々、考え事してただけだから大丈夫」
「出て行く準備とか?」
 思いの外、不機嫌な低い声が出て自分で驚いて口を塞ぐ。
 先程の仕様もない妄想に引き摺られてしまっている。ジャンは何もしていないのだ。八つ当たりはお門違いでしかない。
「そうじゃねぇけど……、あのさ、『愛し合う』ってどんな感じがするもんなんだ?」
「セックスでって事か?悪いけど、経験がない。ただの願望だ」
 悲しいかなフロックは童貞で、性を売る職業の女生との経験もない。隠しても仕様がないためはっきりと告げればジャンは俯いて手を遊ばせる。
「好きな奴でも出来たか?」
 軟禁されていた時とは違い、既にジャンは自由にどこへでも行ける。そこで何かしらの出会いがあり、気持ちが揺らいだとしても可笑しくはなかった。望んで望まれて、寄り添えるのならそれが一番幸せなのだろうとは、理屈では理解しても感情ではどうか。
 ジャンがどこの誰とも知れない人間に気持ちを寄せているのだと思えば、じりじりと胸が妬け、手首を掴んで捻じ伏せたい衝動が湧いてくる。綺麗ごとを散々吐いておきながら、ジャンを嬲っていた下衆共となんら変わらない下劣な欲望。これが己の本性か。と、自分自身を蔑み、唾棄するような嫌悪感が全身を冒していく。
「まだ……、自分の気持ちって言うか、上手く表現出来なくて、『好き』とかも良く解んねぇけど、一緒に居たいって思えるなら、好きなのか?」
 恋を経験せず、大人達の欲望に翻弄されて来たが故なのか。
 薄暗がりに浮かぶジャンの表情は切なく、悲し気に歪んでおり、気持ちを持て余しているようにも見えた。ジャンに想われているのは果たしてどんな人間なのか。
「そうじゃねぇの?嫌いなら絶対にそんなの考えねぇだろ」
「そっか……」
「どこが良くて気に入ったんだ?」
 出来うる限り、刺々しい口調にならないよう気を付けながら人となりを尋ねる。お前が辛い時に側に居たのは俺なのに、何故俺じゃないんだ。なんて、我欲が顔を覗かせ、焦燥感を掻き立てた。
「言わないと駄目か?」
「気になる」
 暗がりでも解るほどにジャンは肌を紅潮させ、視線を泳がせた。想われる顔も知らない人間が憎たらしくて堪らなくなってくる。
「ちょっとお調子者っぽい所があるけど、努力家で優しいかな」
「へぇ、それで?」
「目が大きくて可愛い?」
 疑問符をつけ、首をかしげながらジャンは相手の容姿を褒める。
「それから……、ふわふわした癖毛でひよこっぽくて……、飯を美味しそうに食ってくれる奴」
 真っ直ぐにフロックを見詰めながら、ジャンは言葉を並べ立てていく。
「うん?」
「えーっと、初めて会った頃より太り気味。ちょっと糖質制限するか?」
 ジャンの視線がフロックの腹に移動して肉の乗った腰回りをしげしげと眺めていた。どれだけ鈍い人間でも、流石にここまで言われれば気付き、水浴びで冷えていた体がじわじわと熱くなっていく。
「お前、恥ずかしい奴だな!」
「何だよ、お前が言えっつたんだろうが⁉」
 訳の分からない嫉妬に狂っていた自分が恥ずかしくなり、誤魔化すように肩にかけていたタオルをジャンに投げつけ、大声を出してしまうが、ジャンも負けじとタオルと怒声を投げつけ返した。
「お前、人の事振っといて……、なんだよ!」
 どうにも信じられず、どかりと腰を床に下し、ほとんど詰るようにきつく言えば、子供のように怒るフロックに引き摺られてか、ジャンも口角を下げて口を尖らせた。
「別に振ったつもりはなかったんだけど、判んなかっただけで……」
 まんじりともせずにお互いに睨み合い、二、三分ほど経った頃、どちらともなく噴き出してしまい、力が抜けていく。
「じゃあ、なにか、お前は俺と愛し合いたいって事?」
 下世話な言い方でジャンを挑発し、反応を窺えば無言で顔を赤らめた。
「まぁ、お前はノンケだろ?ほんとに一時の気の迷いとか、色々あったせいで気分が盛り上がってるだけかも知れねぇし、ちょっと離れてじっくり考えた方が……」
 いいと思うんだけど。と、ジャンが切なげに言い切る前にフロックが立ち上がり、服を着こむと勢い良く外へと飛び出して行った。
 
 フロックの唐突な行動に呆気にとられたジャンが首を傾げながら追いかけた方がいいのか迷い、怒らせたかと悩んで落ち着かない。結論としては自宅なのだから帰ってくるだろうとは思いつつも、ゆっくりはして居れず、ジャンが台所で紅茶を淹れていれば肩で息をしながら、酷い足音を立て白いビニール袋を片手にフロックが帰宅する。
 近所の夜遅くまで開いているドラッグストアまで走って来たのだ。
 実際、フロックは怒ってなど居ない。
 怒ってはいないが切れていた。
「えっと、お帰り?」
「おう」
「お茶飲むか?」
「うん」
 フロックが程好く冷めた紅茶を立ったまま一気に飲み干し、喉を潤した後はおもむろにジャンの腕を掴み、寝室へ引き摺って行く。
「なに、なんだよ⁉」
 ジャンが抵抗してその場に留まるために踏ん張ろうとすれば、フロックは煩わしいとばかりに脇に抱え込み、寝室まで行くとベッドの上に放り投げる。
「いってぇ⁉」
 投げられた勢いで壁で頭を打ち、ジャンがもんどり打っていればズボンを下着ごと奪われ、下半身が剥き出しになった。ジャンがよくよくフロックを観察すれば、息は荒いで目は爛々と光っていた。ジャンの背中に冷たいものが流れ、俄かに緊張が走る。
「フロック、先ずは冷静になろう」
 膝を折りたたんで体を縮め、前方に手を翳しながら迫ってくるフロックに説得を試みるが、全く聞こえていないのか袋の中身をばらまき、ベッドの上に転がり出したローションボトルの封をもどかし気に切っている最中である。
「よし、やるぞ」
「フロック、頼む、待ってくれ」
 言い切り、脇に落ちているコンドームの箱には目もくれず、フロックはジャンに圧し掛かる。やはりジャンの静止など聞いても居ない。

 フロックは滑るローションを右手に出し、露わになったジャンの膝に手をかけベッドが汚れる事も構わず強引に足を開かせると、孔に指を突き入れて濡らしていった。
 ぬるぬると孔から指を出し入れし、時にローションを足しながら走った際とは別の意味で息を荒くする。
「案外柔らかいな」
「そりゃ、まぁ……」
 孔を解しながら、フロックが無意識に唇を舐め、ぶる。と、ジャンは身を震わせた。出会ってから一年も経ってはいないが、初めて見る獰猛さに恐れ戦いている。一方で、フロックはジャンの肌に直接触れた事で際限なく興奮し、性器をそそり勃たせていた。
 止めろと言われても、最早、『はい、分かりました』などとは引き下がれないほど。
「どのくらいになったら挿れていいんだ?」
「突っ込みてぇなら、もういい」
 ジャンは顔を隠しフロックから怯えに浮いた涙を隠し、先を促す。
 興奮し過ぎてそれにすら気付かないフロックは、言われるがままに孔へ性器を押し込み、体を揺すれば奥歯を噛み締め、小さい呻き声を漏らす。
「なんだこれ、やべぇ……」
 ぐいぐいと自儘に腰を動かし、フロックはジャンの体を味わう。
 頭は真っ白になり、目の前に差し出されたものを我武者羅に食べる犬のようにむしゃぶりつき、ジャンの腰を抱き寄せて腰を振る。
「糞童貞が……」
 ジャンがぼそりと悪態を吐き、フロックの頭を掴んで引き寄せ、深い口付けを強引に交わす。舌を絡め、吸い、唇を食む。フロックは完全に翻弄され、目を回しそうになっていた。
「ぶあっ、ふ、げほっ……」
「落ち着けよ、マジで」
 フロックは咽返り、口から涎を垂らしながら茫然とジャンを見やる。
「愛し合うって……、こんな風にすんのか?これじゃ今までと変わんねぇんだけど」
 ジャンは呼吸を整えると、フロックの頬に両手を寄せ、じ。と、真っ直ぐに瞳を覗き込む。指摘を受けて息を呑んだフロックが目を瞬かせ、体から力を抜いてジャンに凭れかかった。
「すまん……」
「いいけど」
 フロックの髪をもさもさと掻き回し、ジャンは息を吐く。
「仕切り直しさせてくれ」
「仕方ねぇな」
 何度か深呼吸をすると、フロックはジャンに頬を摺り寄せ、しおらしく懇願する。フロック自身も、暴走していた自覚があったからだ。そして、抑え込んでいた醜い部分を曝け出した後悔が過る。
 フロックから啄むように唇を触れ合わせ、時に舌を絡める。うっとりと目を細めながら心地好さに酔い、ジャンの様子を見ながら腰を動かせば、性器を包む肉筒が吸い付き吐精を促すように蠢く。
 眩暈がしそうなほどの快楽に襲われながら全身から汗を流し、ひたすら息を吐いた。ジャンを労わる、愛し合うとは。などと考える余裕は皆無で、ただただ快楽を求めた。
「な、お前は、いいのか?俺、まじやべぇんだけど……」
「そこそこ……?」
 言いながら、ジャンは小さく喘ぎ、身をよじらせた。
 鼓膜を震わせた甘い声色に、頭も体も熱くなる。
 壁越しのくぐもった声ではなく、直接、聞くものの破壊力は凄まじく、掻き抱くようにジャンを抱き締めると、名前を呼びながらがっついた。
「ジャン、わるい、よゆーない……」
「だい……、っん、じょぶ、わるくない……」
 ジャンからもフロックを抱き締め返し、甘えたような声を出す。
 慣れだろうか。ジャンの方が余程、余裕があるようで、フロックは内心、歯噛みしながらも自制が出来ず、薄くあちこちに傷が残るジャンの肌を撫で、一番真新しい切り傷に噛みつく。
「いてぇよっ」
「あの野郎が残した傷がむかつく……」
 体に残る傷も同じく、見る度に思い出してしまいそうな痕跡が腹立たしく感じたのだ。
「ばーか……」
 ジャンは呆れたように放言し、フロックの頬を抓る。
 腹立たしいからとて、新たな傷をつけられては堪らない。ジャンも出来得る限りフロックが興奮し過ぎないように宥めながら最大限、時間をかけて体と心を擦り合わせていく。

 精を吐き出したフロックはジャンを抱き締めたまま、ぼんやりと空を見詰める。
 心音を聞きながら、襲い来る眠気に抗うように表情を歪めるが、そんな抵抗は無駄とばかりに睡魔は眠りの言葉を囁いて来る。ジャンの優しく撫でてくれる手もいけない。

 結局、十分もかからず眠ってしまい、フロックは汗と、どちらのものともつかない体液の不快感に呻きながら起きる羽目になってしまった。

 〇●〇●〇

「体大丈夫なのか?」
 フロックは起きて直ぐに風呂に入り、シーツやベッドマットを洗濯機に放り込むと、いつも通りに朝食の用意をしているジャンに話しかける。
「慣れてるから平気」
 風呂で体を流している間、あの男のようにはならないとあれほど考えていたにもかかわらず、結局変わらないような行為をした後悔が胸を締め付け、また、『慣れている』の科白が自分を責めているように聞こえてフロックは自己嫌悪に苛まれる。
 自分自身すら、上手く制御出来ないなど情けなさ過ぎて、『愛し合いたい』なんて大言壮語を吐いた事すら恥ずかしくなってくる。
「まぁ、初心者特典で赦してやるよ」
 皿に乗せたハムエッグを食卓に乗せ、ジャンがフロックの湿った髪を掻き上げて額に口付ける。
「ちゃんと愛してくれる気はあるんだろ?精々逃がさないように捕まえとけよ」
 ふん。と、鼻を鳴らしてジャンが悪辣な笑みを浮かべた。
 満足させなければ、いつでもフロックを捨てる用意がある。そう言う事だろうか。胸がざわつき、上手く言葉が紡げず黙り込んでしまった。
「すげぇ面してんな?そんなに俺に捨てられたくねぇの?」
 フロックは目を瞠り、瞳孔を収縮させながら嫌な汗を掻いてジャンを凝視し、壊れた機械の如くがく。と、首を縦に振り、胃がしわんで香ばしいハムエッグの匂いにすら嘔吐きそうになる。
「普通にしてくれてりゃいいと思うけど」
 くすくすとジャンは笑い、軽く言って見せるが、昨夜の悍ましい思考を振り返れば、求められる『普通』が果たせる約束なのか自分が判らなかった。
「努力する……」
「はは、真面目だな」
 絞り出すような声で決意表明をしたフロックの心の奥底に隠されたものに気付かずジャンは朗らかに笑っていた。
「それより、旅行だけどさ、一人旅で考えてたから計画練り直しなんだ。今日、時間あるなら話そうぜ」
「あぁ、そうだな」
 ジャンが置いてくれた苦みの少ない、爽やかな香りを振りまくコーヒーを一口飲み、余計な事を頭から振り払って同意した。

 なるようになるだろう。
 だなんて、楽観的に考えながら。

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