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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

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紙切れの縁=その四=

・モブがキモい
・相変わらず酷い話
・頑張るトルト
・頑張るジャン
・あと少しだけ続く







 いつも通りに夜を過ごし、朝を迎えて学校へ。
 今日は朝ご飯がなんとなく味気なく感じた。大した付き合いの長さでもないのに、気に色々あったせいか凄く絆されている気がする。吊り橋効果みたいなもんかな。
 父さんからも『気を遣わないようなら、また来てもらいなさい』との好意的な言葉を貰った。元々、人好きのする人ではあるけれど、ジャンをかなり好意的に感じてくれたようだ。
 なんだか無性に嬉しくて、学校へ行く足取りは軽やかになる。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 ホームルームが終わり、担任が交代して歴史の授業が始まった。
 地理、歴史は本来ならあまり人気のないものだそうだけれど、担当であるスミス先生が人気があるため比較的、皆の授業態度は真面目と言っていい。僕も先生の歴史解釈が面白くて楽しみな授業の一つだ。
 先生がチョークで板書する音、解説の低い声だけが響く教室にスマートフォンの振動によるノイズが入り、生徒の何人かがそわそわ視線を巡らせたり、ポケットの中を探ったりする。
 振動の主は僕。果たしてこれは誰だろう。ライナーも同じく授業中のはずで、あり得るのはさぼっているアメリカンフットボール部の誰か、あるいはヘルパーさんからの嫌な連絡、最後の可能性はジャンだ。
「授業中は電源を落としておくように。目に余るようなら放課後まで没収だよ」
 しっかりと先生から釘を刺され、僕はポケットの中からスマートフォンを出せずにいた。
 ポケットに手を入れ、電源を落とそうとするとまたスマートフォンが震えた。数秒ほど待つともう一度。今度は震える時間が長い、恐らくは電話の着信だ。
「す、すみません、もしかしたら緊急の連絡かも知れないので出てもいいですか……」
 手を上げ、申告すれば頷いてくれた。
 スミス先生は僕の家庭事情を知っているからだろう。
「何事もなければ直ぐに戻ってきなさい。何かあればそのまま帰っても構わないよ」
「すみません」
 謝罪を繰り返し、直ぐに帰れるように貴重品の入った鞄を持って廊下に出てスマートフォンの画面を見ると、着信の主はジャンだった。廊下に出るまでにコールは止まっている。メッセージを確認すれば『部室開けて』だなんて拍子抜けだった。
 一瞬、教室を顧みて、少しだけ、直ぐに戻れば大丈夫。そんな言い訳を自分にしながら部室の前に行くと、先ず目に飛び込んできたのは壁に立てかけられた松葉杖。近くには床に座り込んでいるジャン。右足にはギプスを嵌めて、貸したままになっていた僕の上着についたフードを目深に被って顔を隠している。
 心臓が殴りつけられたように痛み、ど、ど。と、強い心拍音が止まらない。
「どうしたの?殴られて折れてた?痛いのずっと我慢してたのか?」
 ジャンに視線を合わせるために膝をつき、矢継ぎ早に質問を投げるけれど、
「ここで殴られたのは関係ない」
 端的に言葉をまとめ、壁を支えに立ち上がると部室を指さす。多くは語りたくないらしい。
「解った。言いたくないなら訊かないけど、無理はしないで……」
「おう」
 短い返事。
 松葉杖が床を小突く音がやたらと耳の奥に響く。
「ねぇ、ジャンこれだけ教えて、側に居て欲しい?居ない方がいい?」
 ジャンが椅子に座った頃を見計らい、再度床に膝を突いて下から顔を覗き込みながら様子を伺う。答えは是だ。俯いたまま声は出さなかったけれど、手が僕の服を掴んで放さない。
「じゃあ、隣に座ってるから」
 ジャンが座るベンチの隣に腰を落ち着ければ、寄りかかってくる体重。
 怪我の原因があの私刑ではないとしたら、思い浮かぶ原因は一人しか居ない。しかし、アルバイトをしている店で性質の悪い輩に絡まれた可能性もあるだけに断定はできない。
 『訊かない』と、宣言した以上、言及はできないからもどかしさが募るばかり。
 強引にでも訊いた方が良かったのか、悪かったのか。僕には判らない。
「なぁ……」
「うん?」
 自分から話してくれるまで待つか悩んでいれば、ジャンが口を開く。
「似てるっつーなら、そいつの代わりになってやってもいいぞ」
「何の話?」
「俺が誰かに似てるから放っておけない。とか言ってただろ?」
 そんな事言ったっけ。
 数秒ほど考えて、確かにそんな事を言ったと思い出す。
「似てるってのは僕と環境がって意味だから、代わりとかはいいよ」
「俺が好きなのは?」
「うん?好きだよ?」
 ジャンが不満げな溜息を吐き、鞄の中を探る。
「ほら」
 ジャンが差し出した長方形に折り畳まれた紙を開く。
 そこにはジャンへの恋心と憧れが綴って、いや、読むに堪えない字で書き殴ってあり、こんな物を大事に鞄へ入れている理由を考える。
「それ、お前が渡してきたんだぞ」
「あぁ……、頼まれた奴」
「やっぱそれお前からじゃねぇのか……、何か変だなって思ってたんだよ」
 経緯を話すと、名前がなかったから。と、だけジャンは零す。
 手紙には確かに名前の記載がない。僕からの手紙だと勘違いしても致し方ないだろう。
「それで、僕が君を好きとか、憧れていると……」
 ジャンとなんとなく話が噛み合わないと思う事があったけれど、それが原因か。
 ただ、行動を共にする切っ掛けになったのは確かに勘違いから始まったようだけれど
「最初は流されただけだったけど、今は君が好きで、自分の意志で側に居たいと思った。自分でそう決めた、だからここに居るよ」
 はっきり意志を口にすると、なんだか凄く自分が強くなれた気がする。
 何でも出来そうに思えるから不思議だ。
「変なの、俺と一緒に居ても得な事ないぞ。俺の持ちもんはこの体だけだ」
「君と居るだけで毎日が刺激的だよ」
「嫌味か」
 ジャンは消え入りそうな声量で呟いて、唇を尖らせる。
 実際、学校と家の往復、時々父の病院の付き添い、ライナーと遊ぶだけだった僕の生活に入り込んできたジャンの存在は凄まじく刺激的だ。忘れていた感情ばかりが思い出されていく。
「足、痛い?」
「あんまり」
 話す事がなくなってしまった。ジャンは眠らずに僕に寄りかかったまま、ぼんやりしている。
「暇だな。セックスでもするか?」
「え……?」
 沈黙が十分ほど続いて、ジャンがとんでもない事を言い出した。
 冗談だろうけれど、僕は上手く反応できずに固まってしまう。
「別にビョーキは持ってねぇよ」
「そんな事じゃなくて、なんで?」
「言っただろ?俺が持ってんのは体だけだから、見返りはそのくらいしかやれねぇの」
 根が真面目で、妙に義理堅いとこんな発想になるんだろうか。
 ジャンの提案には首を振るけれど、気持ちに従えば要らないとは言えなかった。
「欲しい時が来たら貰うよ」
「今は要らねぇのかよ」
「自暴自棄になってる人の持ち物は奪えないからね」
「本人がやるつってんのに、強情だなお前」
「ジャンは僕を愛してて自分を上げる訳じゃないでしょ?」
 うぬぼれた事を言えば、決して嫌われてはいないだろうけれど、体を許すような関係ではない。自分を捨てるような真似はさせちゃ駄目だ。
「確かに愛してはねぇな」
「あの人の事は、愛してる……?」
 誰を指しているのかジャンは一瞬だけ考え、
「愛してはない、ただ、拾ってくれた事は感謝してる。他に親戚居なかったからきっと俺は施設行きとかで、色んな事を諦めないといけなかったから」
 その代償に性的搾取をされ、心理的な傷を負わされたのだろうけれど、全てを否定するのではなく分けて考える現実的な考え方だ。

 自分の経験を照らし合わせれば、突然両親が居なくなって悲しいよりも衝撃の方が強すぎて何も考えられず、悲しむ暇もなくただただやるべき事ばかりが重なって忙しくて、僕の場合、やっと落ち着いたのは母さんの葬儀が終わり、目を覚ましていない父と面会できるようになってからだった。ジャンも大人の都合に振り回されて悲しむ暇もないまま決断をせざるを得なかったんじゃないかと思う。
 僕はせめて父さんが生きてくれて運が良かったのか。父さんにしてみれば子供に介護をさせるのは嫌だったようで、目を覚ましてからのリハビリテーションはかなり無理をしている様子が看護師さんから伝えられたから父さんにとって良かったかは分からない。
 死ぬよりはマシ。なんて、死にたくなるほどの苦しみを経験していないから言える言葉だ。
「でも、施設に行った方が良かったのかな?」
「どうだろう。何が正解かなんて後にならないと判らないもんだから……。今している事に意味がないように見えても、後から意味を見いだせるようになるかも知れない」
「見いだせなかったら?後悔したら?」
「その時はその時考えよう」
「雑……」
 くすくすとジャンが笑う。
 今日初めて見る笑顔だ。
「出来る事は選択と行動だけさ、良くも悪くも結果は後からついてくる」
「俺より一個上なだけだよな?達観しすぎじゃねぇの?」
「達観で来てればいいけどね」
 結局は未熟な人間だから、中身は直ぐにぐちゃぐちゃになる。後悔だって直ぐするし、悪い事は忘れたい、上手くいかなければ全てを投げ出したくなる。
「綺麗事ならどんな馬鹿でも言えるよ」
「取り繕う気ねぇのか」
「嫌?」
「んーん、楽でいい」
 ジャンが笑い疲れて僕の膝に寝転んで、目を閉じた。
 眠ったのかと思ったけれど、
「十歳くらいの餓鬼でも一人暮らしとか出来たのかな?」
 目を閉じたまま、寝言のようにジャンは話を続ける。
「どうだろう、僕は法律家じゃないから……。ただ、うちの場合は僕一人だと判ってたのか家とか家の物とか盗ろうする人が来たし、騙そうとする人も来たよ」
「どうしたんだ?」
「僕はまだ父さんが居たから僕等のため。とか決定権のない僕に急かしてして来る人は怪しく見えて、とにかく突っぱねて、分からない事は役所に訊きに行って、泥棒は……、その時は眠れなかったから色々と防犯対策してたな。怖いの嫌だし」
「ふぅん……、じゃあ、あいつの警察って肩書きは案外役に立ってたんだな」
 想像するに、ジャンの場合は詐欺師や泥棒は来なかったようだ。
 僕の状況とジャンの状況、どちらがいいか。なんて判断は出来ない。
 それぞれにいい部分と悪い部分があるから、災難に遭った本人が悪い部分に堪えられるか堪えられないかの違いでしかないだろう。
 堪えられないなら。

 壁に背を預けながら天井を仰ぐ。
「あの人からは、逃げられないの?」
「どうせ捕まって連れ戻されるからな。あいつにはお仲間がいっぱい居るし」
 ジャンの保護者がどの程度の立場かは判らないけれど、警察組織に所属する人間であれば警邏に当たる人間に根回しもし易いか。言い分から考えて、何度か逃げても補導によって連れ戻されたと見える。
 完全に拒絶して逃げようとするなら、両親との思い出のある家も、土地も離れ、全てを捨てる覚悟が要る。酷な話だ。
「まぁ、機嫌良ければ優しくして貰えたり……、気持ちいい時がない訳じゃないし、悪い事ばっかじゃねぇよ」
「機嫌が悪かったら?」
「これ」
 ジャンはギプスのついた足を上げ、何度か揺らして空笑いを漏らす。
 やっぱり骨を折ったのはあの男か。
「それは、僕が君を逃がしたから?」
「お前と一緒に居るの見られた時点でアウトだから回避不可能イベントだよ。自分の所有物に他人の手垢がつくのが嫌らしい」
 暴力が振るわれる事が確定してたからあんなに怯えていたのか。
「だらかいつも独りなの?」
「おう、あいつが帰った時に俺が居ないのも機嫌損ねるけど、誰かと一緒に居るのを見られるのが一番やばい。自分がやってるから誰でも俺に欲情するくらい思ってんじゃねぇの?」
 あの人なりにジャンを心配して愛してはいるのか?
 やり方はあまりにも最低だけれど。
「ジャン、眠いなら寝て貰って構わないし、ただの僕の願望だし、ほとんど独り言だから返事もしなくていいんだけど……」
 そう前置きして言葉を紡ぐ。
「象は鎖に繋がれて育てられると、大きくなって鎖を繋ぐ杭を引き抜く力がついても『自分は逃げられないんだ』って思い込んで試そうともしなくなるそうなんだ。人間でもあり得る事で、学習性無気力なんて名前がついてる」
 一旦言葉を句切ってもジャンは何も言わず、上を向いている僕には耳を傾けているのか、寝入りだしたのかも判らない。
「僕は、君が杭を抜くための力になりたい……」
「それでもっと事態が悪くなったら?無理やり鎖を外そうとして足が千切れたら歩けもしなくなる」
「現状維持が最善だと思う?」
 ややあって『思わない』と、聞こえるか聞こえないかの声量でジャンが答える。
 でも、行動を起こすのは怖いんだろう。行動しなければ結果は出ない。しかし、杭を抜いて、外へ歩き出した途端奈落に落ちるかも知れない。行動なんか起こさなければ良かった。そんな後悔が絶対ないとは言い切れないから。
「ごめんね。僕は君を利用して自分を救いたいだけなのかも……」
 独りぼっちで誰かに助けて欲しかった自分。
 今正に、救いを求めてるだろう人間を利用して自分を満たしたいだけか。浅ましいな。

 話している内に無意識にあった欲求に気付いてしまい、自分に自分で落胆していれば、ジャンの手が僕の膝を弱々しく掴んだ。
 ジャンが示すように、事態を無闇矢鱈と引っかき回すだけ回して悪くするだけの可能性だって高い。それでも頼ってくれる?縋ってくれる?僕に君を助けさせてくれる?

 視線を降ろし、ジャンの手を握りながら境遇が似ている僕だから出来る事を考える。
 アルミンやマルコには出来ないやり方で。

 授業終了の鐘が鳴るまで、僕はそればかりを考えていた。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 寒波がきびしくなり、ジャンの足からギプスがとれた頃、僕はジャン家を訪問し、保護者である男とリビングで対面して座って居た。
「さて、私に話したい事とは何でしょうか?」
 丁寧だがどこか高圧的。
 警察官に良く居る部類の人間だ。
 僕が尋ねた時も穏やかではあったが、目つきの鋭さがじりじりと肌を刺した。
「とりあえず、これをどうぞ」
 出された珈琲には手をつけず、僕は鞄の中から数枚の写真を取り出す。
 かなり暗くて判断はし辛いものの、写っているのは誰か、どんな行為をしているかまではっきり解る物だ。
「へぇ、尾行に全然気がつかなかったな……」
「僕、かくれんぼとか昔から異様に得意なんですよね」
 自己主張がほとんどないせいか、上背がある割に気配や存在感が薄いみたいで、いつもかくれんぼの鬼は僕を見つけられない。こんな欠点にしか思えない特技が役に立つ日が来るなんて思いもしなかった。
「はは、公安や探偵に向いてそうですね」
「そうですね、天職かも知れません」
 皮肉に真っ向で返せば、つまらない反応だったのか彼は鼻で笑う。
「で、僕を脅そうと?」
「いいえ、交渉しに来ました」
 意外な答えだったのか、彼は少し眉を上げて僕を見詰める。
 写真は、彼が児童買春をしているものだ。調べた範囲では困窮して体を売っている未成年者を買う、もしくは『家出や、悪さをする子供を補導しない代わりに体を提供させる』もの。対象は目元が切れ長で細身なジャンに雰囲気が似た子ばかり。仕事で家に帰れない間、代替品で欲求を済ませているのだと感じられた。
「交渉だっけ?どうしたいのかな?」
 指先で写真を弄びながら、彼は薄笑いを浮かべている。
 所詮、彼にとっての僕は未成年で、どうとでも出来る自信があるから早々動揺をしたりはしないんだろう。
「ジャンにはまだ保護者が必要で、単純に貴方を排除すれば良いとはなりません。話を聞くに貴方は対外的な印象は悪くなく、ジャンへの支援は惜しんでいない。歪んではいるけれど愛情もある。ですから、あの子に対する物理的、性的な暴力だけを止めて下さい」
「頑張って考えたね。もし僕が拒否をしたり、約束を反故した場合はこれを使うって事か」
「そうなります。因みに、僕に対してなにかしらあってもこれらはネット上に上げられてデジタルタトゥーになります」
 初めて彼の表情が強張る。
 僕自身が動く以外に手を用意しているとまでは考えてなかったのか。
「それは、ジャンが持っているのかな?」
「いいえ、全く関係のない第三者です。探せませんよ。僕のスマホごと渡してデータの中身までは見せていませんけどね」
 僕は機械には詳しくないし、行動するに当たって詳細は訊かない約束で『悪い事をしている人が居る。対抗するに当たって武器が欲しい』と、アルミンやマルコに助けを求めた。
 最大限不審な動きをせずに証拠を確保する方法。する際に適した道具。僕の上手くない説明を懸命に噛み砕き、二人は様々な助言をくれた。ジャンが信頼しているだけあって、二人は頼りになる。

 記録した画像、音声データはアルミンに預け、万が一、僕が動けないほどの怪我をした場合、帰れなくなった場合でもジャンだけは彼から解放されるように、手段を残しておくに超した事は無い。ただ、これは彼の庇護下にあるジャン自身も巻き込む可能性があり、想定した中で一番最悪の結果だけれど。

 未成年者への性的な干渉を躊躇わないのなら、間違いなく『そんな目的で引き取ったのだ』などと、下衆の勘ぐりをする人間は現れる。人によっては心の底からの同情もされるだろうが、それよりも同情の皮を被った好奇の視線を向けられる事は間違いない。心の奥で、それだけは回避したいと祈るばかり。
「新聞や雑誌ならあるいは揉み消せるかも知れませんが、一度ネット上に上がったら完全な回収は無理です。そして、警察組織の人間である事を匂わせるだけで、公になるならないに関わらず確実に調べは入るでしょう?」
 もし、組織内で調べが入らずとも鬱屈した感情を抱えている人間は、いつでも鬱憤を晴らす矛先を探しているものだ。両親の事故で後ろ盾をなくした僕自身、心ない言葉を受けた記憶は今でも脳にこびりついている。そいつ等は事実とは全く違う勝手な妄想で物を言い、勝手に妬み、勝手に蔑んでくる。
 警察組織に所属する人間の児童買春、脅迫による強要行為は実にそんな人間達の優越感、嗜虐性、自分勝手な正義を振りかざず動機になり、広まれば広まるほど彼を知る者の目に入る可能性も高い。彼にとって経歴も何もかもを台無しにする永遠に消えない傷になるだろう。
「君や君の家族に適当な嫌疑をかけて潰す事も出来るんだぞ……」
「一人じゃ死にませんよ。道連れにします」
 第三者の手にデータがある以上、僕がどうなっても結果は同じだ。それが解らないほど頭は悪くないだろう。脅迫と脅迫の応酬なんて、柄じゃなさ過ぎて胃がねじ切れそうで、膝を掴む手は汗が凄いし、何かを握っていないと震えが止まらない。
「特攻は一番、性質が悪いな……」
「そうでもしないと、貴方に対抗できないでしょう?」
 僕は何もない子供だ。
 十分にそれは理解している。
 立場も経験も違う、狡知に長けた犯罪者を相手にしてきた大人と何の武器もなしに立ち向かえるとは思えない。だから、思いつく限りの対策は考えた。
「お前はジャンを俺から奪おうってのか」
 彼が顔を強張らせながら無為な質問を投げかける。
 余裕のある大人はもうこの場には居ない。この人にとっては立場の消失や、失職の危機よりもジャンを奪われそうな方が重要らしい。
「そうですね。ジャンは貴方による支配を望んでいません」
「ふざけるなよ。餓鬼が……、ジャンは俺のものだ」
 まるで、映画に出てくる三下の科白だ。
 顔は真っ赤で、僕への憎悪がありありと感じられる眼。初めて見るものだ。
「僕を暴力でどうにかしますか?貴方が捕まったり、どこかへ左遷されても、もうジャンと会えなくなりますよ?」
 彼の執着はなんなんだろう。
 ジャンは確かに魅力的だけれど、暴力を振るっての支配も、幼い子供に性的興奮を覚える指向も理解はできない。加害を加えないならどんな指向でも勝手にすればいいけれど、ジャンは明らかに彼に恐怖を覚え、心理的外傷を抱えている。そんな一方的なものは、愛だとしてもあんまりだ。
「ジャンを愛してるなら、優しくして慈しむだけじゃ駄目だったんですか?」
 何故、愛する対象に暴力を振るい、悍ましい形の性欲を向けるのか。
 側で愛でるだけでは駄目なのか。僕には解らない。
「あの子は……、泣いた顔が綺麗なんだ」
 想像もしていなかった返事に、僕は瞠目する。
「は、意味が解らない」
「解らないか?本当に?」
 僕は手を震わせ、強張らせた顔に笑みを貼り付ける悍ましい男の顔を見るのが嫌で、黒い波紋を作る珈琲カップへと視線を落とし、耳を塞ぎたいが体が固まって動かない。怖い。
「職業柄、泣き喚いたり嗚咽する人間なんて幾らでも見てきたよ。どれもこれも顔をぐしゃぐしゃにして汚らしくて見るに堪えないものばかりだ。でも、姉の葬式で見たジャンの泣き顔は本当に綺麗で可愛くて俺は感動すらしたよ」
 それを見るために引き取って暴力を振るい、無体を強い、傷つけ続けたのか。僕が想定していたよりも最低の人間で、吐き気すらした。
「笑顔の方がいいでしょ……」
 僕は絞り出すように反論する。

 が

 悍ましい怪物は『解ってない』と、嘲った。
「押さえつけて頬を叩いてやるだろ?そしたら反射的に泣くんだよあの子は。目が潤んで、真珠みたいな涙を流しながら止めてって泣くんだ。これがまた可愛くてね」
「聞きたくありません」
 強く歯がみし、怪物を睨み付ける。
 しかし、頬を紅潮させながら語る姿は、同じ人間と思いたくない存在だった。
「ここまでしてやるくらいだ。お前もあの子に惹かれてるんだろ?なら解るはずだ」
「そんなの解りたくもない!」
「抱いたらもっと可愛いんだぞ。泣いてるのに体は感じてるんだ。お前だって一緒に居たら同じ事をしたくなる」
 これは、殴り飛ばしても赦されるんじゃないか。
 ジャンだけでなく、僕まで侮辱しているだろうこれは。
「もう少しまともかと思っていましたが、僕の見込み違いだったみたいですね……」
「まともだったさ、あの子と会うまではね」
 何が面白いのか怪物は大仰に手を広げて笑ってみせる。
「貴方がそうなったのはジャンのせいだと?」
 なんて酷い責任転嫁だ。
 最低過ぎる。
「そうだよ、あの子は人を惑わして溺れさせる麻薬と一緒だ」
「違法物とジャンを一緒にするな」
 駄目だ。
 こんなにも話が通じないなんて。
 本当に、ジャンと出会ってから知らない感情ばかりが心の中で暴れる。
 こんな怪物は、殺してもいいんじゃないか。なんて。
 なんと形容すればいい感情なのだろう。

「ジャン、やっぱりお前は俺の所に帰ってくるんだな。いい子だ」
 僕の後ろを見て、怪物が声を張り上げる。
 なんだ。ジャンは僕の家に居たはずだ。
「なんで……!」
「俺の問題なんだから、お前に任せてばっかじゃ駄目だと思って……」
 果たしてジャンは確かにそこに居て、怪物を怯えの混じった眼で見詰めていた。
 ジャンは僕よりも、この怪物を知っている。話し合いに何てなる訳がないと考えて様子を見に来たのか。想定外すぎる。どうする。僕は、どうしたらいい。
「ジャン、お前も本当は嬲られるのが好きなんだろ?あんなに悦んでたんだから……」
「んな訳ねぇだろ!」
 怪物が最低な言葉をかけながら近寄っていくとジャンの表情に力が籠もり、思い切り殴り飛ばしたから驚きだ。想定外に次ぐ想定外。僕の握った拳はどこに持って行こう。
「ジャン、お、お前……」
 反撃されるなんて予想もしてなかったのか、怪物は尻餅をついてジャンを見上げる。
「ジャン、あの……」
「ベルトルト、俺さ、考えてたらどんどん腹が立ってきてよ……、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ?俺が逃げなきゃいけないんだ。って……」
 僕がジャンの側に行くと、怪物を殴った手の甲を擦りながら心情を吐露し、もう一発蹴りを入れた。
「なんだよ。反撃しねぇのか?俺にやる時はあんなに楽しそうにしてたのに」
 ジャンは皮肉気に唇を歪め怪物の胸を踏み付ける。
 怪物は先程よりも頬を紅潮させ、なんと表現すればいいのか、目を輝かせて新しい扉を開きかけてるような気がするのは気のせいだろうか。
「なんとか言えよ下衆野郎が」
「や、やめ……」
「俺が止めて。つってもお前止めた事ねぇよなぁ⁉」
 何度もジャンが蹴っていけば、怪物は体を反転させて蹲り、なんとも滑稽な姿でジャンに背中や尻を攻撃されて無抵抗なままだ。
「拍子抜けだな。ベルトルト帰ろ」
 ジャンが僕の手を掴み、家の外に出る。
 その手はじっとりと濡れており、ずっと細かく震えていた。
「怖かったのに来たんだ……」
「人任せにしてたら俺はあいつに立ち向かえないままになるんじゃないかって、お前の親父さんと話してて思った」
「父さんが?」
「うん」
「怖い物にずっと背を向けてたら、怖いままだよ。ってさ」
 そんな事を。
 現状を知らないからの言葉かも知れないが、それがジャンの背中を押して決断させた事は間違いない。
「父さんには敵わないな……」
「お前の親父さんみたいな人が後見人なら、俺めっちゃ真面目になってたと思うわ」
 手の震えも収まってきたのか、改めてジャンが僕の手を握り直し、家への帰路につく。

 玄関を開けてリビングに行けば、父さんが花瓶なんかを飾ってる所で驚いて、なんだか凄く心が落ち着いた。
「やぁ、お帰り。今日はジャン君がオムレツを作ってくれるそうだよ」
「どうしたの?花なんて」
「客人が居るのに、殺風景もどうかと思ってね」
「ダリアが咲いてたの気付かなかったよ」
 冬でも咲くピンク色の花。母さんが好きで育てていたのを、今でもリハビリがてら父さんが世話しているのは知っていたけれど、食卓に花があるだけでこんなに華やいで見えるのは知らなかった。
「お前は、一度決めたら頑固で視野が狭くなり易いからね」
 正に今の自分を言い当てられたような気がして、どき。と、心臓が跳ねた。
 どうあっても自分一人であの怪物をどうにかしなければ。そう思い込んで一番やってはいけない事をしそうになった。ジャンが来なかったら危なかったかも。
「じゃ、お前は邪魔だから座っとけよ」
「酷いな……、飲み物の用意でもしてるよ」
 もう具材を炒める所までは終わっていたらしく、ジャンは解き卵をフライパンに流し込んで中に挽肉と野菜を炒めた物を入れて器用に包んでいく。その傍らで、僕はもう喉がからからで仕方がなくて冷蔵庫にあった牛乳をコップに注ぐと一気に飲み干し、人心地ついてからお茶を淹れる準備をし始めた。
 精神的に凄く消耗している気がする。
「ベルトルト、ありがとな……」
「ん?」
「色々と」
 一つに絞れずに、曖昧な言い方になったんだろう。
 照れ隠しなのかこちらは見ない。
 着々と料理は出来上がり、食卓に卵の黄色や、トマトとレタスが入ったサラダの色合いで華やかさが増す。

 今日はもう落ち着いていいだろうか。
 怪物のなんだか哀れな姿を見て、どうしたらいいか、どうするべきか解らなくなってしまった。
「ベルトルト、飯食うぞ」
 穏やかにジャンが笑っている。
 今はそれでいいか。

   ◆ ◇ ◆ ◇







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