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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

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紙切れの縁=その二=

・ジャンの女装あり
・酷い行為の匂わせモブジャンあり
・トラウマ持ちベルさん
・やや事故などのグロ描写あり
・まだ終わってない




 翌日の朝、僕が学校に来てした事はジャンを探す事だった。
 ジャンは目立つと言えば目立つが、取り立て自身を飾り立てるような派手な格好をしている訳でもない。無難なバッドボーイに属する格好だ。人の波に紛れてしまえば途端に紛れてしまう。

 校門の側で、不審者極まりなく周囲を見回していれば、背中側から腰の中央辺りを殴られた。手の形がそうであっただけで、別に痛くはない。
「あ、おはよう」
「突っ立って何してんだよお前。こえーよ」
 昨日よりは幾分、顔色が良くなっているジャンが眉を顰めながら僕を見上げる。
「顔色良くなったね」
「バイト行ったけど仕事させて貰えなくて、ひたすら寝てたしな」
 具合はいいが、機嫌は悪いらしい。
 お金を稼ぐために働きに行ったのに、働かせて貰えなかったのが不満なのか。
「そりゃあ、あんな顔色で働いて倒れられたら困るだろ?」
「そんなに酷かったのか?」
「鏡見てないの?真っ青で目つきもぼーっとしてて、倒れないのが不思議なくらいだったよ」
「そうかぁ?くまがひでぇな。とは思ったけど」
 本人が自覚なしとは困ったものだ。
 校舎に向かいながら会話をする分には大丈夫なようだけど、それでも元気な健康体とは言い難い。
「寝る?」
 僕が黒い薄手ハイネックパーカーのポケットの中にある鍵を触りながら訊くと、今日は首を振った。
「今日は一限目が必修だから無理」
「無理はしないようにね」
「気にすんなよ」
「するよ」
 友達だろ。とは、図々し過ぎるかな。と、思って言えなかった。
 ライナー意外とは交流が浅過ぎて、どこまでの関係なら友達と言っていいのか僕には判断が難しい。
「お前、よっぽど俺が大好きなんだなー。好意だけは受け取っとくよ。じゃーな」
 手をひらつかせ、鞄を持ち直しながらジャンは僕から離れて自分用のロッカーがある廊下へと歩いて行った。
 好き。そうなんだろうか。少なくとも嫌いではない。一緒に居て不快感は抱かない。弱々しい姿を見たせいか何となく放っておけない気にもなっている。好きと言って差し支えないか。
 理屈ばって考えて自分を納得させ、ジャンを気にかけながらも授業を受けるための準備をしに行った。

 昼休み、食堂を一通り眺めても、ジャンらしい人の姿はなく、先に居たライナーが、わざわざ席移動をしてきて僕の隣に座り、神妙な面持ちで話題を切り出した。
「お前、ジャンにちょっかいかけられて乗ったとか嘘だよな……?」
「何の話?」
 ライナーの発言に、ハンバーグをフォークで崩しながら訊き返せば回答を渋る。
「昨日……、ジャンとなんかしたか?って話」
「なんかしたって言うか、顔色が真っ青で今にも倒れそうだったの放っておけってにごねるから、抱えて保健室には連れて行ったよ」
 『昨日』のジャン関連で、思い当たる件を口にすれば、ライナーは目を瞬かせ、気の抜けたような表情になった。
「そう言う事か。ったく……、適当な事言いやがって」
 僕がジャンを抱きかかえて歩いている姿を見て、ひそひそやっていた人達がライナーに何某かの出鱈目を吹き込んだらしい。そして、信じられずに事実確認をしようとした。と、言う所か。
「ライナー、あまり言いたくはないけど、もうちょっと側に置く人を選んだら?」
 側に居て良い影響のある人と、悪い影響がある人は確実に存在する。
 ライナーの立場や性格上、仕方がない部分はあるにしろ、誰も彼も許容していれば宜しくない方面への感化や干渉を受けたり、責任に押し潰されてしまう。適度な距離は大事だ。
「情報の取捨選択はちゃんとしてるつもりなんだがな」
「そう?後で訊きたい事あるんだけど、時間ある?」
「あぁ、構わんが?」

 食事を終え、紙トレイをごみ箱に捨てて向かったのはアメリカンフットボール部の部室。鍵は僕が持っている物と、職員室に保管してある物のみ。内から閉めてしまえば誰かが入ってくる事はないため、落ち着いて話が出来る。
「昨日の事、どう言う話になってるのか聞かせてくれるかな?」
 何の話かと訝しんでいたライナーは、僕が本題を切り出すと嫌そうに口角を下げてしまった。あまり話したくはない様子だ。真実が知れた以上、ライナーが口を噤んた事から予想は出来ていたが、相当碌でもない話になっているようだ。
「知りたいなら教えてもいいが、聞いて気持ちいいもんじゃねぇぞ?」
「不愉快な話題だってのは解ってて訊いてるから大丈夫だよ」
 他者が介入出来ない二人きりの状態で言い切れば、ライナーは渋々とではあるものの観念してぽつぽつ話してくれた。
 要約すれば、ジャンが大人しい僕に目をつけ、火遊びをするために誘惑をしたはいいが、大人しそうな見た目に反して絶倫だった僕に返討ちに遭い、挙句の果てに世話までされる屈辱を味わったようだ。との事だった。
「面白い妄想だね。その人、作家になれるんじゃない?」
 下劣な妄想をライナーに吹き込んだ輩は、いけ好かないバッドボーイをライナー傘下仲間がやり込めたのだ。と、ある種の武勇伝としてご機嫌取りに語ってみせたそうだ。そんな人間と仲間と呼べるほど親しくなったつもりはないし、愚かしいにもほどがある。
「ほんとにな、一応、見た訳でもない出来事をさも事実のように言い振らすな。とは言ってあるが……」
 ライナーも話していても気分が悪くなったのか、がりがりと頭を掻きながら、静かではあるが忌々しそうだった。不愉快は覚悟の上だったけれど、予想以上の不快さだ。
 どんな思考回路をしていれば、事実無根の下世話な妄想を他人に語り、それで機嫌がとれると思うのか。全く以って理解不能と言える。ジャンだけでなく僕にも失礼な話で、そして、自分を使って性的な妄想をされたという事実に怖気立つ。
 そんな妄想をして楽しんでいる奴は一体どんな人間性をしているんだろう。吐き気がする。
「ねぇ、今日は見かけた?」
 誰を。とは言わなかったが意図は通じたようで、ライナーは頷く。
「これ、聞いたりしてると思う?」
「さてな……、だが、誰かしらが話しているものを偶然、耳に入れたり、揶揄い交じりに言われる可能性は低くない」
 ライナーは自分の見たもの、感じたものだけを信じ、鵜呑みにしないから良いものの、噂を流す者はそれを真実として認識し、右から左へと悪びれなく触れ回るから性質が悪い。本人が否定しても面白がるだけで、更に尾ひれをつけて誇張してくるのだから最悪だ。
「大丈夫かな……」
 ジャンを思い浮かべながら爪でこめかみを掻き思案する。
 人の口に戸は立てられない。の、格言通り、一度広まったものは消せない。出来るとすれば、ジャンを庇ってやる程度だけれど噂の張本人が下手に動けば、過剰に反応するのは、口出しするのは『真実だから』だとか、在り得ない確信を得た気にさせ、馬鹿な輩の妄想を飛躍させてしまうような扇動にもなりかねない。頭が痛くなってきた。
「気になるか?」
「ちょっとね……、一人で抱え込み易いタイプみたいだから」
 具合が悪かったり、苦しい事があっても毎回、昨日のように一人で耐える事が恒常化しているように感じられた。僕はぐりぐりと親指でこめかみを揉み解し、全く浮かばない解決案を出そうと試みる。
「お前らしいな」
「そう?」
「あぁ、一人でいじけてた俺に手を差し伸べてくれたお前が居たから今の俺があるしな」
 ライナーが快活に笑い、僕の肩を叩く。
 特別な事をした記憶はないし、思い出せないけど、ライナーが嬉しそうだったので黙っておく。
「まぁ、ジャン本人の事は本人に訊くなり、お前自身が見て判断しろ」
 又聞きで判断するのは良くないと感じたのかライナーは話題を切り替え、噂以上の事は教えてくれなかった。僕の見る目を信頼してくれているとの考えでいいのかな。
「前も言ったけど、いい子だとは思ってるよ。何であんな格好してるのか不思議なくらい」
 ジャン自身の耳に入っていないはずもない噂。
 良く耐えて学校に来れるものだ。
 感情的になる人間なら事実無根と怒り狂うなりするだろうに、ジャンは周りを煽らないようにするためか無言を貫き通している。余程の目的や理由があるのか。そもそもが、僕に心を開いてくれるかどうかも解らないのに。
「じゃ、俺はもう行くから、何かあれば相談しろよ。お前も抱え込むタイプだしな」
「そうだっけ?」
「良く一人で考え込んで、一人で結論出してるだろ。知らんと思うな」
 基本、デリカシーがないのに時々、妙に鋭く頼もしい親友に。ごめん。と、一言謝ってから笑う。
「あぁそうだ、ジャンが一番頭が上がらないのがマルコらしいぞ。つってもあいつも物怖じしないで正論ぶっこんでくるタイプだから俺もやり込まれるちまうが……、ジャンの事で相談するならマルコが一番いいぞ。なんせ幼馴染だそうだ」
 じゃあ頑張れ。との激励を送ってライナーは部室を出て行く。
 マルコか。成績優秀な優等生。僕と同学年だから知ってはいるけれど交流はない。教師陣にも覚えのいいブレインに属しているのにバッドボーイと付き合いがある変な人。なんて誰かが言っていた記憶はある。彼に関しても、本当は悪さをするような奴なんじゃないか。だとか言う人間が居た事まで思い出し、自分の大してではないのに煩わしさにうんざりした。
 本当に、屑の妄想力は底が知れないな。

 予冷が鳴り、それでも動く気になれずに部室に居れば、スマートフォンが鳴動してメールの着信を告げた。
『もう授業行ったか?寝たい』
 ジャンからだ。
 直ぐにキーボードを打ち返信をする。
『今、部室に居るから来ていいよ』
 返信をしてから約五分ほどしてジャンが恐る恐ると扉を開けて中を覗いてきた。何をしてるんだろう。
「僕以外は誰も居ないよ?」
「あっそ、お前もさぼり?悪い奴だな」
 周囲を見渡し、僕の言葉を真実だと確認するとジャンは丸まっていた背中を伸ばして入ってくる。何を警戒していたのか。もしや、誘い込んで何かをすると思われたのか。心外だけど、まだ完全には信用されてないとしたら仕方がない。
「普段真面目に頑張ってるんだし、偶にくらい悪い奴になるのもいいと思わない?」
 僕は肩を竦めて笑い、両手を上げて何もしないよ。と、示して見せる。
 ジャンはジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、僕を数秒間じっと見下ろし、一度だけ目を逸らしてから隣に座ると、背負っていたカーキ色のザックの中から、まだら模様のブランケット出して長椅子に敷いて寝ころぶ。いつもより体を縮こませている辺り、確実に僕は邪魔だろうな。
「そのまだらブランケットはお気に入り?」
「まぁな。ふかふかしてるし」
「体にかける毛布は要らないの?」
「そこまでは鞄に入らねぇから、寒くなったらコート」
「風邪引かないの?」
「まぁ、気合で……」
 ないとは言わない辺り経験済みらしい。
 疲れも碌に取れない、体は冷やす、清潔とは言い難い場所で寝る。病気になる要素は盛り沢山だ。
「踏み込んだ事訊くから、嫌なら黙ってていいよ。あのね、どうしても学校で寝ないといけないの?おうちの人は?」
 子供に対しての質問のような言い方で、僕はジャンに語り掛ける。これで警戒してくれなければいいとの浅はかな考えだ。答えは直ぐには返ってこなかった。が、黙って待っているとぽつぽつと話してくれた事に嬉しさを感じて口元が綻ぶ。
 曰く『家はあるが、親は死んだ。学校で寝ているのは家に親戚のアル中が住んでいるため休めないから』だそうだ。家庭に問題があるんだろうか。それ以上は口を噤んでしまったため解らない。
 しかし、何となく合点がいく気がした。食事は外食で済ませ、アルバイトに明け暮れているのはそのせいだと。親を亡くした後、正式かどうかは知れないが最低の未成年後見人がついてしまったようだ。自分の面倒を見るだけでも大変だろうに。
「ねぇ……」
 話しかけようとしたら、もうジャンは寝息を立てていた。疲れているだけあって、寝つきの良さは素晴らしい。大した役には立たないかも知れないが、僕のハイネックパーカーを脱いでジャンの体にかけておいた。
 僕はまだ運が良かったのかな。

 眠りながらも眉根を寄せて苦しそうなジャンを見て、下らない発想をした。
 
   ◆ ◇ ◆ ◇

 ジャンと一緒に授業をさぼってから二日後の朝。
 昨日はジャンの姿はなく、連絡もなかったため今日は部室を開けなくていいのかと尋ねる旨のメールを送れば今日は勉強に集中できているから要らないそうだった。
『学校には居るんだ?』
 そう送れば『うん』との返事が返って来た。
『どこで寝てたの?体大丈夫?』
『心配性だな。当てがなけりゃモーテルに泊まってるよ』
『誰かと?』
『一人』
 モーテルと聞いて、無性に落ち着かなくなってしまった。
 必ずしもそう言う『行為』をする場所ではないのに。
 ライナーに変な事訊くんじゃなかったかな。
 ジャンが誰かに抱き締められているような嫌な想像をしてしまった。自分が同じ事をされて嫌な気分になったのに、僕が同じ事をしてどうするんだ。

 いや、待て。
 彼は男だ。
 何故、ジャンが抱き締める側でなく、抱き締められる側で考えてしまったんだ。阿呆か僕は。

 それからは何事もなく過ごし、放課後になった
 学業を終え、部活に勤しむ者、居残って勉強をする者、遊び惚ける者と分かれ、僕は使った参考書を返しに図書室に行けば、アルミンとマルコ、ジャンが揃って肩を並べながら教科書を開いていた。
 マルコは自分の勉強もしているが、主に先生役らしい。
「おう、お前も自主勉?」
「うん……」
 そうかそうか。
 言いながら、ジャンは自分の隣の椅子を引き、
「ここ開いてる」
 叩きながら有無を言わさないように言ってきた。
 邪魔しないよう直ぐに退散するつもりが、促されるままに座ってしまう。
「本当に大丈夫?ごめんねジャンが……」
 マルコが眉を下げながら僕に謝ってくるが、手を左右に振って構わない事を示す。
 ライナーと一緒に勉強に勤しんだ経験はあるけれど、二人以上で机を囲んでの勉強会は初めてだ。
「頭良さそうな奴は居るに超した事ねぇからな」
「僕等だけじゃ物足りないって強欲だなぁ」
 ジャンがけらけら笑って言えば、アルミンが苦笑しながら言った。
 茶化しては居るが誰一人、気分を害した様子がない辺り、彼等なりのじゃれ合いなのか。関係はとてもいいらしい。
「お役に立てればいいけど」
「ふふん、俺は知ってるぞ、お前成績かなりいい方だろ」
「ほどほどに……」
 ジャンがにやりと悪そうに笑って僕を指で小突いてくる。
 本当は、成績を落としたら学費免除の特待生で居られなくなるからかなり努力はしていたけれど。ジャンは僕の嘘なんて看破したように眼を細め、『頼りにしてるぜ。先輩』と、猫なで声で言った。
「本当に、マルコには負けるよ?」
 実際、いつだって成績表の一番はマルコが独占している。
 僕はその次か三番手。彼が居れば僕は必要ないように思えたけれど、一度座ると離れがたくて居座ってしまう。少し、家に帰りたくない現実逃避も混じっていたかも知れない。
「じゃ、早速……」
 僕が落ち着くと、ジャンは僕にあれこれと質問を飛ばしてくる。
 ちら。と、マルコを見やれば『情報系とか地理や歴史は僕の苦手分野なんだ』なんて手を上げてくるから驚いた。てっきり何でも出来るのだと思い込んでいたけれど、マルコ曰く、地理や歴史で僕に買った事はないらしい。総合成績表しか見てなかったから知らなかった。
「な?居て良かっただろ?」
「はいはい、ジャン様の言う通りでございます」
 ならばアルミンは得意ではないのか。
 視線をやると小柄な彼はジャン越しに顔を覗かせ、気不味そうに金色の頭を掻いた。
「好きなんだけど、好きが高じすぎて浅く広くが過ぎちゃって……、テストでは今一なんだ」
 要するに、面白そうな物に目が行ってしまい、一つに絞れていないようだ。学校の勉強としては、悪くないように思えるが、恐らくテストに必要な範囲外まで飛んで行っているんだろう。
「ぼ、僕で役に立つのなら……、宜しく」
 ジャンは満足げに頷き、僕への質問と、回答を聞き終えると教科書を見ながら同じ授業を取っているアルミンにノートを見せて貰い、時に録音している授業内容を聞き、どうしても解らなければ各々の得意分野を質問している。成績維持は天才故ではなく他者の助けと地道な努力だったようだ。
「ジャン、もう少し真面目に授業出なよ」
「そうしたいけど眠過ぎてどうせ身にならねぇしな。出るだけいいだろ?録音はしてるしさ」
「バイト減らせないの?」
「無理」
 ジャンが断言すると、マルコが困った様子で眉間に皺を寄せる。
 先生達も、ジャンの成績は良いため、ある程度の目溢しはしてくれているらしい。あるいは、ジャンがこんなにもアルバイトをしなければならない理由を知っているのか。
 それから校門が閉まる時間までジャンは真面目に勉強をこなし、時計を見ると大きく背伸びをして教科書を閉じた。
「もうこんな時間か。ジャン、口煩くは言いたくないけど、気を付けるんだよ?」
「大丈夫、今日はこいつがついてるから」
 マルコが親のような口ぶりで気遣うが、ジャンが僕を親指で指差して言えば驚いた様子だった。幼馴染だと聞いているけれど、この値踏みのような視線はなんだろう。
「大丈夫だって、な?お前、俺が大好きだろ?」
 にぃ。と、音がしそうな表情だ。
 目を細め、弧を描いた唇。悪戯を思いついた子供のようにも見え、同時に妙に大人びても見える。やはり良く解らない子だ。
「ジャンが信用してるなら僕も信用するけど……」
 マルコの視線は未だに厳しい。
 僕に対する懐疑的な眼差しの理由は謎だ。
「まぁ、時間ねぇからもう行くぜ。ほら、ベルトルト」
「あ、うん」
 視線を逸らさず僕を見るマルコに、蛇に睨まれた蛙のようになっていたらジャンが手を引いて助けてくれた。先程まで穏やかに会話をしていたはずなのに、マルコは何故、急に僕を疑い出したんだろう。胃が痛い。

 昨日、一緒に行った店に入り、ジャンが大量に出すなと釘を刺したせいか一品追加される程度で済んだ。そのお金は払わせて貰えなかったけれど。
 いつもここで早めの夕食を取ってからアルバイトに行くのが習慣だそうだ。

 時刻は十九時。
 お腹を満たしたジャンは飲み屋が集中している繁華街へと堂々と歩いていく。もし見つかったら補導されるのに、物怖じせずに奥へ奥へと向かって行き、足を止めたのは屈強な厳めしい面構えの男性が佇む地下へ続く階段の前。
「おつかれー」
「ジャン、誰だこいつ。新人か?」
「いや、俺の友達。ちょっと大人の世界を覗いてみたいんだとよ」
 ジャンが冗談めかして言うと男性は僕をじろじろ見た後に盛大に噴き出し、純そうな坊ちゃん捕まえて揶揄うなよ。と、ジャンに向かって言っていた。馬鹿にされているんだろうか。
「揶揄ってんじゃなくて道も知らないのに迷い込んで怪我したら可哀想だから案内してやるだけだよ」
 軽妙な切り返しで肩を竦ませ、ジャンが男性に言い返す。
 見た目は怖そうだけど、そうでもないのか。
「まぁ、変な悪戯はするなよ。俺の仕事を増やしたら全身の身ぐるみ剥いでから縛り上げて街頭に吊るしてやるからな」
 男性が僕の胸元に指をつきつけながら脅し文句を口にする。
 怒らせたら見た目通りの人のようだ。 
 ただ、僕は少々不愉快になっていたため返事が出来なかった。
「大人しいから大丈夫だって。あんま怖がらせるなよ可哀想だろ」
 むす。と、している僕の手を引いてジャンは地下へと降り、薄暗い明かりが点いた細いコンクリートの通路を通り、右手側にあったスタッフオンリーとのプレートが貼られた鉄製の扉を開く。
「僕、大人の世界を覗きたいなんて言ってないよ」
「そんな拗ねんなよ。ただ連れてきました。だけじゃ客にもならねぇ奴は仕事の邪魔って追い払われるだけだからな。あいつが気に入るよう、ちょっと面白く言ってやんねぇと通して貰えない」
 僕が不愉快の理由を告げると敢え無くジャンに躱された。
 狭く段ボールの多い室内は換気が悪いのか化粧や、香水の匂いが充満していて胸が悪くなってくるようだ。
 ジャンの匂いはここの移り香だろうか。
「ボーイか何か?」
「それと近いもんかな?準備すっから適当に座っとけよ」
 更衣室の隅に設置されていたパイプ椅子を広げ、ジャンの『準備』とやらを眺めていると唐突に服を脱ぎ出したため目を逸らす。当然だ。働くなら着替えもするだろう。
 スマートフォンを開き、適当なニュースを眺めていると強盗や事故の記事ばかりが並んでいて嫌な気分になり消してしまう。
「陰気な面してどうした?」
 声をかけられて顔を上げれば僕は目を丸くした。
 ジャンが体の線が出るような形で、深いスリットが入った赤いドレスを着て、長めの髪をネットで止めていたからだ。
「何だよ?」
「ボーイじゃなかったっけ?」
「近いもんとは言ったがボーイとは言ってねぇぞ」
 屁理屈だ。けれど、言っても仕方がない。
「仕事に関係ある格好なの?」
「まぁ、そうだな。後は未成年ってばれないための変身。男のまんまだとなんだけど、女の見た目なら多少餓鬼っぽくても相応に見えるだろ?」
 髪の毛を纏め終えたジャンは壁一面の鏡の前に座り、小さな長方形のポーチから細々とした道具を取り出して手慣れた様子で化粧を始めた。何となく面白くてじっと眺めているとジャンが眉を顰めて居心地の悪そうな視線を寄越したため、先程と同じく視線を逸らしておいた。
「じゃあ、行くぞ」
 ぼんやりと俯いていると赤いヒールを履いた白く艶めかしい脚が見え、顔を上げれば亜麻色の緩やかに波打った長い髪を一纏めにして肩に流した美女が立っていた。
「誰?」
「俺とお前意外、ここには居ねぇよ」
 声はジャンだけど、いや、じっと見れば面影はなくもない。
 女性にしては肩幅があってごついと言えばごつい。肩に羽織ったショールがなければもっと男だと解り易いとは思う。だが、それよりも腰が括れて細く、体が薄いせいか良く見れば。程度の違和感しか湧かなかった。
「確かに変身だね。知らなきゃ解んないな」
 率直な感想を告げるとジャンが、はぁ?とけったいな声を上げた。
「これ見て変だとか、気持ち悪いとか思わねぇの?」
「今はどちらかと言えば技術に驚いてるかな」
「んー、先ずはこれに幻滅してくれるかなぁ。と思ったんだがな」
 当てが外れたとばかりに座っている僕を見下ろしながらジャンが腕を組む。
 幻滅させてどうしたいのかを測りかね、思わず何故?と、問い返す。その質問にジャンは当惑したようだった。
「見た目悪そうな奴がこんな格好でバイトしてんの見て、憧れも消えるかな?と」
「何言ってるのか良く解んないけど、綺麗だと思うよ?」
 驚く事は驚いたけれど、ジャンの事だから意味があるんだろうと考えれば難なく受け入れられた。
「お前、例えばライナーが急に女装始めたらどうする?」
「え、うーん?」
 もしもライナーが。
 全く想像がつかないけど、訊かれたので悩んでみる。
「取り敢えずどうしたのか訊いて、嫌なのに強要されてのものなら止めろって言うし、女装趣味に目覚めたって言うなら見守るかな?」
「気持ち悪いとか、嫌いにならねぇの?」
「ライナーのいい所も悪い所も知ってるから、新しい趣味が出来たからって急に嫌いにはならないよ」
「飽くまで仮定だし、訊いた所で意味ねぇか……」
 僕の答えに納得したのかしてないのか、一人で結論を出してジャンは入ってきた扉とは違う青く塗られた扉へ向かって行き、座ったままの僕を手招いた。
 誘われるままに扉を潜り、階段を上がれば、アンティーク調に整えられたピアノバーだ。扉の直ぐ傍にはカウンター席、ゆったりと寛ぐためのソファー席は三つほど。
「よう、来たな歌姫。後ろは彼氏か?」
「おはようございます。そんなもん」
 ジャンが挨拶と共に適当な返事をしたのは銀縁眼鏡をかけた壮年の男性。
 カウンターを通り過ぎたジャンが向かったのはステージにあるピアノの元。長方形の形の椅子に腰を落ち着け、ぽろぽろと鍵盤を叩く。
「なぁ、店長、ちゃんと調律してつったじゃん」
「あー、ここ暫く手入れも怠ってるなぁ、気がついたら開店時間になっててな」
 形の良い唇を曲げ、ジャンが店長と呼んだ壮年の男性を藪睨みした。
 僕には普通のピアノの音にしか聞こえなかった。あれがジャンの耳にはどう聞こえているんだろう。
「はい、これサービス」
 ピアノの鍵盤に指を遊ばせるジャンを立ったまま、呆けながら見惚れていれば、店長がカウンターに僕の飲み物を出してくれた。
「え、いや、僕お金……」
「サービスだって、あの子に寄り添ってくれる人が出来て嬉しいんだ」
 なにやら訳知りなのか、店長は僕に微笑みかける。
 女性が虜になってしまいそうな甘ったるい顔、その青い瞳の奥に、マルコと同じく値踏みするような視線が混じっていた。
「僕は、あの子の事、何にも知りません」
「知りたい?」
「知った方がいいんでしょうか?本人が嫌がってても」
 カウンターの小さな椅子に座り、出してくれた珈琲に口をつける。
 独自ブレンドした豆を使っているのか苦みが少なく、飲み下せばフルーツのような香りが鼻腔を通り抜けるような質のいい珈琲。かなりの好みで何倍でもお代わりできてしまいそうだが、流石に二杯目はお金を取られるかもと思って黙ってジャンに視線を戻す。
「この珈琲の良さが解ってくれる奴に悪い奴は居ないってのは俺の持論だから、ちょっとだけ教えてやるよ。つっても、全部聞いてる訳じゃないけどね」
 珈琲を飲んで目を輝かせたのに気付いたのか、店長が期限良さげに口を回す。
 個人情報は大丈夫なのか店は。
「ジャンがここに来たのは、十四か、五くらいの時。店の片付け終わって出たら裏口のとこに蹲っててさ、餓鬼が何やってんだー。って最初は怒ったんだ。でもずっと震えてるわ、泣いてるわで、ただごとじゃないと思って警察呼ぼうとしたら嫌がって理由は言わない。拉致あかないだろ?」
「それでなんでここで働いてるんですか?年齢偽ってまで」
「俺の連れ合いが、どうやったかは解らないけどジャンから事情を聞いて、家に居たくないならここに逃げておいで。ってな。湿気たバーだが寝るくらいなら出来るし」
 家から逃げてきたジャン。
 アルコール中毒の親戚が居ると言っていたが、よくよく考えればそんな人が親を亡くした子供の後見人になれるものだろうか。詳しくはないけれど、かなり身分がしっかりしていなければ子供など引き取れないのではないか。
 引き取った後にアルコール中毒になったのなら辻褄は合うけれど、それなら資格を剥奪されたりはしないのか。考えても考えはまとまらず、知識も経験もない若輩者である自分が悔しい。
「あの子、弱音吐かないし、連れ合いがピアノ教えたら元々習ってたとかでどんどん上達するし歌は上手いしよ、いいとこの子っぽいんだけど……」
「そうですね、悪い子じゃないのになんであんな格好してるんだろうって思いました。それに、なんでここで働いてるんですか?」
「うちの連れ合いが、ちょっとこれになっちまって……、戻ってくるまで俺が働くよってさ……。や、解ってんだよ?未成年だし……その……、でもうちも人手が……」
 店長は手でお腹の辺りが膨らむような動作をした後、あれこれと言い訳を連ねる。
 もしかしたら、アルバイト先がかなり忙しくて、こき使われて眠れていないんじゃないか。そんな穿った見方をしていたけれど、そうでもなさそうに感じた。少なくともジャンは好きで働いて、ならば眠れない原因は他にある。
「なにお喋りしてんだ?」
「え、お前はいい子だよー。って言ってただけ」
「なんだそれ」
 けらけらとジャンは笑い、外に看板を出しに行った。時計を見れば十九時半。そろそろ開店時間らしい。
「終わりまで居るか?どっちでもいいけど」
 ジャンは、僕をここに連れてどうしたかったんだろう。
「終わりは何時くらい?」
「十一時か十二時くらい。客の具合にも寄る」
 遅いが決して睡眠時間が取れないほどでもない。
 ならば、何故ジャンはあぁも慢性的な睡眠不足で、疲れたようになっているのか。
「邪魔にならないように待ってる」
「そう?なんなら更衣室に居ろよ。知り合いが来たら不味いだろ?」
 僕がジャンと同じ学校の学生だと知れると店長にも同意され、店の奥へと引っ込む。
 確かに、知り合いに見つかれば、ここに居る理由を言わなくてはならず、連鎖的にジャンの存在も発覚しかねない。大人しくしているが吉。
 言われるがままに更衣室に入るとスマートフォンを取り出し、家に居るであろう父親に電話する。
「うん、今日は遅くなりそうなんだ。独りで大丈夫?少しなら戻れるけど」
 電話越しに伝わる父の優しい声が伝わってくる。
 昼間のうちにヘルパーの方が色々準備をしていってくれたから、大丈夫。との返事。
「うん、でも無理はしないでね」
 僕の父は体が不自由で介護が必要だ。トイレなどはどうにか一人でも行けるが、握力は弱って足も数センチしか上がらないため食事の支度などは出来ず、外では車椅子で移動しなければならない。それによる運動不足のせいか病気がちになり、病院にも二週間に一度に通っている。

 僕がジャンを気になって仕方がないのは、どこか似た雰囲気を感じているからだろうか。
 ジャンは両親が居ないと言う。僕も父は生きているが、母は亡くなった。
 昔、遭った事故のせいで。

 今でもあの事故は鮮明に目に焼き付いている。
 家族での外出に浮かれて横断歩道を渡っていた時だ。
 突然、僕の背中を押した二本の手。押された衝撃に何歩か前に進んで転び、驚きに振り返ると白い乗用車が僕の父と母を跳ね飛ばしていた。
 浮いた体が地面に叩きつけられ、体が変な方向に曲がって体から流れた血がアスファルトに水溜まりを作っていった。周囲はきっと悲鳴やら何やらで煩かったんだろう。でも、僕には何も聞こえておらず、痙攣する両親と、赤い色が飛び散った白い車に視線を合わせたまま動けなかった。
 相手は捕まったそうだが賠償金という名の金だけ払って罪も償っていない。子供だった自分には何も出来ず。ただ流されるだけだった。父は病院のベッドの上で色んな機械に繋がれてミイラのようになり、母は棺の中に入った。
 あれ以来、違うと解っていても白い車はつい目で追ってしまう。

「ジャンは、どうして……」
 父との通話を終え、更衣室の椅子の上で考え込む。
 アルバイトをしている理由は分かったけれど、家から逃げなければならない理由は?
 下世話な詮索だとは理解しつつも、手を伸ばしたくなった。嫌な事は沢山言われたしされた。でも、同時に優しくしてくれる人にもたくさん出会った。ライナーはデリカシーがないし、空回りも多いけど僕のために一生懸命になってくれた。いつだって一緒に居てくれた。心強かった。
 僕なんかが烏滸がましいだろうが、どうにかジャンの手を取って上げられたら。何が出来るかは、解らないのだけど。

 ぼんやり考え込んでいれば、一時間は経っていた。
 ジャンはどうしているのか。更衣室の扉を少しだけ開けて覗けば、ピアノの軽やかな音と共にハスキーだが伸びのある綺麗な歌声が鼓膜を打った。店内には中々客が居るようで、店長はカウンターの中で機嫌良く酒を作っている。
 更衣室は完全ではないが、案外防音が効いているのかほとんど聞こえなかった。閉じるのが惜しくなって少しだけ開けたまま、扉の近くに椅子を移動させる。

 少年特有の柔らかな歌声。
 歌いながらピアノを弾くなんて相当器用なんだろう。
 いつものバッドボーイな彼からは全く想像がつかない姿だ。
「いい歌だな」
 歌の意味は解らないが、ぽつりと感想を呟く。
 店がいっぱいになるのも当然だ。なんて心地好い音なんだろう。

 ぽん。と、音が切れ、拍手が狭い店の中に広がる。
 どうやら一幕が終わったようだ。隙間から覗けばジャンがこちらに移動してくる。が、途中で酔っ払いの客に捕まり、肩を抱かれていた。
「ジャンヌ、いい加減、いい返事を聞かせてくれよ。悪いようにはしないからよぉ」
 客の男はにやけ面でジャンの肩ばかりか腰を触り、あまつさえ胸にまで手を伸ばす。かぁ。と、一気に頭も全身も熱くなった。 
 気がつけば更衣室から飛び出して、ジャンの手を引いて中に引き込んでいた。
「な、な……」
 僕自身も僕の行動に驚いたが、ジャンも驚きすぎて声が出ていない。
「なんなんだあの失礼な奴は!ひ、人の体をべたべた……!」
 怒りなのか恐怖なのか、緊張なのか、色んな物が混ざってぶるぶる震えながら僕が叫べば、ジャンは目を丸くして場違いなほど笑う。
「お前、そんなに大きい声でたんだ?」
「笑ってる場合か、あんなの痴漢だ。赦されない!」
 僕が喚けば、ジャンはあんな酔っ払いは日常茶飯事だと。
「酔ってれば赦されるなんて訳ない!」
「言いたい事は解るぜ。俺だって気持ちわりぃし?」
「拒否、出来ないのか?」
 僕が沈痛な面持ちで尋ねれば、拒否してもしつこいのだと肩を竦めた。
「来る度に俺の愛人になれー。ってさ。股ぐらに同じもんついてるのに、あいつ節穴だよなぁ」
 ジャンは器用に片眉を上げて皮肉げに笑い、おどけてみせる。
 セクシャルハラスメントは紛れもない業務妨害だ。ジャンはピアノと歌を店に提供して客を楽しませている。それを妨害するのはジャンにも店にも、他の客にだって無礼だ。
「店長は助けてくれないの?」
「や、いつもは助け船出してくれるんだけど、今日は……」
 店長よりも先走って僕が飛び出してしまったらしい。
「あーあ、あのおっさん店長に食ってかかってる」
「ご、ごめん、僕のせいで……」
 ジャンはひらひらと手を振り、事もなげに、あぁいうの抑えるのも店長の仕事だから。なんて嘯いた。

 僕が更衣室へジャンを誘拐して十分ほど経っただろうか。
 疲れた面持ちで更衣室に顔を出した店長が、今日はもう帰っていいと言う。
「アレは誰だの、もーしつこいったら……」
 とりあえず宥めて椅子に座らせたが、またジャンが出れば同じように絡んでくるだろう事は明白で、最悪の場合、帰宅すら妨害される可能性も考えて今のうちに帰れとの話だった。
「すみません……」
「いや、彼氏ならあれむかつくよねぇ。解るよー?俺だって連れ合いにちょっかいかける奴いたら出禁にしてたもん」
 店長だから出来る技なだ。と、感心していれば、ジャンは早々に化粧を落としにかかっていた。行動が早い。
「じゃ、うちの歌姫宜しくね」
 店長はそれだけ言うと引っ込み、仕事に戻ったようだ。
 ジャンはてきぱきと化粧を落として衣装を脱ぎ、元のバッドボーイの姿に変身を解いている。
「凄い変わり身だなぁ」
「じゃねぇと変装の意味がねぇだろ?」
「化粧は、店長の奥さんに教えて貰ったの?」
「そー、化粧も安くねぇから色々買えねぇけど」
「欲しいの?」
「んー……」
 先程まではっきりと物を言っていたジャンが急に口ごもる。
 欲しいが、欲しいと言えば『変』の烙印を押されかねない危うさを考え口に出来ないのか。
「化粧してないと可愛いけど、化粧してるジャンは綺麗だったよ」
 僕が率直な感想を口にすれば、ジャンは顔を真っ赤にして外へと続く扉へと大股に歩き、勢い良く扉を開けたせいで狭い室内の空気が激しく揺らめいた。通路に人が居たら大層驚いただろう。
 ジャンは通路もずかずかと歩き、強面の男性に気付かせるように扉を叩いて開けて貰う。
「あらら、もうお帰りとは坊やには刺激が強かったか?」
「そーそー、あんまり長居すると泣き出しちゃうからもう帰るよ」
 また二人して僕を玩具にしている。が、彼にはこんな軽口が正解なんだ。部外者を入れる理由をあれこれと並べ立てるよりも早く、かつ簡単なのだろう。ジャンは賢い。
「家まで送るよ」
「店長に宜しくって言われたからか?」
 警官の補導を避けるつもりで人混みに紛れて歩くけれど、僕が他より頭一つ分飛び出ているせいで全く隠れられておらず、足は無駄に速くなる。
「まぁ、それもあるけど、単純に心配というか……」
「俺はお前の方がカツアゲとか、酔っ払いに絡まれそうで心配だけどな」
 ジャンは口が減らない。
 そこが彼のいい所でもあるんだろうけど。
「僕だって弱くはないよ。こう見えてスポーツ全般は得意だし……」
「じゃあ、足が速いんだろ?立ち向かわずにさっさと逃げろよ。それが一番の護身術だ」
 いざとなれば庇えると伝えたかったのに伝わらない。
「……その時は、君を抱えて逃げるよ」
「俺なんかほっとけって、難儀な奴だなぁ……」
 ジャンは呆れたのか、一つ溜息を吐いて無言になり、程なくして繁華街を抜けて住宅が見えて迷う事なくそちらへと向かう。
 そうか、十四、五の子が家出をすると言ってもお金もなければ場所も知らない。家から出たとしても必然的に近場になってしまうはずだ。

 想像通り、ジャンは十五分ほど歩いた場所にある二階建ての小綺麗な家の前で立ち止まる。
 だが、中々入ろうとしない。家のリビングらしい所に明かりが点いているから?
「例の保護者の人……?」
「ん、あぁ……」
 返事の歯切れは悪い。
 たっぷりと二、三分ほど立ち尽くしていただろうか。
 家の中から一人の男性が出てきてジャンを認めると足早にこちらへと近づいてくるが、同時にジャンの表情や体が一気に強張った。
「お帰り、お友達と話が弾んで名残惜しかったのかい?」
「あ、うん……」
 家から出てきた男性はジャンの手を優しく掴み、話しかけている。
 アルコール中毒の印象とはほど遠く、寧ろ爽やかな紅顔の男性だった。言葉遣いも優しく、乱暴さは微塵も見えない。
「お前が我が儘言ってお友達を付き合わせちゃったのか?駄目じゃないか……」
「あ、いえ……、寧ろ僕が……」
「いえ、いいんですよ。私がこの子のさみしさを埋めてやれないばかりに不良の真似事なんか刺せてしまって……」
 男性の言葉遣いは丁寧で、見た目も清潔そのもの。
 なのに、どうしてこんなに神経を逆なでするような気持ち悪さを感じるのだろう。
 何故、この人はジャンを捕まえているのだろう。ジャンの家なのだから連れて入らなくとも、迎えずとも自分で入るはず。まるで、逃げないようにしているみたいじゃないか。
「い、いえ、ジャンはいい子ですし、僕の課題が終わらないからって今まで付き合ってくれてて、それに手伝って貰ったのに終わらなくて、遅くなったから家でやろうってまで言ってくれて!明日提出だし、言ったよね?」
 心臓がばくばくと可笑しな鼓動を打つ。
 手に変な汗を掻いて思わずズボンで拭ってしまう。
「あ、あぁ、そうなんだ。叔父さんには申し訳ないんだけど、ちょっとこいつの事どう説明しようか悩んでたから……」
 僕の支離滅裂な理由に乗っかり、ジャンは顔を俯かせながら男性、ジャンの叔父さんに立ち止まっていた弁明する。
「おや、課題をそんなにぎりぎりまで溜めるなんて感心しないなぁ」
「はは……、そう言われると思って……」
 男性はあくまでも朗らかで、不出来な子供を窘める大人の立場をとっている。しかし、ジャンの手は、未だ放さない。
「仕方ないな。珈琲でも淹れて上げよう。ほら、おいで」
 男性はジャンの手を引き、僕はその後ろを黙ってついて行く。
 一般的に考えれば両親が亡くなった事でぐれてしまった自分の甥が悪さをしてないか心配して叱る優しい人。なんだろう。でも、なんでこんなに気持ち悪いんだ。なんだか、ヘドロの中に沈み込んでしまったような、得体の知れない悍ましさは。
「じゃ、珈琲を淹れてくるから課題頑張るんだよ」
 二階にあるジャンの部屋の中に二人で入ると男性は微笑みながら扉を閉めて去って行く。
 本当に優しいだけの人なのか?ジャンはただ両親の死と親代わりの叔父が受け入れられず反抗しているだけなのか?店長の言葉を思い出せば、怯えて泣きながら家から逃げる理由は?家で眠れず学校やアルバイト先で眠り、自宅へ着いても入れない原因は、あの人以外に考えられないのでは。
「あの、ジャン、ごめん……」
「いや、ありがと……」
 ぽろ。と、ジャンの瞳から涙が零れ、男性に掴まれていた手首を何度も擦りながら震えている。
「ジャン、あの人、怖いの?」
「うん……、こわい」
 どこか舌足らずな喋り方で、ジャンが急に子供になったようだった。
 いつもの大人ぶってる雰囲気は微塵も見られない。
「失礼するよ」
「あ、はい!」
 男性が扉を叩き、入室を宣言すれば慌ててジャンを隠すように扉の前に立ち、お盆に載った淹れ立ての珈琲を受け取る。
「じゃあ、頑張って」
 男性は、やはり穏やかな微笑みを浮かべている。
 預かった甥を怖がらせるような人には決して見えない。
「珈琲、飲む?落ち着くかも……」
「のまない……、ねたらやだ」
「へ?」
 ジャンはとうとう床に座り込んで小さく震えている。
 珈琲は飲めば帰って目が冴える物だ。
 飲んだら寝るなんて事は、余程特殊な状況でもない限りあり得ない。僕が好きなミステリー小説では大体に於いて、何かしらのタイミングで飲み物に睡眠薬が混ぜ込まれているけれど、一般家庭でわざわざそんな真似をする必要はない。
「嫌なら、止めておこうか……」
 変な汗が背中を伝った。
「ジャン、あの人に怖い事されてるなら、警察とか……」
「あいつがけいさつだもん……」
 一瞬、息が止まった。
 社会的に信用される立場にある人間が、甥に対して良からぬ事をすると誰が想像するだろう。
 寧ろ、
「ジャン、誰かに助けを求めた事ある?」
「こーばんのひとに、おじさんがいやなことしてくるって……いった、けど、あいつがきたら、みんなおれがわるいって……」
 あの人は、中々の地位にある人のようだ。
 親が亡くなって情緒不安定になっている子供よりも、立場のある大人の言葉を信用するだろう。なんて悪質なんだ。
「ジャン、とりあえず逃げよう……」
「どこに……」
「僕んち」
 先程まで持っていたジャンと自分の荷物を持って部屋の窓を開け、先ず屋根に出て安全を確認し、移動経路を確認する。少し高さはあるが、どうにか降りれそうだった。
「ジャン、おいで」
 窓から死綱に向かって手を伸ばしてジャンを呼ぶ。
 普段の彼なら、餓鬼みたいに呼ぶな。なんて怒りそうだけど、今は叔父への恐怖に囚われているからか素直に僕の手を掴み、腕の中に飛び込んでくる。
「足下気をつけて、僕にしがみついてて」
 声を潜めながら屋根を移動し、一段低くなっている場所に先ずジャンを降ろし、次いで周囲を警戒しながら降りる。
「こっからどうするの?とびおりるのか?」
 ジャンが声を震わせながら僕に訊く。
 幾ら下が芝生とは言え、飛び降りれば足を痛めるだろう高さだ。怖じて当然。
「ううん、そこに雨樋があるだろ?僕が先に降りるから見てて……」
 僕が示す先に、屋根に落ちてきた水を受け止める雨樋がある。
 壁に設置された筒状の雨樋に体重をかけすぎると壊れそうだったが、補助として使う分には十分に思えた。
 音を立てないように靴を脱いで屋根と雨樋を握り、足先を壁に乗せて落ちる速度を調整しながら飛び降り気味に落ちる。若干足は痺れたが、痛みはない。
 急いで靴を履き、ジャンを手招く。暗くて見づらかったが、顔色が不安に彩られているだろう事はありありと感じ取れ、僕は手を開く。小声で『落ちても絶対に受け止めるから』と、言って。
 それで僕を信頼してくれたのか、あるいは早く逃げたい一心だったのかは解らないけれど、ジャンも運動神経は悪くないようで、僕と同じように飛び降り、腕の中に落ちてきた。
 幸い、降りた先の壁に窓はなく、僕とジャンは発見される事なく逃げおおせ、質素な我が家に辿り着く。

「入っていい、のか……?」
 家から離れると、ジャンも冷静さを取り戻してきたようだが、ずっと周囲に視線を配っており、僕の家に入る事も躊躇いがあるらしかった。
「大丈夫、体の不自由な父しか居ないから」
 君を害する存在は居ない。と、説明したつもりだったが、ジャンが悲しそうな顔になった。
「巻き込んで、悪かった……」
「僕が好きで巻き込まれたんだよ」
 自分だけのせいにしなくていいのに。
 微笑みかけてから鍵を開け、暗闇の中で音を立てないように明かりを点け、父の様子を伺うと良く眠っている。何事もなかった事にほ。と、胸をなで下ろしジャンを手招きながら浴室へと案内した。
「色々疲れてるだろうし、さっぱりした方がいいよ」
「でも、着替えとか……」
「僕ので良ければ寝間着にして、あ、下着は新品持ってくるから……」
 少々顔を赤らめてから手をばたつかせれば、ジャンが呆れたように別にいいよ。なんて言う。
「じゃあ、覗くなよスケベ」
「覗かないよ」
 いつもの調子が出てきたのか悪態を吐いて脱衣所へとジャンが入り、僕は着替えを取りに行く。
「ジャン、僕の部屋は脱衣所の前の扉だから」
「わかったー」
 着替えを置いて伝えれば水音に混じって返ってくる声。
 今は落ち着いたようだけれど、きっとあの家に帰ればまた同じ事の繰り返しだ。
 部屋に戻ってベッドに座りながら対策を考えるが、相手は国家権力。子供の浅知恵で早々どうにか出来るような相手じゃない。
 誰かに知恵を借りたいが、事が事だけに言い触らす訳にもいかず、僕が匿うのも直ぐに限界が来る。あの何かと干渉してくる叔父ならば連れ出した行動とて既に発覚しているはずで、最悪の場合、警察関係者の身内を誘拐監禁をした。なんて容疑をかけ、人生を潰す事だって容易いだろう。
「ベルトルト、風呂ありがと……」
 風呂上がりの髪を下ろしたジャンが部屋に入ってきて、咄嗟に『可愛い』なんて感じてしまった。
「服、だぼだぼだね、ごめん……」
 出来る限り小さくなった服を引っ張り出したのだけど、それでも細身のジャンには大きかったようだ。肩幅はそれなりにあるけれど、腰回りがジャージの紐を大分絞らなければ落ちてしまいそうな程に細い。
「まぁ、着れるからいいよ。それよか、お前ってまじでスポーツ万能なんだな。驚いた」
「うん、運動は好きなんだよ。似合わないかもだけど」
「んーん、すげぇなって」
 気取らない表情でジャンが柔らかく笑う。
 これは澄まし顔のバッドボーイでも、美麗な歌姫でも、怯える子供でもないジャン本来の姿なんだろう。助けたい、守って上げたいと思う。
「僕は、ジャンの味方だから、これだけは信じて」
 じ。と、正面から眼を見詰めて頷く。
 ジャンは何度が眼を瞬かせ、間を置いて頷き返してくれた。

 僕に、何が出来るだろう。

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