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馬房

小説は妄想と捏造甚だしい。 原作のネタばれ、都合の良い解釈。 R18、グロ(精神的にも)、暴力表現などが含まれます。 冒頭にざっと注意を書いてありますので、それを読んだ上での 閲覧を宜しくお願い致します。何かあればご連絡いただければ幸いです。 基本的に右ジャンしか書きません。 萌が斜め上です。無駄にシリアスバイオレンス脳です。 拙い文章ですが、少しでもお楽しみ戴ければ嬉しく思います。 右ジャン、ジャン総受けしか書きません。あしからず。

【忌々しい記憶】=惹かれる香り=その二

・モブジャン描写あり
・近親相姦描写あり
・男体妊娠や、流産の描写あり
・胸が悪くなるような、えげつない設定多数
・とことんジャン君が不幸&不運
・頑張るフロック
・一作品に一ギャン泣きフロック
・モブさんが若干出張ります
・ほんのりシガンシナ組が友情出演







 『お前はこのくらいしか役に立たないんだから我慢しなさい』
 自身を見下ろしてくる感情の籠っていない眼。
 与えられる苦痛。
 同時に味わう不快な熱。
 大量の油汗を流しながら、ぱ。と、瞼を上げれば自分がどこに居るのか咄嗟に把握が出来ず、胡乱な眼差しで周囲を見渡して確認し、暈けた動かない頭を動かして自分の手を眺め、体を撫でてから自らを抱き締めつつ深呼吸を繰り返す。
 俺はもう大人で働いている。ここは一人暮らしをしている部屋。近くには誰も居ない。一つ一つ現状を再確認するために箇条書きの如く並べて行き、あまりにも生々しい夢、垣間見た過去の記憶に侵食されそうな現実を取り戻していく。
「きもちわる……」
 ある程度、混乱が落ち着くと脂汗や、諸々の体液でべたべたの体が気持ち悪く、体の熱を冷ますためにも水で流したくなった。
 もう、実家との交流もないのに、いつまで囚われているのか。平気と嘯きつつも思った以上に弱っていたのか。重々しく息を吐き、力のない足取りで浴室まで歩いて行く。
 昨日の出来事を思い返せば確かに、とても悲しかった気がする。まだ俺にも繊細な部分が残ってたんだな。自嘲するような空笑いが漏れ、服を床に脱ぎ捨てて浴室に入り、身を切るように冷たい水のシャワーを頭から浴びながら振り返る。

 何が正解だった。
 オメガのフェロモンに中てられても死にはしない。
 ただ、万が一、フロックが他の人に危害を加えてしまう可能性を考慮すれば、薬で落ち着かせるのが最善だと考えた。本人に任せず、最初の頃のように無理矢理、口に入れて飲ませるべきだったか。
 説得など試みず、怪我をさせる可能性も考慮せず、力任せに突飛ばせば良かったのか。一つ一つの些細な判断の誤りが、フロックを酷く傷つける結果に繋がってしまった。

 会社辞めないといいけど。
 真っ青になったフロックを思い浮かべ愁う。そもそも、部屋に上げなければ、近付きすぎなければ。今更、考えても詮無い事だが。入社してきた頃のフロックを思い浮かべながら、また溜息が出た。
「あ、薬……」
 シャワーのお陰である程度、頭がはっきりすると、するべき事を思い出し、のろのろと浴室から出て水分を拭い、着替えてからオメガのフェロモンを抑制する薬を飲んで、きっかり三十分計ってからフロックが買って来てくれた栄養補助食品を口にする。ただでさえ効き辛いのだから、少しでも効果が出るように用法や容量は守らなければならない。
 一度、効かないなら数を飲めば良いのでは。と、試した結果、酷い嘔吐と頭痛、眩暈に襲われて丸一日、ほぼ気絶して過ごす羽目になった上に、予定より早く薬を貰いに行けば異変を感じた担当医に過剰投与をしていないか探られ、誤魔化しを重ねた上に隠し通せずかなりの叱責を受けた。
 それ以来、きちんと守ってはいるが、どうせ欠陥ならオメガとしての機能などなくなればいいのに。と、自分の体を恨みながら発情期が収まるまでじっと過ごすのも辛く、ある程度は薬で収まるとは言え、湧き上がる衝動、雄を欲し、子を孕むために準備を初める体が悍ましい。

 暖房を強めに入れ、髪も乾かさずにベッドに入り無駄に成長した体を丸める。今日は幾分楽だ。皮肉な事にフロックのお陰だろう。
 体が雄を求めているのだから、それを解消させれば良い。と、強制的に早く発情期を終わらせるために、不特定多数との性行為に耽溺するオメガは多くはないものの、相応に居ると聞く。それがまた、実際に効果があるのだから性質が悪い。
 フロックには可哀想な事をしてしまった。俺なんかと関わらなければ、あんな風に泣かずに済んだのに。俺も酷い事を言った。絶対に気にしてるだろうな。今日は仕事が出来てるだろうか。休んだだろうか。

 横になっていれば徐々に意識がぼんやりしてきて、瞼を閉じる。
 今までの人生は全て夢で、俺はただのベータの両親から生まれた普通の子共で。そこまで考えてから思考を打ち切った。全て無駄な事だ。夢も見ずに眠りたかった。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 目を覚ました頃には三時過ぎ、寝過ぎてしまった。
 昼ご飯も食べていない。重い体を引き摺りながら床に降り、寝ている間に自らの精液やらで汚してしまった服を脱いで、ベランダにある水を張った洗濯機の中に入れておいた。これも発情期が憂鬱な理由だ。

 いっそ、俺が辞めてしまった方がフロックも気が楽だとは思うが、結局、薬を買ったり生活に金が要る。
 こうして発情期だからと休ませてくれる会社もそうはないだろう。抑制剤の効果が周知された世間では『オメガの発情期は薬さえ飲めば大丈夫なもの』との認識も強く、俺のような欠陥品は説得に多大な労力を払わなければならない。そして、多大な労力を払ったからと言って、上手くいく保証もない。
 果たしてどうするべきか、何が正解で、どうしたらいいのか。ひたすらに悩み、俺に関わってしまったがために人生に影を落としたフロックが哀れだった。
「はー、だる……」
 昼食には遅く、夕飯を食べるには早過ぎて、ベッドに凭れかかりながら怠惰な時間を過ごす。
 自慰でもすれば多少は良くなるのだが、自分の体が気持ち悪くてあまり触りたくない。これは自身の性を嫌悪しているのではなく、性行為自体が苦手であり、久しぶりに、父親に犯される悪夢を見たからだ。よりによって発情期の時期に、最悪としか言いようがない。

 男アルファの父からベータとして産まれた俺を『役立たず』と、罵り続けた暴君のような父。
 俺を雌として扱う事で溜まった鬱憤を晴らしていたものか、幼い見た目が若い頃の母親に生き写しだったから処理道具として好みだったのか。普通の男として産まれていながら、女のように扱われて啼く俺が面白かったのか。話した事がないため、真意は知れない。
 女オメガの母親は、父親が居ない時は優しかったが、父親が家に居る間は委縮し、俺を庇ってくれるほど強くはなく、いつも俯いていた。母親にとっても父は恐怖の象徴だったのだろう。
 それでも、何とか認めて貰おうと努力をした。勉強も、運動も成績は悪くなかった。けれど、所詮は出来損ないのベータの足掻き。と、見る事すらしてくれず、アルファの妹が産まれてからは、より格差が顕著になった。
 成長に伴って筋肉が付き出すと処理道具としての価値もなくなり、高校を卒業した頃には諦めもついて、一人で就職を決めた。
 それから実家に帰ったのはたった一回だけだ。
 突然、発情期が来て、オメガである事が発覚した時。発育が異常に遅れていた理由は解らない。
 入社の際の検査結果を誤魔化したのではない証拠に、親子手帳、学生証にベータと記されている証明書を得るためにそれらのコピーが必要不可欠で、仕方なく実家に帰った。
 父親、妹が居ない時間帯を狙って母親にだけ打ち明ければ、返って来た言葉は『ごめんね』だった。言い訳のような言葉は重ねず、ただ謝りながら泣いていた。惨めだった。帰り際に、自分のように誰かに奪われる人生にならない事だけを願っている。と、だけ告げて送り出してくれた。

 何の因果でこんな目に遭っているのか。
 前世で俺はよっぽどの悪人だったのかね。

 件の発情期が来た時だって、あまりにもタイミングが悪かった。
 偶々行ったバーで知り合った、やたら馴れ馴れしい男性と友人になり、その人が遊びに来てる時に、急に具合が悪くなって自分の身に何が起こったかも解らないまま犯され、済し崩しで恋人みたいになった。けれど、そう思ってたのは俺だけで相手からすれば都合のいい性処理道具。父親と同じだ。
 抑制剤を飲んでも効きが悪い事が検査で判明して、ベータ用の薬を買っても碌に飲んでくれず、会えば直ぐホテル、でなければこの部屋で、発情期になれば毎日のように気絶するまで抱かれた。それで妊娠しない訳がなく、妊娠を告げたら連絡がつかなくなった。
 相手がベータだったのは幸いだったのか、不幸だったのか。父親のようなアルファだったら、母親と同じ道になっていた可能性もある。気持ちを切り替え、独りで産んで育てようと決意した矢先に倒れ、気が付いたら病院で、子共は俺の腹の中から消えていた。
 子供を育てるには器官が未熟過ぎて流れたらしい。俺なんかの所に来たせいで生きられなかった。
 なんて運のない。俺の子だけあるな。なんて思いつつ泣いた。

 フロックが言った通り、俺は馬鹿なんだろう。
 何一つ護れなくて、懐いてくれた後輩まで傷つけてしまった。本当に、何をやってるんだか。
 背凭れにしていたベッドからずり落ちて、床に転がると天井が見えて滲んだ。どうも精神がいつも以上に疲弊しているようで、涙が止まらなくなり、流れるに任せてぼう。と、していた。

 いつの間にか寝ていたようで物音で目を覚まし、玄関に顔を向けるとフロックが居て、目が合えばチワワのように震えていた。
「帰った方がいいぞ……、またフェロモンで可笑しくなるし」
 涙が渇いて顔が痛い。台所で顔を洗い、玄関先で取っ手を握ったまま固まっているフロックに声をかけた。
「だい、じょうぶ、ベータ用の耐性薬、病院で貰って来たから……」
「わざわざ?」
「うん、午後休貰って……、顔も見たくないかも、だけど」
 フロックがもじもじと俺の顔色を窺う。
 気不味くはあるが、別にあんなの慣れてるからどうでもいい。寧ろお前の方が心配だよ俺は。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「その、飯……、置きにきただけだったんだけど、引っ掻けようとしたらドアノブが回ったから」
「そう言えば昨日、鍵かけた記憶がないかも」
「不用心……、いや、俺が言える立場じゃねぇな」
「心配性だなぁ。気になって見に来たんだろ?俺は平気だってば」
 昨日、大量に買って来てくれてんだから、今日持ってくる必要はなかったはず。俺がそう言うと、フロック顔が泣きそうに歪んだ。
「俺……、どうしたらいいか判んなくて」
「気にしなくていいって」
 気怠さが酷く、壁に寄りかかったまま話していれば、フロックがふるふる震えて、目を潤ませ出した。何でお前が泣くかな。目も見開いて、眼が零れそう。
「具合悪いから、歓待は出来ないんだけど……」
 話している内に完全に薬の効果が切れだしたようで、体が熱く頭がぼんやりしてくる。
「帰った方がいいぞ。ちょっと昼、薬飲み忘れたから……」
 薬入れを探って抑制剤を出し、不味い水道水で飲み下す。頭がぐらぐらしてきた。こうなるから飲み忘れないようにしてたはずなのに、多少症状が軽いからと失敗した。
 立っていられなくなり、床にへたり込んで壁に凭れかかる。
「ジャン……」
 フロックの手が背中に触れ、大仰に体を跳ねさせると驚かせてしまったようで、後ろで尻もちをついていた。
「触られるときつい……」
「わ、わるい……!」
 体を縮め、フロックと距離をとるように壁に寄り添っていく。
 他意がある訳ではない。発情期と言えば。で解って貰えると思う。常に体が興奮状態になっており、いつでも子作りが出来るよう準備している。そんな状態で下手に触られてしまえば、どうしても過剰に反応してしまうだけだ。

 薬が効いて体の発情が軽くなるまでが長い。
 ひゅー。と、細く長い息を吐き、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。何かをしていれば早いが、待つだけの時間は本当に長い。
 たった一分ですら。
 呼吸だけを繰り返し、膝を抱えて待つ。ただただ待つ。普通のオメガであれば、薬が効いて発情が収まるはずなのに、いや、そもそもが、きちんとアルファ、ないしベータに産まれていれば。不安定な精神は涙腺を勝手に緩め、涙を溢れさせてくる。
 自らの手で拭っても拭っても止まらない。時に鼻を啜り、熱の籠った息を吐いては、苦し気に吸う。こんな体、嫌いだ。
「ジャン、あの……、悲しいのか?」
 体がきつ過ぎて、フロックの事を忘れていた。
 帰ってはいいと言ったが、わざわざ薬を飲んでまで来てくれるほどだ。面倒でも見るつもりで来てくれたものか。いい奴だな。
「解んねぇ。きつい……」
 悲しい。が、呼び水になり、弱音を口にする。
「俺からは触らねぇから、あの、背中とか、胸とか貸すから凭れかかっていいぞ」
 フロックはそう言って俺に背を向けると動かなくなった。俺が来るまで待っているようだ。忠犬宜しく延々と待っていそうな気がして、にじり寄ると肩に頭を乗せ思い切り体重をかけた。コートの分厚い布越しに体温が伝わってくる気がして、何となく心地好い。
「ありがとう……」
「あ、うん」
 五分も泣いていればいい加減、涙腺も落ち着いて、俺がフロックに凭れかかっているだけの状態になった。寝巻の袖で顔を拭き、ずるずると床に落ちる。泣き疲れてしまった。顔が痛い。
「だい、じょうぶ、か?」
 フロックが倒れた俺に、恐る恐る声をかけ、顔を覗き込んでくる。
「あぁ、薬も、それなりに効いてきてくれたみたいだ……」
「そ、か、じゃあ、俺帰るな」
 鞄を持って出て行こうとするフロックの動きが可笑しい。
 前屈みのひょこひょこと奇妙な歩き方。
「フロック、したいならしていいぞ。俺は別に……」
 性行為が苦手でも、覚悟してからなら決して我慢は出来なくもない、ずっとそうしてきたんだから耐えられる。
 中に出されても専用の避妊薬があるから多分何とかなる。フェロモンに酔い、抗えない衝動のせいで罪悪感を持つのは可哀想に思えて、同意した状態での性行為を経験すれば解消されるのでは。そう考えて言ってみればフロックはばたばた走って逃げて行った。
 間違えたかな。俺の人生間違いだらけだ。開け放たれた玄関の扉が音を立てて閉まり、一瞬だけ頬を撫でた冷たい風に身を震わせた。
 ずるずると四つん這いになってベッドに行き、鼻をかんでから潜り込む。暫く悩み、待ってからスマートフォンを手に取ると、メーラーを起動して文字を入力していく。

 ごめんな。本当に気にしなくていいから。
 それだけを送って次の薬の時間にアラームをかけ、眠くはなかったものの目を閉じる。

 あ、また鍵閉め忘れた。
 まぁいいか。 

   ◆ ◇ ◆ ◇

 翌日の朝にフロックから返信が返って来ていた。内容は俺の体調を気にかけるもので、欲しいものはあるか。だった。
 特にないよ。ありがとう。来る切っ掛けが欲しかったのかどうか。返事を返してから考える。優しい奴だな。追伸で、あと二日くらいで収まると思うから、一緒に飯でも食おう。と、送っておいた。

 発情期が終息を見せ、念のために薬を飲んで出勤すれば同僚に少々嫌味を言われ、仕事は山積みになっていた。今日は残業確定だ。
 昼時になり、仲間たちが食堂や、外に食べに行く中、時間も惜しんでフロックが置いて行ってくれた補助食品を口にしながらひたすらパソコンを叩いてく。休む前にやっていたものの進捗確認と、新たな業務内容の把握だけでも随分と時間を食い、こまごまとした雑務まであって目が痛い。給湯室でコーヒーを淹れ、備え付けの小さな冷蔵庫に入っていた保冷剤をハンカチに包み、壁に凭れながら痛む眼を冷やしていると、お疲れだな。なんて、厭味な声がした。
 昼食から戻って来た人間の誰かだろう。
「何日も休んだのに休憩が必要か?」
 保冷剤を目元から外して確認すれば、厭味の主は俺と同じく飲み物を淹れに来たらしい同僚の男性だった。
「遊んでたんじゃなくて具合悪かったんだから勘弁してくれよ」
 言っても無駄だとは思いつつ適当に流す。
 流しながらも意に添わぬ本能で苦しむ日々を過ごして、やっと出社してきたのにこの言いようは中々、精神的に来るものがあり、保冷剤を冷凍庫に戻して自分のデスクに戻る。ちくちく言われるのは毎度の事で気にはしていないものの、疲労を感じないかと言えば嘘で、出てきそうになる溜息を堪え、五、六分ほどぼんやりしていた。
 頭を空っぽにしてからすっかり温くなったコーヒーを啜り、兎に角、確認と把握を進めていく。発情期が来るごとに憂鬱になるのは、こういった確認作業が増える煩わしさも十二分に加味されていた。
 こちらが調子を取り戻そうと泡を食っていても次から次にやる事は増える。自分の世話だけで精一杯だと言うのに、やるべき事は山積みで、これが一生続くのかと考えれば、伴侶を持たずに孤独に生きるオメガ性を持った人間の自死が少なくない事実も頷けた。
「先輩、これ上げます」
 斜め後ろからかけられた声に振り返れば、フロックがシリアルチョコバーを三本ほど差し出していた。
「昼、食ってないでしょ?俺の非常食ですけどどうぞ」
「あぁ……、すまない。お前は食ったのか?」
「大丈夫です」
 感謝を口にして菓子のような携行食を受け取り、笑って見せる。あまり気にしてないようなら良かった。シリアルチョコバーを取り出すと小さく折り、一口ずつ食べてはコーヒーで流し込む。
 午後からは手の空いたらしいフロックが、引き継いでいた案件がどこまで進んでいるか伝えてくれたり、手伝ってくれたため、随分と捗って残業は一時間程度で済んだ。

「悪いな。飯奢るよ。チョコも貰ったし」
「そうですねー。ラーメンがいいです」
 閑散としたオフィスを眺め、一応、この会社はホワイトなんだよな。とは、頭の片隅で考える。本来は残業もほとんどなく、有休も取得し易い、誰かが休めばフォローが入る、小さな小競り合いがないとは言わないが、概ね関係は良好。
 俺がベータではなく、本当はオメガである事が発覚した際にも、相談した上司の立ち回りが上手く、賢く頼りになる人間だったお陰で、今こうして居られる。実績を積んで支社長になった元上司とは、時節のやり取りをする程度にはなったが感謝は尽きない。
「んー、じゃあ、こないだ行ったとこにするか」
「どこでもいいですよ」
 以前、教えて貰い、美味しかったラーメン屋を指定すれば上機嫌になり、相変わらず惚れ惚れとするようないい食いっぷりを見せたフロックと階段で別れて帰宅すると、自分のフェロモンの甘ったるい匂いが籠っている気がして窓を開け放ち、寒々しい部屋に新たな空気を入れていく。
 常にフェロモンが出ている時はフロックのような中てられる人間が出ないか、とても恐ろしくて窓などは開けられず、玄関の開け閉めも最小限にしている。新たなフェロモンが出ず、籠っていたものも大分薄れたとあり、数日ぶりに空気を入れ替えた部屋は心地好く、食べて温まった体を程好く冷やしてくれた。
「また明日も頑張らないと……」
 のろのろと体を起こし、体を流しに行く。
 寝て起きて、また同じ日常が来る。変わらないのが一番だ。変えようと努力して悪化したら目も当てられない。嫌な事は忘れればいい。洗い流して、眠れば元通り。これでいい。

 出社して黙々と仕事に勤しんでいれば、やたらと笑顔が溢れる女子社員に話しかけられ、何かあったのか。と、頭に疑問符が浮かぶ。
「あのう、これ、女子社員一同からです」
「え、なに?」
 疑問をそのまま表す言葉を吐き、女子社員に貰った可愛らしく装飾された両手に乗るほど大きな箱を開ければ、中には大小のチョコレート菓子が詰め込まれていた。社員同士で菓子の交換を頻繁にやっているのは見かけるが、それにしては量が多い。
「昨日は病み上がりでしたし、お忙しそうだったので」
 デスクに設置してある卓上カレンダーを見れば、昨日の日付は二月の十四日。あぁ。と、間抜けな声を出し、チョコレートの山に納得がいった。バレンタインを完全に忘れていた。
「ありがとうございます。来月お返しますね、わざわざすみません」
「いえ、お気遣いなく」
 チョコレートは嫌いではないが、この量は少々手に余る。
 家において少しずつ食べるか、大食漢なフロックに協力して貰うかすればいいだろうか。
「あの、昨日、フォルスターさんに何か貰ってらっしゃいました?」
 目の前の女子社員が、お礼を言っても動かないな。と、思っていれば、謎の質問が飛んできた。フロックに昨日貰ったものは。
「あー、っと、昼を食べてないのを気にかけてくれて、チョコバー貰ったんですけど……、食べますか?」
 一本だけ、机の引き出しに入れていた物を出して渡そうとすれば、両手を振って断られてしまった。何なんだ。
「最近、仲いいんだなって、ほら、最初は馴染めなくて、いつも寂しそうにしてらしたじゃありませんか?今は凄く頑張ってらっしゃるから、何かあったのかと……」
「あぁ、そうですね。でも、本人の努力だと思いますよ?熱心に勉強してましたし」
「それは、キルシュタインさんが色々教えたり?」
「まぁ、そうですね?勤続だけは長いんで」
 何を訊かれているんだろうか。
 仲良くなった経緯か。
「食事に誘えば、大概はついて来ると思いますよ?食べるの大好きみたいですし、料理上手なら好感度は急上昇です。教えれば呑み込みも悪くないんで、色々手伝ってくれますよ」
「え?」
「あれ?フォルスターさんと仲良くなりたいんだと……、違いましたか?先走ってすみません」
 てっきり、フロックに好意を持っているのだと思ったが、早とちりだったんだろうか。人の感情って難しいな。
「いえいえ、仲良くて微笑ましいなって思ってただけですから。えっと兄弟みたいって言うか」
「はは、歳は同じなんですけどね」
 兄弟と表現するには可笑しな関係になってしまったが、仲のいい弟が居たらこんな感じか。と、考えた事はある。妹は居ても、俺と話すような真似をしたら怒られていたから交流はほぼないに等しく、俺と違って可愛がられる妹を横目に日々を過ごしていた。
 妹が俺をどう思っていたかも知らない。今頃どうしているかも。今は大学にでも通っている年齢だろうか。気にはなっても、実家に戻る気はないから、やはり交流は持てない。
「フォルスターさんが弟だといつも心配してなきゃいけないですね」
 何かと危なっかしい。
 頑張るのは実にいいんだが、妙に空回りしていたり、暴走しそうになったり、焦らなくていいから。と、何度言っただろう。素直だけれども人の話を聞かない所があるから心配だ。
 苦笑しながらそう言えば、お兄ちゃん気質は大変ですね。と、評され、義務的な挨拶を交わしてから会話は終わった。

 今からでも、関係は修復出来るだろうか。
 発情期の時期以外なら、後はベータとさして変わらない。極々当たり前の関係は築けるはずだ。行動を鑑みれば、きっとフロックもそれを望んでいる。いや、俺が望んでいて欲しいのかな。俺って案外、寂しがりだったんだな。知らなかった。

   ◆ ◇ ◆ ◇

 朝起きると、やたら寒気がした。
 何となく喉と頭も痛い。発情期を誤魔化す言い訳ではなく、普通に風邪を引いてしまったようだ。

 上司に連絡を取り、病院に行ってくる旨を伝えると、仕方ないなぁ。と、ぼやかれた。気持ちは解る。悪いとは思う。でも、俺だって予想外の体調不良だ。
「今の所、インフルの反応はありませんが、後から熱が上がる場合もあるんで、違和感があったら直ぐ病院に来て下さいね。ビタミン剤打っときます」
「はい、ありがとうございました」
 検査の結果はただの風邪。
 げほげほ、くしゅん。待合室の中は病人で溢れている。ここに居る方が病気になりそうで、金を払うと早々に退散し、感染症ではなかったとの報告後、午後出社をして物々しいマスクと黒いダウンコートを着たまま仕事をする。俺の半径五メートル以内には誰も近付かない。フロック以外は。
「冷えピタでも買ってきます?」
「いい。熱はないんだよ、今の所、何となく寒いだけで」
 やや掠れた声で話せばフロックはつまらなそうな表情をした。
 実際、つまらないのだろう。フロックは俺の補佐を命じられたとかで、何をするにも俺の後をついて回り、雑用ばかりしている。仕事を覚えて一番やる気がある時期に人の手伝いばかり。しかも、移される心配がある病人の側とは最悪な気分だろうな。
「これやっといてくれ」
「はい」
 投げるように書類を渡され、ややかちん。と、来たが、近付きたくない気持ちは理解出来たので黙っておく。
「いつもの『性質の悪い風邪』じゃないのか?」
「あぁ……、然程、重症でもない」
 書類を投げた同僚は、直ぐに俺から一メートルほど距離を取り、確認なのか心配しているのか解らない言葉で話しかけて来た。
「いいけど、マジで移すなよ。俺家に赤ん坊居るし!」
「分かった分かった。早くあっち行けって、話してると余計移るし」
 独りで喚いて、自分の席ではなく、給湯室に行ったようだった。うがいか手洗いでもするんだろう。
「フロック、お前も手洗いとうがいは念入りにしとけよ。緑茶とか紅茶でするといいらしいぞ」
「お前じゃあるまいし、そこまで体弱くない」
「言ったな?風邪引いたら『そら見た事か』って、盛大に笑ってやるから覚悟しろよ」
「それより、家で寝とけよ」
「あんま休むと面倒だし……」
 尤もな意見にむ。と、俺は呻りつつも自己擁護をしたが、フロックは面倒臭そうに俺を睨んでいた。仕事がつまらないから早く帰れとでも言われている気になり、何故だか弱気になっていく。恐らくは風邪のせいだ。今日は温かいものを食べて、早めに寝てしまおう。
 俺は決意して、気怠いながらも仕事を進め、お互いに敬語が崩れている事にも気づかず、就業時間までフロックとやいやい言い合いながら一緒に帰宅した。
「何で家までくるんだよ。本当に移るぞ?」
「飯作ってやるよ。怠いだろ」
「作れるのか?」
「馬鹿にすんな、いつも隣で見てたんだから大丈夫だ」
 不安しかない科白にうかうか風呂にも行けない。寒気がするため、毛布を被って台所に向かうフロックの後ろを右往左往。

 包丁の持ち方も切り方も、一々怖い。切れずに繋がってるし、卵を割ろうとして潰してしまい、手が汚れたため、洗いながら独りで舌を打ちつつ切れていた。
「あーもー、うざい!余計失敗する。ベッドで寝てろ!」
 手を洗い終えたフロックにベッドに放り投げられ、俺は離れて見守るしかなくなった。一々口出しが煩かったようだ。俺から解放されたフロックが、冷蔵庫から何かを出しては小さく刻み、途中で指を切ったようで手を抑えている。
 ティッシュを指に巻き付けて血を押さえながらフロックは調理を進め、刻んだものを次々に鍋に投入して、最後に冷凍ご飯を入れた。出来たものは味がしないおじや。
 塩か醤油。と、口を出したかったが、また怒られそうで、今は対抗する体力がないので流石に黙っておいた。器は鍋のまま、中に入ってる具材は大きさがバラバラで、指には何枚も絆創膏代わりのティッシュを巻いている。不慣れな手つきで作ったと直ぐ解るものだ。
「何だよ、下手で悪かったな」
「嬉しいだけだって、性格悪く捉えるなよ。結構、量があるから半分にしよう。お前も腹減ってるだろ?」
 俺が食べながら笑っていれば、折角作った料理を嗤われているとでも考えたのかフロックが拗ねていたため宥めておく。嬉しいのは本当だ。プロが作ったものではない手料理は久しぶりで、思わず口元が綻んだ。それだけだ。
 見目は悪いが、火は通っているため、腹は壊さないだろう。むす。と、したままフロック手を伸ばし、ふわふわした頭を撫でてやる。
「ありがとな、直ぐ治りそうだ」
「当たり前だろ。早く治せよ」
 ひねた発言をしつつ、椀に分けたおじやをフロックが一口食べると、眉間に思いきり皺が寄り、塩を取りに行った。
「お前良く食べるなこんなの」
「美味いよ」
「味覚可笑しいだろ」
 ぶつぶつ言いながら、フロックは自分の分に塩を入れ、まだ微妙な表情で食べていた。強火で煮立たせながら短時間で作ってたから出汁もあまり出てないだろうし、具も硬い、塩だけでは挽回出来なさそうに見受けられた。これも勉強だろう。
 全部食べ終え、歯磨きをしてからベッドに戻る。
 風呂は明日でいい。
「フロック、もう帰った方が良くないか?本当に移るぞ」
「移るならもう移ってる。それより、寒いなら湯たんぽ要らねぇ?」
 そんな便利なものが家に合っただろうか。
 会社から真っ直ぐ帰って来たはずだから買ってきたのでもない。
「ペットボトルにお湯とか?」
「いや、ここに居る」
 自身を指差しながら自分で言って照れているのか、風邪を引いている俺よりも顔が赤い。
「お前とは、良好な関係で居たいんだけど……」
 今度は間違えないようにしたい。
 距離感や、感情、立場とか諸々を。
 傷つけたくないし、出来れば自分も傷つきたくない。
「大丈夫!」
 自信満々に頷き、フロックがベッドの中へ入って体をくっつけてくる。子供体温と言えばいいのか、非常に温かい。
 子供が産まれていたらこんな感じだったのか。少し可愛く思えて、頭を撫でてみた。特に拒絶はされなかったため、そのまま眠り、俺は朝になれば回復していたが、代わりにフロックが熱を出していた。
 阿保かこいつは。
「ばーか」
「うっせぇ」
 俺が約束通りに馬鹿にしてやれば、真っ赤な顔色でフロックが不貞腐れた。どうやら真っ先に喉や頭に痛みが来る俺と違い、フロックは熱が出易いのか、最初から三十八度と高めの熱が出ている。
「ほら、会社にも連絡しといたし、移した責任として病院連れてってやるから、ちょっとだけ頑張れ」
 昨日行ったばかりの自宅近くの病院へ行くと、医者に怪訝な表情をされた。小さな病院だから、患者の顔は覚え易いのだろう。何せ昨日来たばかりだ。
「貴方の検査は?」
「付き添いです……」
 黒髪に金色の目をしたかなり男前の若い医者の問いに気不味くなり、頭を掻きながら苦々しく笑う。
 俺の場合は、一時的な疲労か心労による体調不良だった可能性が高く、一日で治った旨を伝えれば医者は納得し、フロックの鼻にインフルエンザの検査用の綿棒を突っ込んだ後は、開いている寝台に寝て待つよう言われ、付き添いながら声がかかるまで待っていた。
「あの良かったらどうぞ」
「すみません、ありがとうございます」
 看護師からタオルに包まれた長方形の大きな保冷剤を渡され、フロックの頭の下に敷いてやる。
「移すと治るって本当なんだな」
「良かったな。くそが……、こんなはずじゃ……」
 熱があるのに減らず口は相変わらずで、フロックは悔しさと苦しさが混じった表情で呻いていた。
「頑丈だからって自分の免疫を過信しちゃ駄目って事だな。看病してくれたのはありがたかったけど……、まぁ、無理すんなよ。お前、ちょっと頑張り過ぎだし、いい機会だから休んどけ」
 こう言うと、フロックからじっとりとした目で睨まれたが、どんな感情だろうか。あんな事故もあったし、任された仕事は二つ返事で請け負って、やり遂げようと頑張っていたのも知っている。体が疲れたから休ませろと叫んでいるんだろう。
「女子社員から聞いたんだが、無茶は健康の前借とか寿命の前借とか、恐ろし気な事を言ってたし、焦らずに実績詰んでけばいいんだよ。毎回言ってるけどさ。中途だからって気が逸るのは仕方ないけど……、先ずは健康を第一に……」
「うるせぇって、こんな時に説教聞きたくない」
「ん、あぁ、そうだな。すまねぇ……」
 ぐだぐだ説教していた自分に気付かず、背中を向けられてやっと言葉を止めた。理詰めで説得にかかる癖と言うか、こう小煩いのが駄目なんだろうな俺は。人間との意思疎通ってのは本当に難しい。
 何が正解かなんて教科書はなく、全て手探りだ。
 更に十分ほど待っていると、先程の医師、イェーガー医院の若先生が俺達の側にやって来た。
「インフルは陰性だったんですが、熱が高いんで解熱用の薬出して、ビタミン注射を一本打っときますね。後は出来たら安静にしてて下さい。じゃあ、頼む」
 若先生が診察室に戻ると、黒髪美人の白衣を着た女性医師が鮮やかな手つきでフロックに注射を打ち、お大事に。とだけ言うと、やはり診察室に戻っていく。
「全然痛くなかった……、俺、なんかあったら今後ここに来るわ」
「若先生は注射下手だぞ。激痛」
 注射が平気な俺がいてぇ!と、叫び、ちょっとばかり泣いたほど。
「止めとこうかな……」
「注射の時はアッカーマン先生に当たるのを祈れ。何人か居る看護師さんはほどほどの腕だから安心しろ」
 適当に話していれば待合室から呼ばれて金を払い、処方箋を貰って近くの薬局へ行けば金髪の小柄な青年が愛想良く出迎えてくれた。
「こんにちは、今日はどうなされました?」
「あ、熱が高くて。これをお願いします」
 熱の有るフロックは入り口付近にあるソファーに座らせ、全部俺がやっておく。移してしまった手前、申し訳ない気持ちの方が先立って、何やかやと世話を焼いてしまっている状態だ。
「フロック、帰るぞ」
 動き回ったせいで熱が上がり出したのか、ふらふらしているフロックを背負い、マンションに着くと、絶望的な気持ちになりながら階段を登っていく。フロックは休ませますが、俺は午後から出ます。とは連絡したが、もう休みたくて仕方がない。
 自宅に着くと喉の奥から血の匂いがするほどに息を切らして、俺も死にそうな心地だった。このまま寝転がってしまいたい。
「ほら、ウィダー飲め、そんで薬飲め」
 疲れ切った体を奮い起こし、フロックをベッドに乗せると薬局で買ってきた携行食を食べさせ、ミネラルウォーターを開けて薬を飲ませた。看病って大変だ。
 程なくしてフロックが薬の効果で眠り、熱も多少、落ち着いたようで、安堵しながら俺も適当に食事をしてから出社した。

 遅く出た分、残業になった事は仕方がない。
 それに、新人に風邪を移した戦犯扱いされた事実は甘んじて受け入れたが、無理に看病を命じるようなパワーハラスメントはしていない。と、しっかり抗議しておいた。何故、俺がフロックに仕事を丸投げした上に、嫌がらせのような看病までさせた事になってるのか大変遺憾だ。どこの口さがないお喋り雀が飛び回っているのか。
 実はフロックが裏で。なんてないよな。信じて大丈夫だよな。

 心に引っ掛かりを感じながらも帰り道にあるスーパーに寄り、何を食べさせようか悩む。おじやだと当てつけのようになりそうで、スマートフォンで病人食を調べながら茶碗蒸しの材料や、果物、牛乳、熱が出ていたためアイスなどを中心に買っていく。
 帰りつけばフロックは寝息を立てており、幼い表情をさせて眠っていた。額や首元に手を当てれば、薬のお陰か熱は朝よりは良くなっているようだ。
 油断は出来ないが、しっかり栄養を取らせて安静にさせないと。
 高めの温度設定で暖房を入れ、静かに料理を作っていく。
 材料を入れ、茶わん蒸しを作る傍らで果物を潰し、直ぐにアイスと牛乳を和えて冷たいスムージーに出来るようにしておいた。俺も疲れてはいるが食欲自体はあまりない。部屋が温まり出したからか、フロックが汗を拭いながら起き上がり、寝ぼけた眼で俺を見る。
「はよ。茶碗蒸しもう出来るぞ」
 どれだけ食べるか判らなかったため、多めに作りはしたがどうだろう。食欲自体があるのかどうか。
「食えそうなら他にも作るけど?」
「いや、いい……」
 鈍重な動作ではあるが、しっかりとした足取りでフロックはトイレに行き、戻って来て炊事場で手を洗う。
「具合は?」
「大分いい。飲みもん貰っていいか?」
「あぁ、好きに飲め」
 ベッドの上を見れば、買っておいた飲料は全て空になっていた。
 フロックは冷蔵庫を開け、中から紅茶のペットボトルを出して、五百ミリリットルの中身を一気に飲み干した。汗を掻いて余程、喉が渇いていたと見える。
「美味い……」
 二本目の紅茶を座卓に置き、出来立ての丼サイズの茶わん蒸しを出してやればフロックは表情を緩ませて食べ出した。
「食えるならお前の分もアイススムージー作るぞ」
「食う」
 牛乳とバニラアイスを混ぜ、そこに潰した果物をたっぷり入れて出せば、美味しそうに食いつき、食べ終わった後は食器をきちんと洗い出した。こんな時までしなくてもいいんだが。
「どうする?家帰るか?」
 ある程度熱が下がったとは言え、しんどそうに溜息を吐き、ベッドを背に寛ぐフロック。一応ながら訪ねては見るが、案の定、首を横に振った。
「帰るのめんどい」
「風呂も入りたかったら入っていいし、服も使っていいからな」
 自分でも赤の他人に甘過ぎるとは思う。
 俺がここまでしてやる必要があるのか?と、頭の片隅にない訳でもない。事故とは言え体を繋げた情なのか、縋られて突き放せなくなったか、あるいは被害者への憐憫か、自分でも良く解っていない。

 交代で風呂に入り、ベッドに横になる。
 明日は、いい日になって欲しい。

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